明日への希望

07/02/2008にアップした文章です。

昨日はたいへんに有意義な日で、明日への希望が大きく膨らみました。4月までのプランをじっくり立てて、その道のりがしっかり見えてきました。留学生になった看護師さんとも、メールだけではなく、スカイプでいろいろ聴いて安心しています。いろいろな生徒さんが、ポジティブな方向に向けて計画をし、それをコツコツと実行していくのを見て、希望が裡側でパンパンに膨れあがっていくような、もしかすると希望そのもののキャパ量が増えたのかなぁとも思えるような、そんな日々になっています。



夏休みが見えてきました。夏休みには、10月の英検に向けての授業を開始します。他にもTOEICやTOEFLという結果を目指している生徒さんがたくさんいるほか、OLさんや会社勤めをしている人たちの転職や今後についても、いろいろ考える時期となります。AO入試を目指している学生さんたちは、まだまだ切羽は詰まっていないものの、この時期が勉強量としては差がつくことになるので、いい癖をつけることができるかどうか?というのが問題になります。

 

私の産業カウンセラーのクラスも、今度の日曜日からは続けてあり、期末テストの補講レッスンもあるので、またもや忙しくなってきます。とはいえ、私は慢性的に稼動日としては、忙しいといえば忙しいんですが、昼間はまったく空いている状態の中に、ポツポツ入っているだけなのではあります(笑)。夏休みには昼間に入るレッスンがあるので、それほど満杯状態にならずとも、西さんにHPを作ってもらい追加募集をしようとしていたところ、たいへんなことが・・・。西さんの自宅に置いてある、出張に使う、ノートPCがクラッシュしてしまい、たくさんの資料が藻屑と消えたのです。ホームページビルダーも当然消えてしまい、それがわかったのが、土曜日で、朝っぱらの忙しいときにそれをスカイプで伝えられたものですから、イラついてしまい、コピーをしようとしたところ、シリアル番号を書いたCertificateが見つからず、ピークに(爆)。そもそも西さんは、その土曜日までに作ってくれると言っていたわけですよ・・・。頼んでおいて、これほど高飛車になってはいかんのですが(爆)。そして、昨日、すべての必要書類やら、社会保険の手続きや税金の残り書類などといっしょに、今週はいるであろう中国のほうに送ったのです。

 

なので、HPができるのはいつのことやら・・・(汗)。校長センセにも一般公開前に見ていただこうと思っていたのに、どんどん後ろに押されてしまうではないか・・・と。

 

そんなこんなをしているうちに、英語学校のほうも夏休みに入るので、とても忙しくなるのです。学生さんが増えることで、私のプライベートレッスンはどんどこ増えていき、1日減らしたいな、2日減らしたいな、と思っている思惑とは裏腹に、どんどん時間数が増えていく・・・。10月の英検のための新しい案件などもあり、HPでの集客状態が把握できない限り、どのくらい調整したほうがいいのかわからず・・・。

 

こういうところが、労働した分だけしかお金を得られないという悲しい仕事のサガなのです。

 

この悪循環から抜け出るためにも、自宅でのレッスンを増やそうとしているのに、それが捗々しくないというのは、イライラの素だったんですが、昨日、京王プラザホテルのランチビュッフェで楽しかったので、一気に希望が膨らんだ、という、長い説明でした(笑)←本当に長かったよね(爆)。

 

私ひとりしか講師がいない場合、受け容れられる生徒さんの数が限定されてしまうのですが、もうひとりかふたり、プールに補助しておければ、かなりの生徒さんのニーズに応えられるので、そういう人をがんばって探していたところ、見つかったのです。昨日は、その候補者のひとりとごはんを食べたのでした。その人を紹介しれくれた女性と3人で、豪勢なランチビュッフェだったのです。

 

とはいえ、昨日あたりから、その紹介してくれた女性が、このブログを読み始めているかもしれないので、あまり個人情報が出るようなことは書けないんですが・・・(苦笑)。

 

話はスムーズに広がり、楽しい時間を過ごし、今日の朝は、暑かったために4時に起きてしまったので、朝ごはんを食べておなか一杯にした8時過ぎに、もう1回寝たんですよ・・・。そうして焦ってブログを書こうとしたら、カリフォルニアに留学した看護師さんからスカイプが・・・。彼女には、英語でブログを書くように自習プログラムの中に入れてもらったのですが、その添削をしつつ、スカイプで今後の方向性について話しつつ、メンタルケアのためのカウンセリングもしつつ、段階的なプランの図を紹介しつつ、1時間ほど時間が経ってしまいました。

 

彼女のほうは、毎日、本当にジェットコースターに乗っているくらい楽しい模様。怖くて不安で、それでも興奮して楽しくて、下りてみると、「あーすかっとした」という連続らしく・・・。もっともっと高くてくねくねしたジェットコースターが待ち受けていることはわかりつつも、今できることをやっていることで、先が見えないことが不安なようではありますが、今していることはこの先の血となり肉となり、基礎になることを伝えて、実感を持って納得してもらえたので、すんなり眠ってもらいました>USはこの時間が就寝時間なのです。

 

このあと、社労士さんが家に来てくださって、私は書類を見せたり、印鑑を出したりしなければならず、さきほど7分シャワーに入り、夕方からの授業にすぐに出られる状態にしました。

 

気づくと、昼ごはんは食べておらず、夜は10時半まで食べられないのでどうしようか・・・と思っているところ。うーん、とりあえずはおなかが空いているという自覚がないのでいいか・・・。本日、母は洋裁に行っています。水曜日には、昼間洋裁に通っており、その夜は、ボーイフレンドの家でごはんを食べて、夜の9時15分くらいに帰ってきます(9時に彼の家を出て、15分ほどかかるということ)。

 

京王プラザの3250円だったか、3500円だったかのブッフェは本当においしかったです。種類は本当に多くて、私は3分の1も網羅できませんでした。ケーキも食べないのでそれに関しては、それほどうれしくはなかったのですが、小さくできているものを4種くらい食べた彼女は、満足していた模様。

 

とりあえずは、ずっと明日が繋がっていくように、健康には注意せねばならず、フルに動いた昨日はたいへんに疲れたのです。それなのに蒸し暑くて起きてしまい、不思議な寝方をしてしまったので、今日もあまりすっきりとは言えず、もしもダメならば、除湿だけでも今晩から使い始めようかな、と思っているところ。明日が繋がっていくためには、まずは体力ですから。

 

明日は、レッスンが2つしかないので、ちょっと遊びます。さぼっていたコアリズムをやってから、映画でも見ようと思っています。また怒涛の週末が待っていますので、10時間眠ったあと、明日は宿題が終わってから、ゆっくりしようと思っています。しかし、ネコたちもこの湿気には参っており、疲れている模様。ネコたちにも何か楽しいことを・・・。お風呂はダメか・・・(爆)。

 

落書き文化

07/01/2008にアップした文章です。

正直、私はパブリックな場所に落書きをした記憶がないです。相合傘なんて書くことは、むしろかっこ悪いことだと思っていたし、移ろいゆく物事を、瞬間や衝動に近いもので表現するのは、ちと苦手・・・。イタリアの大聖堂やドゥモゥに落書きをする観光客が増えており、それがクロースアップされていますが、モラルアップのための、抑止力としての報道はいいにしても(効果に関しては疑問が残りますが・・・)、あの代表者制裁態度というのはどうなのかなぁ・・・。高校野球の監督さんが解任されたということらしいのですが・・・。どうせなら世界各地に落書きしたヒトを募って、みんなで募金をするなり、落書きを消しに行くなりするツアー開催なんてどうなのよ?げ・・・、私はあまりにシニカルすぎなのか?



