なぜ勉強するのか?

01/29/2008 にアップした文章です。


最初に受験生に逢ったときに、私はこれを聞いてみました。「いい大学に入りたいから」という答え。「ではなぜいい大学に入りたいのか?」と聞いてみると、「いい会社、安定した仕事に就きたいから」という答え。「なぜいい会社、安定した仕事に就きたいのか?」と聞くと、「ちゃんと食べていけるようになりたいから」とのこと。間違った答えではないのだろうけれども、3人いて、3人から同じような答えをもらったあと、私は今後、これをみんなに聞いていかねばなぁと思ったのです。統計を取ることに生命を燃やしているわけではなく、教える側として、「学ぶヨロコビ」をどうしても、瞬間でも、得てもらいたいと意地のように思ったわけです。

意地のように思ったわけではなくて、もう、これは本当に意地なんだろうなぁ(苦笑)。

意地:(1)自分の考えを通そうと思う気持ち。強情な気持ち。(2)気だて。気性。心根。(3)物をむさぼろうとする気持ち。特に、食べ物に対する執着。(4)〔仏〕 六識(ろくしき)のうちの、意識。心のはたらき。

勉強:(1)学問や技芸を学ぶこと。学習。(2)ある目的のための修業や経験をすること。(3)(商人が)商品の値段を安くして売ること。(4)物事にはげむこと。努力すること。(5)気が進まないことをしかたなくすること。〔(4)が原義〕

学習:(1)まなびおさめること。勉強すること。(2)〔生〕 生後の反復した経験によって、個々の個体の行動に環境に対して適応した変化が現れる過程。ヒトでは社会的生活に関与するほとんどすべての行動がこれによって習得される。(3)〔心〕 過去の経験によって行動の仕方がある程度永続的に変容すること。新しい習慣が形成されること。(4)〔教〕 新しい知識の獲得、感情の深化、よき習慣の形成などの目標に向かって努力を伴って展開される意識的行動。

私は子どもの頃には、まったく勉強のヨロコビというものを知らないでいたかのように誤解されるのですが、学校での勉強が嫌いだっただけで、学ぶことについてはとても楽しく感じ続けていたのです。学習と勉強は、おそらく違うものである、ということを疑い始めたのは、それよりずっと後の渡米後の英語学校でのことで、それも勉強と学習の違いをそれほど意識したわけではなく、大学に戻って心理学を学び始めたときに、はっきりとわかるわけです。英語でいうところの、Study vs. Learningの違い。私は学ぶことは歓んでしたのですが、どうも勉強はやりたくなかったようだ・・・。それでも、避けて通れないことがわかり、「学ぶためには勉強もせねばならないので、Give and Takeだからがんばろう」と自分に言い聞かせていくことを、30歳過ぎてようやく学んだのですな(笑)。

私自身が30歳過ぎてから学んだことを、どうして10代の子どもたちや、英語学校の若い生徒さんたちに押し付けることができるものか!と思いつつ、30歳まで待たずとも、もっと早く学ぶヨロコビがわかってもらえれば、そのあとの人生はうんとラクになるのではないか?と、日々励んでいるわけです。

私の生徒さんの中には、高校生の女の子がいます。毎週3時間もいっしょに学んでいると、彼女のバックグラウンドや家族や考え方などがよくわかってきます。彼女は、やはり勉強は面倒くさいと思っています。ただし、とても優秀です。学校では、学級委員だし、英語のスピーチ大会にも進んで出るし、目標は親掛かりではあるものの持っているし、なりたいものも薄らぼんやりではありますが、絞れてきています。何よりも、彼女がステキなのは、「どんな人間になりたいか」がわかっていること。「あれやこれをする人間にはなりたいけれども、あんなことやこんなことだけは絶対にしない人間でいたい」ということを、熱く語ってくれます。いや、最初は言葉少なで、私も苦労したんですが・・・。