私がやってこなかったからと言って、この分野はなんとなく考えないままに来たなぁと思う。落書きにしても深いなぁ・・・>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%90%BD%E6%9B%B8%E3%81%8D 

 

確かに歴史学や民俗学や考古学でも、かなり重宝されている分野ではあり・・・。心理学的にも、描くことにより心の中を捉えてみようという手法はあり・・・(私はこの統計学的なばらつきに関して、正確性において疑問を持っています。しかも絵が描けないヒトはどうしたらいいのか?という不思議があり・・・)。芸術性が高いものが描けるヒトにとっては、世界中がキャンバスなのでしょうが、他人のモノと自分のモノの区別は、つけなくていいと言い切ってしまうのは、ちと無責任かとも思うし・・・(どうしよう、と正直迷う・笑。私は自分はやらないけれども、芸術性を求めたり、はけ口としていたずら書きをしたりするヒトたちを否定したくはないので)。

 

私は絵が描けないので、字をひたすら書いたのですが、それは家の中と決まっていました。蝋石というのがあったのですが、それはお小遣いが1日10円の日々、その10円がふっとんでしまう高さで、わりとすぐになくなってしまうので、天国地獄やら、バレーボールやら、必要な線を地面に描くのに使われたのです。私個人は、よその子どもたちとは違い、クレパスやクレヨンや色鉛筆など豊富に使えなかったので、しかも、絵が苦手だったので(爆)、近所の壁などに何かを描いた記憶もありません。むしろ、樹木にカーヴィングをしたという記憶のほうが強烈に残っています。私の木、というのがあったので(イヤ、実際は植木屋さんの木なんだけどね・・・)。

 

字の練習をするのに、広告の裏面を使ったりしており、それに飽き足らなくなると、ふすまというふすま、壁にも字を書くことになるのですが、それに辟易した母が、表面がつるつるの合板を買ってきて、トイレの壁に張り、そこにしか字を書いてはいけないことにするわけです。辞書を片手にいろいろな字を書きましたねぇ・・・。今思うと、どうして絵ではなかったのか?と、本当に不思議でなりません。

 

未だにいろいろな人に笑われるのが、私の絵で誰かにわかってもらえるのは、花だとチューリップとひまわりのみ(爆)。動物だとキリンとネコだけ。犬を描こうとすると、クマなんだかタヌキなんだかわからないようで・・・(汗)。でも、字を書くのは、ホワイトボードを商売道具として買ってからも好きだなぁと実感しています。特に字がきれいなわけではないのですが、意味があるこの字というシロモノに、たいへんな深みをイチイチ感じるわけですよ。絵心が育っていれば同じことを感じたのかなぁ・・・。

 

絵が下手なせいで絵をパブリックな場所で落書きすることはなかった・・・。では、字はどうなのか?壁に順位を書いたりすることはあったかもしれないし、正の字を書いたことはあったかもしれませんが、「私はここにいる」という手合いのことを書いた記憶はありません。黒板に書いたあとに消すということなら、よくやりましたけど・・・。

 

そもそも、観光地に行くということすらしたことが数えられるほどしかないですし、そのときに落書きができるようなペンやエアゾールスプレーやその他の便利な書き物を持っているなどということはありえず・・・。修学旅行や観光地で、どうしてペンがあるのだろうか?と、むしろそっちのほうが素朴な疑問です・・・。私が貧乏に育ったせいで、落書きも制限されたということなのだろうか?イマドキだったら、ペンなどは誰でも簡単に手に入るということなのか?観光地に落書きできるようなペンが売っているわけはないと思うのですが、売っているのだろうか?

 

ちなみにアメリカも落書きが多い国です。表現したいという渇望に、ちょうどいい手段なのでしょう。立ち止まって見惚れてしまうほど、上手なものはけっこうあります。Vandalismという言葉が示すように、「文化・芸術の破壊。蛮行」という要素があるのです。Graffiti(落書き)もあるひとつの文化ではありますが、既存の文化を覆い隠すようにして主張してしまうと、確かに破壊行為なのかもしれず・・・。

 

アメリカでびっくりするのは、フリーウェイの高架に絶妙に描かれたもの。絵だったり、ポップアート風の字だったりしますが、たいていはスプレー缶を使って描かれています。あの高さにどういう姿勢で描いたものなのか?と想像すると、ものすごい情熱と時間と体力と才能が必要だったんだろう・・・ということに、まず驚きます。街中にある壁などに描いているヒトたちよりも、もっと情熱が必要なんだろうな、と。

 

日本でも暴走族が、「○×参上」などとよく足跡残しをしていましたが、私はアレをかっこいいと思ったことが一度もなく・・・。10代の頃から醒めていた私は、「ねぇ、2・3年経ってこの行為に恥を感じないわけ?」などと思っていたのであった(爆)。私にとっては、政治家のポスターなども似たようなもので、そりゃー宣伝活動としては大切なのだろうけれども、「2・3年とは言わないけど、数年経ってもここに書いてある文言は有効なわけ?」と、やたらと醒めて見ています・・・。

 

私のエッセイは、もう1000を超えたんですが、たいていのものは有効だと思うんですね。イチバン古いものは、10年くらい前のものだと思うんですが、当時考えていたことが、今は発展版になっているというのが目論みで、目標です。基礎的なことでドラマチックに変わったことはほぼないと見ています。なので、落書きと同じではないと思いたい・・・。けれども、作家のようなすごいプロットを練った、登場人物のしっかりした、フィクションを書けるわけもなく、今に至っています。私は自分のエッセイを落書きとは思っておらず、書付よりももう少し発展したものだと思いたい。望むのは勝手だよね(爆)。

 

ただ落書きができてしまう人々に対して不思議なのは、何百年も数千年(まぁ、2000年以上古いものはなかなかないと思うけど・・・)もの歴史が詰まったものに、微小な自分の名前やらその主張をどうして刻めるのかなぁ・・・という自負。私の場合は、こうしてインターネットの片隅にエッセイを溜め込んでいるわけですが、とりあえずパブリックの中で書いていい場所なんで許していただいています。しかも、自分が微小な存在だということや、自分の考えはあくまで自分のものだということは、痛いほど理解していますし・・・。自分が作れるわけもない建造物や遺物に、どうして自分の名前や主張を刻めてしまうのか、それは正直、インタビューしてみたいところです。私には、レミントンやウィンチェスターのライフルを収集するシュミもないですし、ステンドグラスを集めることもできないですし、本ですら図書館でいいと思っていますし、モノを作るなんてとんでもないことなので、作ったものに対しての敬意というのは、所有すらしないことでもわかるように、大いにあります。自分の存在をそれほどアピールしたいのはなぜなのか?世界のどこかでこの時代に確かに生きているよ、ということを主張したいのであれば、きっと他の形でできるだろうに・・・と思うのではあります。

 

でも、まぁ、文化にしても変化しないものなどないわけで、文化・芸術の破壊も大いにけっこうなのか?うーん、私は宮大工さんしか作れない建物や、今となっては材料も代替でしかないものなど、貴重だからそのまま残してほしいなぁと思うんですが、古い人間なのか?