彼女の家は、裕福なので、私はお母さんにお願いして、Discoveryチャンネルを入れてもらい、毎日30分番組を2本か、1時間番組を1本、英語で見てもらうようにしています。自然と、ボキャブラリーが1日のうちに30個くらいは増えるためで、彼女が嫌いなジャンルである、生物や科学全般や歴史や社会科学が満載だからです。この作戦はうまく行っており、彼女は事件モノに嵌まり、なぜ?を追求したくなってきたようで、ミステリを解くためのツールをだんだん手に入れてきました。ヒントを拾い集めるアンテナを持つことは、テストでも技術とは言え、有効な武器です。

もうひとりの高校生の女の子は、ホームステイでNew Zealandに4月12日まで行っており、最後のレッスン日には、Hugをしてさみしい気持ちになってしまいました。今頃どうしていることやら・・・。3週間に一度、親御さん経由でお手紙を書いてくれるように頼んだのですが、まだ3週間経っていないので、第一便は来ません。彼女は、とにかく聴けて話したい!とだけ思っており、読み書きを避けたいと思っています(笑)。

みんな、学校から押し付けられた勉強をせねばならず、本当に気の毒だと思うのです。文部科学省もかなりいい加減なことは自明で、いじめによる自殺を認めなかったことははるか彼方の過去の出来事のようですが、今も続いています(新しいニュースがどんどん出て、みんな忘れていくのよね・・・)。円周率はいまだに3.0ですし・・・。http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/youryou/111/020101a.htm 言い訳はいろいろしていますが、本当に各小学校で、この理屈を反映させているかどうかは疑問・・・。

勉強だから、決められたことだから、というのがネックになっており、自発的なやる気は、むしろ勉強よりも「学習」に大きく因ります。成果が出る、だからまたやってみる、楽しい、さらに続ける、というプロセスです。指導する側のほうは、苦労して勉強ではなく学習を試みているのでしょうが、大企業のセミナーなどを見ても、「会社がやっているんだから、出ないとまずいだろう」と思いながら来ている人たちは、欠伸をしたり、それこそ居眠りをしたりして、ほとんど聴いてもいません。おもしろければ起きているんでしょうが、おもしろくないんでしょうね・・・(汗)。参加型のセミナーは増えてはいるものの、義務感を拭わなければ、なかなか実に結びついていきません。

私は予習は一切出さない主義です。ひとりで悶々とわからない問題が出てくるかもしれない練習問題を、忙しい人々にさせるのは気の毒すぎます。それよりも、ちゃんと授業を受けたあと、理解したかどうか、解けるかどうか、で、自分の学習度合いをわかってもらったほうがいい。しかも、私は体調チェックを怠りません。ダメなときもありますさ、と励ましています。寒いとジャミラみたいな肩で教室に来る人がいますが、そんなに凝り固まっていたら、学ぶ体制じゃないですもん(笑)。

昨日の自分より今日の自分、少しくらい休憩してもいいから、明日の自分はもっと成長していたい。そう思ってもらえるために、学習はしてもらいたいですが、勉強はソコソコでいいんでしょうねぇ。IQだけで人の賢さを測るのではなく、EQ(Emotional Quotient:情緒指数)とのバランスを考えないといけません。校長センセが普段からおっしゃっている倫理観やモノの考え方というのは、ここに大いに関連していると思うのです。

勉強するのが楽しくて仕方ないと思うようになるまでには、「たくさんの学習の成果が続くこと」が必要になってきます。西さんも旧帝大を出ていますが、「勉強なんてつまらなかった」と即座に言います。でも、大人になってからは、なぜか勉強も楽しいようだ・・・。私も大人になるまで楽しいと思えなかったのだから、若い生徒さんたちには、どうしても押し付けることなく、「たくさんの学習の成果が続くこと」を体験してもらいたいと思っています。

そして、今日は、受験生のお守り代わりに持たせるものは何がいいのかなぁと考えているところです。

Yes-No Questionsで話す?