 

とはいえ、スケジュール表をパラパラと見ていたら、わからない記述がいくつかありました。落書きと似たようなものになってしまっているのか?とりあえず意味をなさないので、消しゴムで消しておきました(爆)。

 

男性と女性では脳はどのように違うのでしょうか?育て方で変わりますか?

男女の脳の違いをまず形から。

 

この脳梁がひとつポイントです。

 

“脳梁とは、右脳と左脳の脳神経細胞<ニューロン>をつなぐ神経線維の束である。ここは、感じる領域と感がる領域をつなぎ、脳の持ち主の無意識の行動傾向を牛耳り、心を表出させるために使われる。

脳梁が太い女脳は、右脳と左脳のニューロンが密度濃く連携されている。連携ニューロン数が多ければ、認知に使われる機会も多いので、右脳と左脳の連携度も高い。男はこれが少ない。

左右の連携がいい女性は目の前のつぶさに観察して、わずかな変化も見逃さない。”

出典:[キレる女 懲りない男 ──男と女の脳科学 (ちくま新書)]

 

傾向としては、男女どちらとも右脳も左脳も使っているのですが、どちらを多く、どんな場面に使うのか?というのが圧倒的に違います。

右脳と左脳の違い

 

右脳が男性脳、左脳が女性脳と解釈している人々が多いのですが、脳神経学はそんなに単純なものではないのです。便宜上、簡素化するために分けてみていますが、そこからどんどん細分類化されるので、こんなに大雑把には分けられないのですよ。単なる出発点でしかありません。

 

ただ役割としてはこんな感じです:

 

どちらもみんな使っているはずですよねぇ??

 

男女差よりも個体差のほうが大きい

これをしっかり読んでいただくとわかるのですが、個体差のほうがずっと大きいのです。当然、育て方で脳の使い方は変わります。

たとえば、脳梁の使い方も変わります。ある場面や物事によっては、たとえ脳梁が細くても同じ回路が何度も使われていきますから、スピード感も伴うようになります。太くても使われない場合もあれば、まんべんなく使う場合もあれば、同じことに同じ回路が使われすぎる傾向すら生まれるかもしれません。

私個人は女性という性に生まれたにも拘らず、右脳をよく使いこなしてしまっています。ついでに薬指も爪1つ分くらい長いです(母体内での胎児中に受けたテ男性ホルモンTestestroneの量が多い)。が、女性として社会で生きてきたために、ちゃんと左脳を使っている意識や場面も多くあります。なので、個体差のほうがずっと大きいという証明になりそうです。

すべてはゼロと1ではなく、細分類された二極のハザマにあることを、おもしろおかしく感じて生きていけたらいいですよね。

毎日少しでも英語に触れるためには?

Precious One English School では次から次へと「日常生活に採り入れて座学をしない方法」をご紹介しています。単にレッスンに来るだけでは、修了 and/or 終了してしまったら、英語の実力は下がってしまいますよね?誰かが見張っていなくても、環境に強制されなくても、自らずっと続けていけるように、習慣化を目指します。

 

その大切さについては、15ある心理レッスンでイヤというほど刷り込んでいき、たくさんの成功体験を経ていただき、その気持ちよさを実感していただき、成果をあげていただくことで、自分を自分で説得するプロセスをも「習慣化」していただく仕組みです。

 

英語でなくともいいのですが、英語は日本人がこだわり続け、できない人が多い分野なので、成果が可視化・測定化・実感できることがいいですね。ダイエットや起業でもいいのですが、とにかく目標に対する自分の態度や在り方、それについてどうタックルしていくか、などなど、習慣を全面的に変化させることにより、苦労なく、しかも楽しくラクに、を目指していただいています。

 

習慣になるまでの2-6週間ほどはつらいかもしれませんが、過ぎてしまえば、「へ?なんでアレが苦労だと思ったんだろう??」てなことになっていきます。

 

少しでも英語に触れるために、提案を聞き入れる前にやっていただけることは、

 

  • 素直な気持ちをそもそも持っているかどうか確かめること
  • 自分の生活習慣を見直すこと
  • 自分を今よりももっと知ること

 

の3つから始まります。

 

どんな提案をしても、却下されてしまっては台無しですし、生活習慣が乱れている中では、どんないい提案でも入れ込むことはかなり難しいです。しかも、その提案が自分にマッチしているかどうかわからないままでは、苦痛がひどく伴ってしまうかもしれません。

 

そうした意味では、やはりどんな場合でも素直にオープンに物事を受け容れる準備ができているほうがいいわけです。そのあと、解析能力が問われますが、土台になるのは、物理的な時間と、自分の心や態度の向きです。

 

Precious One English School では、英語基礎コースの42レッスンで、毎レッスンさまざまな提案をしていきます。知識をしっかり入れなおすことを含め、日常的にどのように自分を「よい方向に向けて稼働させるか」を問うていきます。

 

たとえば発音矯正。山ほどの無料サイトや順番を自主的な責任に任せてお渡しします。レッスン中にそれを見張ってやらせる、などということはいたしません。だからレッスン料金はお安くなっています。ESLでは自分で工夫したものを「発揮する・お試しする場所」としていただきたく、どの程度の進化をしたか、でその成果に違いが出ます。日本語にない概念・音・知識など、お渡しした教材の中にあって、ただガラスの眼で見ても行動に移せるチャンスの数や熱意は減ります。どこを観るのか、何をゲットするのか、など、心の方向性が何より大切です。それゆえに、心理レッスンを15入れています。

 

某生徒さん(男性社会人)は、発音矯正のレッスンを受けて以降、2週間に一度くらいの割合で、「先生ちょっと聴いてください」と練習の成果のチェックを頼んでくれます。行動化できるかどうか?は、やはり素直さや重要性の獲得に掛かっている例です。

 

そうした意味で、あなたは自分のことがどれくらいわかっていますか?いつも自分を掘り込んでいくことによって、驚くほど人生はラクで楽しくなっていきます。

溜まる課題

08/30/2008にアップした文章です。

 

ここのところ、自分のことにかまけており、やるべきこと(=Things to do)をどうもおろそかにしてばかりいました。まず、産業カウンセラー講座の宿題をひとつやっておらず、この前の提出分をファックスせねばならないというのに、それもやっておらず…←飲み会には積極的に出てたっていうのに(爆)。常勤している英語学校では、グループのレッスンを持っており、それが増えたことがあり、そのシラバスおよびまとめノートというのを作ろうと思っているのです。が、それもまだ10回分のうちの4回分しかできておらず…。シーサーブログをもう少し整理して、商売の英語レッスンと関連づけるような仕分けをしようというのも思惑としてあるのですが、それもやっていません…。さらに、個別に生徒さんたちに頼まれたものや、添削や、リストなど、けっこういろいろ溜まっています。

 