01/28/2008 にアップした文章です。

いわゆる、相手に有無だけを訊く質問をする人のことを指しているのですが、私はこれが多くなると、自分がどうしても嫌になってしまうのです。英語を教えていると、わざわざYes-Noを明確にせねばならぬ事項は、いわゆる5W1Hの質問をしてキャッチボールをする、物事の進捗や状態がわからないからこそ話す、というコミュニケーションの領域にはならないわけです。たまにYes-No  Questionsが混じりこむのは、念押しや状況把握などを確認するためのツールなのです。日本語でも注目してみるといいのですが、英語ができないから、Yes-No  Questionsをしている場合と、日本語からして念押しや自明のことを他人に尋ねている人がいて、なんだか見ていておもしろいわけです。いや、おもしろいのではなくて、「どうして?」と思うのかな。

「あなたは本気でこの仕事を終わらせる気持ちがあるのですか?」などと言う人がいたら、どんなに鈍感な人でも、責められていることには気づくでしょうし、何度も何度も「本当ですか?」などと言われたら、「うひー、まったく信頼されてないよ・・・」と思わなかったらまずいです。これほど極端ではなくとも、口を開くたびに、ただの確認を(仕事の進捗方向が正しいかどうか、お休み時間なのでランチに出かけてもいいかどうかなどの許可、判子をもらえるかどうかの依頼などなど)するのは、どうも味気ない・・・。見えない路線があって、そのレールの上を滑っている最中に、線路が続いていることやスピードが遅かったり速かったりしていないかどうか、のマニュアルに則った流れになるわけです。

Yes-No Questionsの害のほうを考えると、たとえば、学校などであったテスト問題に直すと、2択や4択ばかりに強くなり、書き込み問題や作文問題に弱くなる、というような気がしています。とは言っても、悲しいことにその形式の問題ばかりが増えており、採点するにも採点者にお金を払わねばならぬ、というマンパワーへの代価があるので、仕方ない傾向なのかしら・・・。

それは、日本語が持つ、「推測しやすい」「洞察力が持ちやすい」「他人に共感できる」という側面がもたらしているのだろうと思うのです。だからこそ、他人やある物事に対して自分が推測したり、洞察したものに関しての「確かめ」をするということが多くなる。ただし、それがあまりに多くなると、「当たり前のルール」「常識」を廻りに押し付けられたり押し付けることにもなるマイナスの側面を持つわけです。他人に語らせる前にこのYes-No  Questionsを投げかけてしまう人や場合は少なくありません。親が子に、上司が部下に、先生が生徒に、と、大いにこの「相手に語らせることをしないYes-No  Questions」が横行しています。そうなると、コミュニケーションの質は大いに落ちるのかもしれないなぁと、ふと考えたりするわけです。

日本語は英語やその他の言語が持たない、いいところがたくさんあるので、他言語がいいところとしているところを、積極的に真似ていけば、さらによくなると思うわけなんですよ。

なぜ?どのように?どこで?誰と?誰が?誰の?どれが最も?いつ?などなどを駆使していけば、会話というのはもっと個人の頭の中や心の中を覗ける、いいツールになるわけです。あまり不躾に踏み入ることはオススメしませんが、ある程度の距離感を確認したあとであれば、Yes-No Questionsよりずっと深みや幅をもたらしてくれる豊かな会話になっていきます。

それをベースにして、他人に対するときにも慮り、他人の事情をすべてわかっていないのだ、という前提で話をすることができるようになると思うんですよ・・・。わからなかったら、勝手に推測したり、平均値の中に話し相手を入れ込んでしまうのではなく、直接本人に、尋ねられる範囲で訊ねてみる。これは大切なことだと思います。言いたくないことは言いたくないと言えばいいだけのことで、「言いたくない」とそっけなく言う人ばかりではなく、「ただ必要資料かと思って質問してみたのだ」という概念が浸透していけば、不愉快になる確率はぐーんと減っていきます。

英語ではそのような距離感の取り方は、かなり楽しく展開されています。よく話す人はあけっぴろげに、知り合いにでもいろいろなことを話してくれますが、あとあとよく考えてみると、誰かを傷つけているわけでもなく、個人情報をばら撒いているわけでもなく、話を聞かせてもらった私の知識が増えていた!というようなことが、よくありました。