課題が多いとフツーとても嫌なのでしょうが、私は燃えますね(笑)。校長センセもいつだったか言われておられたように、Things to doリストにあるものを、消していく快感というのは、まぁ、相当な陶酔なのです。私の場合、リストには数字をつけたり、Due date(締め切り)を入れたりして、毎日書き換えているんですが、それをなぜか手帳などには書かず、気持ちよく赤ペンでスラッシュできるように、メモにしているわけです。で、全部終わったら捨てる(笑)。手帳には、締め切りを承ったときの日付に課題は書いているのですが、リストは別作りですね。

 

どうして課題が溜まってしまっているのか?と申しますと・・・、やはり飲み会が多かったことが敗因です。さらに飲み会がなくとも家で飲んでいたのも敗因に拍車をかけ、さらにやる気がなくなって萎んでいるにも拘わらず、まだ私にとっては暑いので、涼むためにパチンコやさんに行き、ここのところ4連勝なのです。いやー、累計して10万以上勝っているので、負けるまでやってやろうかと思ってしまうほどなのです。水曜日が今週からレッスンがなくなり、自宅でのレッスン開始が来週なので、今週はゆとりで完全休日を楽しんだのですが、楽しめるためのお金のゆとりもあり、これがいけませんや・・・。

 

そして、やはりヘッドセットもPlantoronics社のワイヤレスを買うことにしました。ネットで買ったほうが割安なので、ネットで買おうと。さらに、洋書も買ってしまい、生徒さんのための洋書とそのCD-ROM(Audio Book)もオーダーし、けっこう豪勢なのです。

 

こうしてだらけると、どうもやらねばならぬことはお尻に火がつかないとできないわけで・・・。

 

(うーん、昨日と同様、自分のバカさ加減をどんどん開示して、むしろ恥ずかしげもなくひけらかしているような・・・汗)

 

しかも、チラシ第二弾もデザインせねばならず、来週から始まる第一回レッスンのための準備もせねばならず、ついでに時間のゆとりがあれば、教科書だって作ってしまえばいいわけなのです。が、フリーランスで規律正しいはずの私が、ここのところ、どうもだらけている・・・。うーん、日本の、特に東京の夏おそるべしなのだ。とりあえず、今日の断食はうまくいっています。やっぱりおなかが空いた感がさっき少しあったのですが、労働量が足りないせいなのか、すぐに消えた・・・。我慢できてしまう程度にしか動いていない今日なのです。今日のレッスンは、ひとつキャンセルされたので、遅れてきたところ、次の2コマの生徒さんも現われず・・・。これをNo Showと呼び、スタンバイさえしていれば、お金はもらえるのです。が、学校全体に出している添削箱にも添削物はなく、今の時間、私は自分の生徒さんの添削をすればいいのですが、そのファイルごと忘れてきてしまったのです、家に。なので、エッセイをなぜかここで書いている・・・。

 

西新宿の高層ビルから、雷の光がきれいに見えるのではありますが、音もけっこうすごい。京王線では、高尾のあたりで土砂崩れがあり、一部不通になっていたし、朝も遅れなどがあった模様です。私は我が家で朝の4時半にネコたちに爪を立てられて起こされました。きっと雷が怖かったんだろうと思います。シリーズの音だったのと、光がものすごかったので、ネコたちはしがみついてきたんですよね。おかげで、私はネコたちにつきあって、ベランダから雷を見物し(「怖いくせに見たいってどういうことなのよ?」と語りかけつつ・・・)、朝の6時半くらいにまた眠ったのです。そして起きてみたらすでに11時過ぎていた・・・。合計9時間ほどは眠ったのですが、なんだか中断したせいで、すっきりはしておらず。が、断食デー初日なので、寝ている時間が多いほうが苦痛が少ないので、まぁ、さほど文句も言えなかったのです。

 

そのせいで、どんどん課題は溜まっていき、誘惑に弱い私は、とりあえず、断酒&断食を励行しつつも、電車に乗ったらMitch Rappシリーズに没頭してしまい、パチンコにも行ってしまい(今日もまた15000円勝った。なので、まだやめられない・・・←どういう理屈なのかはわからず・・・汗)、せめてシラバスとまとめを進めようと思って、1回分だけはやったものの、飽きてしまったのでした(笑)。そして、ここでこうしてエッセイを書いている、と。

 

明日は朝の10時15分から夜の7時までのレッスンなので、そのあいだは断食はOKだと思うんですが、そのあと、寝るまではけっこう時間があります。誘惑に負けないようにせねば。私の決断を聞いた母は、冷蔵庫に入っていたビールをすべて常温に戻していました(笑)。そして2食分あったサンプルの低カロリーダイエットのシェイクをくれました。彼女は、ボーイフレンドの家に泊まりに行くので関係ないし(笑)。日曜日は、産業カウンセラー講座はないので、朝からエッセイを書いて、そのあと課題に取り組みます。で、時間があったら、負けるまでパチンコをやる、と。あまり勝ちすぎるとよくないので、次の土曜日に入っている飲み会で寄付したほうがいいのでしょう。

 

というわけで、月曜日の朝には溜まった課題はなくなる予定。あとは、Things to do リストは少しゆるゆるになる予定です。また今日も、書いて宣言して、なんとかしちゃった感があり・・・。こういうブログの使い方ってどうなんでしょうか?(汗)



断酒計画

08/29/2008にアップした文章です。

昨日、生徒さんのレッスンが終わったあと、夏休みにがんばったご褒美として、お鮨やさんに行きました。母は、最後の晩餐にお鮨を所望するほど大好きなので、いっしょに連れていったのですが、中学3年生の彼女もまた、お鮨が大好きだということで、とてもほっとしました。楽しい時間を1時間半ほど過ごしたあと、断続的に一日中降っていた雨にもかかわらず、自転車で来たのでまたもや自転車で帰ることになったのですが、カッパを着て出発するまで、エレベーターロビーで待っていたところ、母がいきなり、私に、「太ったね・・・」と(笑)。そこでガラスに映った自分を見たところ、確かに太った(笑)。そこで、断酒計画を遂行しようと決意←かなり単純(爆)。

 

ここのところ、夏バテが続いていたので、ヤバイなぁとは思いつつも、ビールと枝豆と冷奴、だとか、焼酎ベースの飲み物と肴だとか、確かにものすごい確率で続いていたことは確か。それでも「食べてるなぁ」感がなかったのは、ごはんをまともに食べていなかったため・・・。うーん、カロリーとしてはまったく足りている、いや、むしろオーバーしていると自覚はあったのですが、体重が増えるほどではないと思っていたのであった。嗚呼浅はか(爆)。そして、体重計に乗ってみると、5キロも増えていた(爆)。2ヶ月くらい測っていなかったのだけれども、すごいだろ、これ・・・。

 

そして、真剣に振り返ってみると、週に4・5回ほど飲んでいたことが判明。そりゃー多いよ。私の場合、酔っ払うまで飲み続ける傾向があり、途中で止めるということができず・・・。晩酌などというかわいらしいスケールで飲むことはできず、翌日二日酔いになる勢いで飲んでしまうので、そりゃぁ熱量計算したらすごいことになるのです。

 