私は行きつけのお鮨やさんでよく、「あなたはハーフ?日系人?日本人?それとも他の血も混ざっているの?」とよく訊ねられていて、この一見、Yes-No Questionに見える質問も、実は幅のある選択肢であることが、あとあとよくわかったものです。ひとつひとつを区切って質問するとYes-No Questionなのですが、いっぺんにこの可能性の幅を入れてくるので、大して気にも留めず、すらすらと「純血の日本人よ」と答えていたものなのです。そのあと、畳み込むように、「こちらには何年住んでいるの?」と来る。そして、日本文化(まぁ、鮨やなので、鮨のネタが多いんですけども、どんどん展開してゆくのですよ・・・)へといろいろな話ができて、私も聞かれた分だけは、相手の文化について質問を投げかけていく。比較対象をするために会話をしているわけではなく、「違うおもしろさ」や「偶然のような、けれども理にかなったここでの出会い」についても話す。そんなことが度重なると、政治についてや世界平和について、哲学的思考などが盛り込まれるような話ができるようになっていく。たとえ、きっかけがお鮨や映画や折り紙であっても、です。

私はまともなお勤めをしたことがないので、制限を加えられたことがあまり記憶にないのですが、ウェイトレスをしていた16歳から24歳までのあいだですら、「お客さんとこんな話をしてはいけない」ということは言われたことがありません。メニューに載っているのに、「こっちのほうがおいしいですよ」とオススメしても、怒るような上司(社員さんなのですが)はいなかった。

英語学校にしては変な宿題なのですが、『自分の泣けた映画ベスト3』だとか、『裁判員制度になっていいことと悪いこと』『10億あったらどう使うか?』だとか、いろいろ投げかけをしています。ただし、『10億あったらどう使うか?』の質問などは、石川遼選手に関しては、現実の悩みになっていくんでしょうねぇ・・・(笑)。などという冗談も忘れずに入れています。「練習問題はできましたか?」では芸がなく、「どの練習問題ができなかったのか、その理由は考えてみましたか?」などと、ひねるようにして、例題をいっしょに見てみることにして、大勢の中で、みんなができないであろう問題をやったり、優先順位をつけて「今はこれだけマスターしましょう」と、ゆとりを持たせて、質問をバンバン受け付けることにしています。ただし、生徒さんには、「なぜ?」「どのように?」などは、自分である程度まで考えてきてもらってからでないと、受け付けることはしません(笑)。質問に質問で答えることもしばしばです←掟破りなのだけれども(笑)。

ぜひぜひ自分の会話が、Yes-No Questions寄りになっていないか、確かめてみてください。特に家族に「ねぇ、シャンプーはこれを下ろして使っていいの?」「パンツが見当たらないんだけど、私のパンツある?」「ねぇ、最近、オレ太ってきたと思わない?」などという会話では悲しい(笑)。せっかく、パートナーが「何が食べたい?」と訊いてくれたのに、「何でもいいよ」では切ない(笑)。Yes-No Questionsではない質問にも、相手が望むことを答えられているのか?を自問してみるのもいいです。会社では、しょうがないのかなぁ・・・・(汗)。

紀久美先生へのQ&A~心理学講座編~その84

恋愛と結婚は別なんでしょうか?

恋愛と結婚が別だとすると、人生そっけないものになりませんかね?恋愛は夢で、結婚は生活だという人がいますが、その点と線をしっかり結ぶことができればこれ以上嬉しいことはないんじゃないでしょうか?