そこで、PTSD以来、ここ5年ほどは、週に1回か2回と決めていたのですが、ここのところ、暑さでバテていたので、気にもせずに際限がなかったことに大反省。昨日も飲んでいるし、気づくと、もうすでに6日も続けて飲んでいるではないですか・・・。ナニが週4・5日だか(笑)。

 

そして今朝、ものすごいカミナリの音で起こされてしまったのは、やはりアルコールを飲んでしまうと、眠りが一気に深くなったあと、次のサイクルで眠りが浅くなる傾向があるようで・・・。それもあまりいい傾向ではなく・・・。入眠がスムーズだからといっても、全体的眠りが良質なわけではない、というのが、アルコールのいけないところなのだった。特に疲れていないときにはわからずとも、ここのところ夏バテでやられていたので、早く起きていることにもっとすぐに気づくべきであった・・・(汗)。

 

アル中をしっかり自認している私としては、社交的な場でしか飲まないと決めていたにも拘らず、ここのところその禁を犯す傾向にあり、いけないことだと思ってはいたのです。しかも、産業カウンセラー講座後は、レッスンがなければ、ここのところ毎回社交的飲みをしていたし、誘われて断ることもなく、先週などは、外だけでも週3回も飲んでおりました。うがぁ・・・。

 

そもそも母も飲みたいので、ビールを買い置きするのがよくない・・・。しかも、手作りコーヒー焼酎だの、果実酒などを造っていることもよくない・・・。しかも、母はここのところ、ひとりでエクササイズ計画をみっちり立てており、そのご褒美として飲んでいるので、私にも勧めてくるのである(笑)。アイスクリームにしろ、お酒にしろ、彼女はどうしてもひとりで飲み食いすると罪悪感を持つらしく、どうしても私を誘うのであった・・・。

 

でも、断固として断ることを決めた明け方なのであった。

 

年齢を経てくると、昔のように体重を落とすことがどんどん難しくなり、今、どうしようと思っているのですが、とりあえず断酒だけしても、3キロは大丈夫かな、と。ものすごい熱量なので、それだけでもカットすればいける(笑)。わかっているんだったら、そんなに量飲むなよ、と思うのですが、いざ目の前にグラスがあると、ぐいぐい行ってしまうのである。弱い。あまりに弱すぎる・・・・(汗)。

 

いや、だからアル中なんだけどさ・・・。

 

そして、ネット検索をした結果、もうあと3キロほどは、ダイエット用のおかゆかゼリーかドリンクで1週間ほど集中的にやろうと決めてみた(笑)。1週間ほどであれば続くに違いない。それくらいであれば、私も意志が続くであろうと・・・。

 

20代・30代の頃は、飲みすぎて体重が増えると、断食を軽くできたものなのです。しかも、おなかが空くまで食べることがないやつなので、そのあとのリバウンドもそれほど激しくもなく、「ああ、このへんで大丈夫だ」と、素人ながらも成功する断食ができたのです。最高で10日やったことがありますが、フツーに生活できていましたね。ただし、勉強の能率は少し下がります。

 

が、今は教えている立場で、内容もそれほど難しくはないので、きっとイライラだけを気をつければ、仕事はしっかりこなしていけるので、3日くらい断食するのもいいかなぁと思っているところです。そのあと、ダイエット用の、カロリー計算されたおかゆかゼリーかドリンクを1週間やれば、断酒と併せて、きっと6キロくらいはいけるんじゃないかと。しかも、インターネットで買うと、翌日か翌々日くらいに到着するのである。便利な世の中になったもんだ・・・。

 

あ!まずい。9月6日には飲み会の約束が入っているのだった・・・。ということは、今日から3日断食して、29・30・31で、5日だけダイエット用のおかゆかゼリーかドリンクにして、1日お休みしたあと、また日曜日からやり直しってことか?うーん・・・。詳細はあとから考えることにして、まずは今日から始めてみませう。そして、母がやっているエクササイズプログラムを参考にして、私も腰をくねらせるコアリズムを毎日60分やるのはたいへんなので、もっと筋肉になるための腹筋と背筋をまず取り入れて、有酸素運動は母の健康器具を使わせてもらおう・・・。太ももやらお尻あたりの筋力をつけると、大きな筋肉なので、きっとカロリー消費には役立つのでしょう。しかも彼女は万歩計を持っているので、ちょっと借りようとも思っているところ。そしてまだ余力があったら、コアリズムをやろうと思います。

 

身につけたい能力

08/28/2008にアップした文章です。

そうなのか、そういうトレンドなんだなぁ、と改めて思ったのは、このランキングを見たため。若い世代の人々が答えるサイトだし(10代から30代くらい)、悲壮感もない、重くもない明るいノリの質問なのでしょうが、このカテゴリー分けというのは、最初からあったものなのか、それとも書き込み式で、カテゴリーが増えていったのか?がわからないまま・・・。が、たぶん最初からカテゴリー分けしていなければ、アンケートには答えづらいからきっとあったんだろうなぁ・・・。

https://ranking.goo.ne.jp/ranking/5076/ ナニが見えてくるのか?



  1. 交渉能力
  2. 行動力・バイタリティ
  3. 発想力・独創性
  4. 対人コミュニケーション能力
  5. 語学力
  6. 表現力
  7. プレゼン能力
  8. 決断力
  9. 判断力
  10. 専門性
  11. 理解力
  12. PCを使った情報処理能力
  13. 企画立案能力
  14. 論理的思考能力
  15. 情報分析能力
  16. 協調性
  17. ビジネス文章力
  18. リーダーシップスキル
  19. 情報収集能力
  20. 財務管理の知識

 

意味なくこの羅列にスペースを費やしている気がしないでもないのですが、ここに書いておかねば、話していることがそれほど伝わらないので仕方ない・・・。

 

この貼り付けたサイトには、他にもいろいろなランキングがあるので、見てみるとおもしろいかも・・・。それこそ自分の情報分析能力が試されるのかもしれず(笑)。

 

自分に持っていないもので、身につけたい能力という意味なのか、まだまだまったく足りないので強化したいものなのか、これじゃー単純すぎてわからず・・・。どうせネットを使ってアンケートを採るのであれば、主催者側として、もう少し有効で活用できるデータの採り方をしてもらいたいな、などと思ってしまうのは、見ている側の勝手というものなのでしょうが・・・(汗)。いや、でもそこが肝心である・・・。年齢はカバーしているものの、今の能力と欲しい能力の差異というのが、大きな参考資料であることは、差の美学がわかっている人には痛いほどわかるはずなのである。そこからすべてが始まっていくのであった。

 

しかももっと親切な場合、この20個の能力のカテゴリー分けというのを、最初にしておいてあげたほうが、答える側としてもかなりラクではある。たとえば、「理解力」ってどうなのよ?(笑)あまりに漠然としすぎていて、ナニを言いたいのか、私が被験者だったら聞いてしまうところである。理解していなかったら、交渉能力も文章力も何も始まらないのですけども・・・。さらに、プレゼン能力と表現力というのは、どこがどう違うのか?英語のPresentationという意味がわかって使われている語彙でないことは薄々感じていたけれども、Presentationの意味は「表現」ですから(笑)。その表現の中に、贈り物・拝謁・提出・紹介・提示などがあって、ビジネス界ではそれを「企画や商品の」という限定版になっているだけなので・・・。

 

私だったら、Input-Outputに分けてみたり、対人と作業対象に分けてみたり、と工夫を凝らしたいところだったけれども、まぁ、主催者ではないので・・・。

 

そうかぁ、交渉能力が必要だと思っているんだねぇ・・・。私はTough negotiatorなのです。校長センセが「思い切って休みなさいよ」と言ってくださっても、なかなか素直に休まないところを取ってみても、まぁ、呆れるくらいに理由をあれこれ挙げて、休めないことを固持するわけです(笑)。しかも、英語講師としては、アノ手コノ手を使って交渉しているような気分で、生徒さんが希望する点数やら能力段階までに到達することが実現するように話し合いを、レッスンと同様に大切にしているのです。私がいかにタフかと言うと、たとえば髪型はもう30年くらい変わっていない(笑)。途中、一度だけ長さのみは短く切ったんですが、髪型は変わらず。とにかく、Low Maintenanceでなければならず、癖毛を気にしないでいられないといけないので。多々髪型変更のネゴがありましたが、30年くらい変えていませんね・・・。ヘア&メイクのモデルのバイトをしていたときも、ドラマチックな変更がないものだけを引き受けていたという事実・・・。

 

交渉能力というのは、交渉する実現したいモノに対する想いの丈と、論理的な根拠が必要ですから、他の能力が高くないとなかなか得られるものではないですよね。たとえば、この20個の中でいけば、「表現力・プレゼン能力・決断力・判断力・(多少の)専門性・理解力・論理的思考能力・情報分析能力・情報収集能力」とざらっと見てもこれらは必要です。

 

しかも、行動力や発想力・独創性がなく、対人コミュニケーション能力がなければ、ネゴなど到底できるものでもないのでしょう。プレゼンそのものを誰かに丸渡しして、やってもらうのであれば別物ですけれども。

 

なので、映画Negotiatorでもあったように、交渉するというのはたいへんな仕事で、能力が必要なのよ・・・。でも、身につけたいと思うことはまったく間違いでもないので、これは「男は黙ってサッポロビール」はもう通用しないのがビジネス、ということを、みんなが理解しているってことなので、いいことなのだろうな、と思ったのでした。

 

対人関連能力がない人々が、やはり職場でのパワハラやいじめなどを仕掛ける側になるんでしょうね。たとえば、無関心などもそれですし。バイタリティという英語は、私は18年半住んでいるあいだ、Nativeから語られたことは3・4度しかありませんでした。日本に輸入されたときには、一体どんなシチュエーションだったんだろうか?むしろ、医学用語で使うと思うんだけどなぁ・・・>Check on his vitals(=Vital signs)とか・・・。でも、確かに元気な人が少なくなってきているような気はします。そりゃぁ、環境があまりよくない職場で、ずっと元気でいるのはけっこうたいへんなのかもしれないですけども。

 

身につけたい能力がわかっているのであれば、あとは修練あるのみですな。どうやったら身につくのか?というのは、若い世代の人々には、まずデキるビジネスマンやデキる人間そのものをよく観察していただきたいものです。私がラッキーだったのは、デキる人々とよく飲んでいたってことですかね(笑)。シリアスな仕事のあとに、リラックスしたムードの中、愚痴もあれば自慢もあり、その中で人としての品位を保っていつつ、ウイットに富んだジョークを飛ばしつつ、あらゆる人間の癖を「どんと来い!」と受け止める人を見て、「コレだ!」と思ったものです。

 

観察したあとは、Modeling(模倣学習)ですから、真似っこすることです。同じ状況や立場になったりしたり、似たことがあったときに、自分もそれができるのかどうか?と試されているときを増やしていくわけです。こうした小さいことの積み重ねは、きっと将来に繋がります。少なくとも、貧乏出身の私は、そう信じて生きてきました。不思議と渡米できたし、英語もできるようになり、ヘリコプターも飛ばせるようになった・・・。今は、昔じゃー考えられないほどゆったりした気分です。

 

そして、ハイパーな私の能力開拓はまだ続いていくのですが・・・。持っているポテンシャルを花開かせないことほど、もったいないことはないですからね。

 

裏表のある人とは

心理的な論理で説明できるのですが、むずかしいな・・・。(・・;)

 

ヒトの発達を単純化すると、

  1. 好き嫌いなどの感情中心
  2. 損得感情
  3. 美意識:モラルや自己の在り方など「美しくありたい」と思う気持ち

の3段階が大雑把な発達です。多くの人々は、大人になっても上位の3.を使うよりは、1・2を使ってしまうことが多いのですが、物事にはさまざまな軸があります。またもや簡単に分けてしまうと、

 

Time

Place

Opportunity

Person

の4分野になります。

 

この4分野のレパートリーがたくさんある中、自分の好き嫌い・損得・美意識などを深く考えて、Trial & Error を重ねた結果、「一貫性」のある自分の法則を見つけることができたら、とってもラクで楽しいのですが、そうもいかないようです。なぜならば、やはりヒトは人との繋がりに「好き嫌い」「損得」を多く入れてしまうため、本来の自分の総合体である姿に近いものを妥協しても、「その場をやり過ごすことができるなら」と裏表になってしまう「演出」「アレンジ」をしてしまうんですね。

 

好きな人に嫌われたくないがために、自分が損をしても、醜い姿になっても、と嘘をついてしまうこともあれば、嫌いな人にもご機嫌を損ねると自分が損をしてしまうのでまた嘘をついてしまう、など、まぁ、さまざまな歪んだバランスの悪いことをしてしまうわけです。

 

それがバレてしまう状態が、「裏表がある」というところです。

 

では、どうすればいつも「表でいられるのか?」を考えてみるといいのです。

 

この「表」である「一貫性」を保つには、自分探しをしてみて、最も心地よい状態を見つけて、それに沿った場に生きて、仕事をして、人々に囲まれて、無理のない時間を過ごすことが必須なのですが、まぁ、けっこうたいへんですよね。

 

これこそがストレスの原因になっていることにも気づけると、また考え方が変わってきます。

 

裏表のある人を廻りから排除したほうが、生活はうんとラクで楽しくなります。裏表がまったくない人はいないんじゃないか?と人々は言い訳をして、かなりな裏表を自分には許すのですが、他人にはなかなか許さない、という点についても考えてみてください(笑)。自分の胸に手を当ててじっくりと考えてみると、自分と似たようなジレンマに陥っている人に優しくすることができるようになります。

 

私個人は、15歳のときにOL(この言い方もとっても古い!Office Ladyという和製英語です)にならないと決断し、それをなぜかちゃーんと守ってきてしまったのですが、これに関しては、かなりすばらしい決断だったと信じています。そういう意味で、表ばかりで生きられるようになり、「表じゃないけど、マナーくらいは知ってるよ」を出すことに、自分がストレスを感じることが確認できるようになりました。

 

日々、是、楽し。



結婚という形

08/27/2008にアップした文章です。

もちろん国家としては、人口が増えたほうがいいし、生産性が増えたほうがいいのだけれども、アラフォー・アラサーなどという、この英語を略語にしてしまい、まったく元の意味がわからなくなっているような言葉が定着しつつある中、結婚をしなくても幸せに生きていけると思う人が増えたというのは、私にとってはいい傾向のように思えます。だけど、そんなことも単純に言えることではなく、ただただ個人が望む通りになるかどうか?というだけではなく、よそ様や他人の思惑というのも大きく個人の意志に影響されるんだよなぁ・・・。だから面倒だ(笑)。

元記事はコレ>

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20080827-OYT1T00027.htm?from=rss&ref=mixi 

※注 過去の記事のためリンクが切れています。

なんだかあまりに簡素に感じたので、こんなにたくさんの統計を見てしまいました。ものすごい時間がかかるので、みなさんは小出しで暇なときに見てくださいね。気が遠くなるくらいのいろいろな側面から見ています。でも、これくらい見たほうが、きっと見えてくるものがたくさんあるんだろうなと思えるのでした。

http://www.ipss.go.jp/site-ad/Database/database.html 

「いずれは結婚したい」と思う男性が、97~99%で圧倒的だったのに比べて、21世紀を超えてからは「生涯結婚するつもりはない」と答える人が10%近くに達しています。女性は、そもそも4~5%だったところが、21世紀を超えて、7~9%くらいに推移しています。これはナニを意味するのか?けっこうおもしろいなぁと。私は少数派だったので、10代の頃、18歳までに結婚相手が見つからないのであれば、もう生涯結婚しなくてもいいなと思っていた極端なやつだったので、まぁ、結果的には入籍はしましたが、自分だけではなく、誰であっても「特に結婚を人生に不可欠な通過ポイント」とする必要はないと思っています。心から、他人を結婚していないということで低評価することはありませんね。だって、していない人の中で、「どうしても死ぬほどしたいけれどしていない人」と「まったく興味がなくしたくない人」では見方が違って当然ですし、イチイチひとりひとりにインタビューをして行脚するわけにも行かず・・・。結婚をしていない、という事実だけでは、何も構築できないです。

 

エゴグラムを分析してくださった校長センセいわく、私はヤクザの親分か看護婦長っぽいところがあるらしく、人様に命令をしたがる、という印象が強いらしいのですが、私は他人に命令はしませんね・・・。結婚に関しても同じことで、したきゃすりゃーいいし、したくなければしなきゃいい。他人のことに関して、最終的には自分で決めるんだろうから、私がルールを作ったり、すべき・すべきでない、などという指標を設定するようなことはありえず・・・。我慢して言わないわけではなく、本当に他人のことは他人が自分自身で決めたほうがいいと思っているわけです。私がそのように扱われてイヤだったがゆえに、他人にはやらない、というモットーは今も生かされています。

 

ひとつには、女性の社会進出がスピードは遅いとはいえども進んでいるせいなのか?と思えます。女性のほうが家事もできるし、ひとりで生きて行くには不自由はない・・・。むしろ、恋愛したり、子育てをしたり、家事に振り回されたりしないほうが、女性の場合老けないし・・・。だからこその、抵抗の証が少子化なのでしょう。結婚年齢も上がっており、非婚を結果的に選ぶ人々はますます増えていくのではないか?と思われ、社会もその受け入れを考えないと、ますます子どもは生まれないのであった・・・。

 

さらに、Homosexualについての考え方が少し浸透してきたのかもしれません。政府が認めない限り、同性同士の婚姻ができなければ、非婚しかないわけで・・・。このあいだも、Ellen DeGeneresとPortia De Rossiの結婚があり、ふたりの写真を見てなんだか泣けた・・・。いや、私は1日1回は泣くので安っぽいんですけどもね・・・(汗)。ただし、私が不思議なのは、日本ではまだまだ一般の職業に就きつつ、異性愛ライフを満喫することはなかなか難しいようで、マスコミに出たり、水商売をしたり、というのが生活の糧の中心なのが、どうもまだまだな気がします。

 

いろいろな統計を見ていて思うのが、やはり「まだこの人と思う相手とめぐり合っていない」と感じる人々が多いから、独身でいるというもの。そりゃー、この人!と思わなければなるべくなら結婚しないほうがいいです。が、お見合い結婚のように、知り合ってから恋愛することもアリだし、結婚生活の中でどんどん好きになっていくこともアリだし。ただ、好きになっていく予感がなければ、結婚そのものが間違いだろうとは思うのですが・・・。

 

これだけ一般市民の行動範囲が広くなってきたにもかかわらず、やはりまだまだ人々は、理想の相手にはまだめぐり合ってない感というのを持つんだなぁ・・・。行動範囲が世界中に広がっても、木星や火星に行けるようになってもきっと人々はそう思うには違いないと、勝手に思うのは私だけなのかしら?(笑)

 

この統計の中には、同棲をしたことがある・ないについても尋ねており、昨今は増えてきたに違いないと思っていたら、まだ1割に満たないくらいなんですねぇ・・・。うひー、保守的なんだなぁ。アメリカでは、結婚する前にいっしょに住んでから決めたほうがいい、という風潮があるので、これにはびっくりしました。家と家との繋がりがそれほどに大重点がなければ、トライアル期間は大切だと思えます。結婚してしまってから、いっしょに住んでみてやっぱり違ったというのは悲惨です。新婚旅行だけで離婚する人々もかなりいますから、やっぱりこれくらいの儀式はしておいたほうがいいような・・・。

 

とはいえ、アメリカの場合、この風潮があっても離婚率は高いのでなんとも言えませんが(汗)。私も入籍する前に何年かいっしょに住みました。「長すぎた春になるかも」という懸念もあるらしいのですが、私はどちらにしても結婚しなくてよかったので、してしまったことに関して、むしろ「軽率だったかも」とすら思っているくらいです(笑)。今でもたまに西さんと籍については話すのですが、無理やり今の状況を変えようというところまで情熱がない感じですし、籍を変えようと変えまいと、心も生活状況も変わらないことは確かですしね・・・。

 

哀しいことに、未婚者の1割以上がすでに、子どもは欲しくないと言っています。結婚する意志がある人に関しては、6%が要らないと言っており、結婚は生涯しなくていいと言っている人では、58%に達しています。国力はこうして減っていくのだろうな、とは思うものの、では誰がどのような子どもを何人産めば足りるのか?ということに関して、私にはまったくアイディアがないです。私も産んでないですしね・・・。

 

子どももあまり欲しくない、結婚もさほどしたくない、という人生はどうなのか?いいんじゃないのかなぁと、私は思うんですが、模範的国民としてはダメなんでしょうねぇ(苦笑)。しかも、結婚という形をとらず、いっしょに住んでいて、深い愛情生活を過ごせている人々にとっては、このような統計はどうでもいいことなのかもしれず・・・。誰のビジネスでもないことに見える結婚は、実際のところ、国を挙げての憂慮に繋がるって、ちょっと重いのでしょうね。だから、未だに親御さんの許可が欲しいだとか、人々から祝福を受けたいという希望になる・・・。私はエゴグラムのACがゼロですから、誰かに認めてもらうだなんて仕事だけにしたいですし、No!とはいつも言えるやつでいたいと思っています。

 

うーん、結婚だけでもけっこういろいろなことが詰まっているもんだ・・・。

 

身障者の雇用

08/26/2008にアップした文章です。

日曜日、私が知らなかった情報を聞いたので、ちょっとだけびっくりしたあと、やっぱりなぁと呆れたので、少し反応が遅くなってしまいました。そもそも、日本の社会というのは、身障者にまったく優しくない造りになっており、そのせいなのか、その上なのか、健常者からの理解も低い。そして、私が聞いたニュースとは、一般企業への身障者雇用率の義務化を守っていないという現状。うひー、義務化されたのにやってないのかよ!という、この「企業理念をアピールする風潮」の中、口先三寸を具現化している大企業の体質に、さらに落胆させられたのでした。もちろん、全員を対象に文句をたれているわけではなく、やっていない企業に関してですので、誤解なきよう・・・。



私が帰国してからまだ2年ほどなのに、すべてを把握しているかのような口ぶりで、ある会社に勤める彼は、「うちはあの、ほれ、身障者雇用枠で、ほうれん草を作っているわけよ」と言われたもんで、「ん?あの身障者雇用枠というのは?」と思ってしまったわけです。

 

歴史的な障害者雇用の推移はこちらの通り>

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9A%9C%E5%AE%B3%E8%80%85%E3%81%AE%E9%9B%87%E7%94%A8%E3%81%AE%E4%BF%83%E9%80%B2%E7%AD%89%E3%81%AB%E9%96%A2%E3%81%99%E3%82%8B%E6%B3%95%E5%BE%8B 

 

http://www.jeed.or.jp/disability/employer/employer01.html 身障者と高齢者のための独立支援団体のHP。これによると、300人以上の従業員を持つ企業は、1.8%の率で、障害者を雇用しなければならないことが義務付けられており、それに従わない場合、罰金を1人につき月額5万円、年間で60万払わねばならぬ、ということ。

 

ところが、JAL(日本航空)が2000年に訴えられたわけです。1.8%の規定を大きく下回り、日本の平均であった1.4%ほどをも下回り、「罰金だけ払っておけばいいと思ってるんだろ!」と指摘されてしまったわけですね。そして、和解までに達したということらしいです>私はその頃日本にいないので、本当にまったく把握していないのですが・・・。

 

私がその頃住んでいたシリコンバレーは、カリフォルニアで賃金の高さで評判の土地で、地価ですら、マンハッタン島に続くほどに高く、物価もソコソコ高かったのではありますが、環境としてはよかった・・・。教室や会社に犬を連れていってもいいことにもびっくりさせられたり、それが身障者のための介護犬でないことで二度びっくりしたり、という日々が続いていったのです。

 

街中には、2つトイレブースがあったら、1つは必ず車椅子が入れるようになっており、あちこちに段差がなく、身障者用の駐車場が建物への最短距離の場所にたくさんあり、ステッカーをつけている車も山ほどあり、スーパーや学校でも車椅子だけではなく、さまざまな身障者がフツーに生活しており、誰かの介護なしでひとりで行動している人も相当な数がいて、最初の1年くらいはそわそわしたものです。大丈夫なのかなぁと。大丈夫というのは、私に迷惑がかかるなどという観点ではなく、「もしものことがないのかしら・・・」ということでした。ところが、養護学校や職業訓練なども、その気がある人々にはかなり拓けており、実際に労働している人々も多く、私ごときが心配するようなことではなかったのでした。まぁ、それを知るまでに、1年くらいは軽くかかってしまったのだけれども・・・。

 

日本に戻って来て、違和感を強く感じるのは、やはり身障者がまったく外を歩いているところを見ないことです。たまに見つけられたとしても、ひとりでいることはほぼなく、誰か介護者がついているか、小団体で動いています。他人様への迷惑というスタンダードが効いているのでしょうが、本当に彼らが何かをしたときに迷惑なのだろうか?と、私などは思えるのです。

 

私が、アメリカの学校やスーパーやモールなどで、身障者をさりげなく手助けできるようになるのは、それまた1年後くらいのことなのですが、ナニが1年も掛かるハードルになっていたのか?と問われると、一重に私がひとりで勝手に構えていたから、という理由だけなのです。エスカレーターにしろ、入り口のドアにしろ、健常者も身障者も目的はひとつで、スムーズに移動できればいいだけのことであり、特に大きな違いなどはないのでした。私が椎間板を2枚失い、ウォーカーを使って歩く日々が2ヶ月くらい続いたのですが、そのときも人々はうんと優しかった。「自分だったらこうする」という気持ちだけで充分だったのです。

 

職場にしても同じことで、能力や性格の差など、今にしたって健常者同士のあいだで、細かく言えば山ほどあるわけです。なのに、身障者が入ると能率が下がる云々と思ってしまうのはなぜなのか?勝手な先入観以外のナニモノでもなく・・・。

 

知的障がい者の場合は就業場とその仕事内容を設定する段階で、少し難しい場面があるかもしれません。が、私が見ていても、IQ70ギリギリ(普通クラスと養護クラスの差はこのラインなのがアメリカ)の人々よりも、何も考えていない健常者というのはかなりたくさんいます。考える能力があるのに使っていない、というやつです。なので、特に大きな問題などは生まれないと思えるのです。小さい問題であれば、健常者の集まりの職場でも、ボタンが掛け違えまくっており、日々みんなで「ストレス!ストレス!」と騒いでいるわけではないですか・・・。

 

私の最寄り駅である調布も、特急が停車する駅で、京王相模線へと岐路に立っている主要駅なのに、エレベーターがありません。車椅子の方々は、そのレールの補助器具をスタンバイするためだけに5分から10分は待たされる羽目になっています。エレベーターがあれば、他人に依存している意識も芽生えず済み、時間もうんと短縮できるのに、です。そして、今やっと着工しているのですが、一体いつできあがるのやら・・・。高架になるので、その一貫でつくり始めただけで、何も身障者のためではないところが、どうも腹立たしいというか・・・。

 

実は私も障害者手帳がもらえる立場にいます。もらえるものはもらっておけ、という方々がかなり居る中、私はもらうことを拒否しています。投薬をする意志がないことなど、お上に納得していただけない依怙地さもあることですし、税金は他のことにもっと有効に使ったほうがいいですから。

 

私ですら、就業していられるのだから、きっとやる気になればみんなできるはずで、健常者の方々は、おそらく身障者のポテンシャルに、まったく目を向けておられないのではないかと思えるのです。そのための映画Rainmanには泣けたはず。その理由は、主人公のRaymondが哀れだったり、わかりあいたい弟を深く知ることがないことへの絶望や憐憫ではなく、ありのままの姿をしっかり受け止める覚悟がある人間なのかどうか?を、自分について確かめられるからだと思えてならぬのです。どこかで誰かに積極的ではなくとも同情しているのは、少し違うのかもしれません。

 

自分だって、健常なだけであり、実はどこかが驚くほど水準から見ると曲がっていることだってあるかもしれない。そう思えば、ひとつの側面でしかないものに、大仰に目くじらを立てたり、偏見や先入観を持つことなどないのです。罰金さえ払ってりゃいいんだろ、の大もうけしている会社には、ぜひぜひ腹を立ててみてください(笑)。