つい先日もレッスンで、Attachmentを学んでいただきました。この世に生まれて、一番最初に「絆」を形成するメカニズムについて学んでいただき、その後、その絆があらゆる人間関係に関連していくことを、びっくりするほどの符号を見つけたことに生徒さん達は喜んでいました。

どのように他者(心理学では自分以外の他人は全て他者と呼びます)と関わっていくかというのは、この絆の強さによってなぜか方向性が決められてしまいます。人間関係そのものに希望が持てるかどうか、自分の態度がその絆の直接的な相手にどのように受け止められるかなど、赤ちゃんの頃に学んだことが強く染み込んで残っていくわけです。

この絆の強さによって、恋愛と結婚は別だという人たちが増えるんでしょうね。

結婚する時に、たくさんの条件を並べていく人たちがいます。年収・学歴・家柄・身長や体重・職業などなど、 個人の人間性を反映するものなのかもしれませんが、主体ではないと思います。これらの条件に対して大変に厳しく、ぴったりマッチしていない場合には結構に至らない、という人々やカップルも沢山見てきました。

もちろん、生活していくのにお金を得るための職業や、それから得られる年収は大切なことです。けれども、社会はどんどん変化しています。1970年代は鉄鋼・銀行が盛んでしたが、 ITの時代になり、士業が安定的だと長く言われていましたが、昨今はそれほどでもありません。医師はブルーカラー化するほどに 長い時間や厳しい仕事を迫られていますが、それほどの報酬があるわけでもありません。

生きていくということは、基本的には、自分の糊口は自分でしのぐことができたほうが、恋愛の次に結婚というステップが踏めるようになるはずです。誰かが誰かを養い、それを当てにして生きていく、というスタイルでは、社会が変化した時にでも弱い存在になってしまいます。

恋愛と結婚を同じものにできる人は幸せではないでしょうか?もちろん、ここでも多様性が高くても OK ですから、専業主婦になりたい人や、主夫になりたい人がいても問題はありません。根本的には、恋愛の頃のような情熱や恋する気持ちが、ずっと続くことが大切なのかと思います。いつのまにか家族になってしまい、恋する気持ちがなくなって、人としての情だけで繋がっていくという夫婦もよく見かけます。それを自分が納得できるのであれば、それもありなんでしょう。ただ恋する気持ちがずっと繋がっていくことは、かけがえのないものだということだけは伝えておきたいです。

寝ても寝ても寝足りない

01/27/2008 にアップした文章です。

1月2日からずっとお休みがなく、朝から晩まで働くことが日常になっており、休んだほうがいいとは思うものの、受験生をふたり面倒見ていたら、もうひとりお願いしますと申し込まれてしまい、講師冥利には尽きるものの、いかんせん、あと1週間で受験は開始し、その後、後期分も入れれば、わずかに1ヶ月が勝負。「結果を短期間で出す」と評価してもらったのはうれしいのですが、断れなくなっていることは確かで、私はまるで自分が受験生になったかのように、くたくたに疲れています。そのせいなのか、寝ても寝ても寝足りない状態なんですよ。ふぅ・・・。

英語学校のほうも、キャンセルなどできるわけもなく、むしろ、職場としては楽しいのだし、みんなに教えているほうが私だけの力で引っ張るわけではないためラクではあるし、マンツーマンの生徒さんも、切羽詰った案件はまだないです。おかげさまで、目標時間のノルマをまだ破ったケースはひとつもないのですが、悲しいことにカウンセリング段階で、勉強時間が取れない人には「もう少しかかるよ」などと言わせていただいているので、それは当たり前のことなのでしょう。私が引き受けて長くおつきあいする分には、留学にしろ、各種試験にしろ、やはり本人の目標までは行ってもらいたいと思っており、そのためにであれば、添削もすれば、ジャーナル読みもすれば、資料集めもします。お金にならない時間は増えますが、歓ぶ顔を見られる確率は増えていきます。

そうしたデッドラインやノルマに囲まれていた学生時代は、それはそれは気持ちのいいものでした。おかしいって!?(爆)いやー、私は小さくとも目標がきびっと決まっている暮らしをするのが大好きで、学生であるととてもそれが明瞭で、「何曜日までに何章までを通読して、マーキングを終了」「何曜日までにまとめを終了」「何曜日までにテスト前までの仕上げを終了」「何曜日までにレポートを終了」などというわかりやすい目標は、むしろラクでした。マニュアル人間的資質(誰かに何かを「こうあらねばならぬ」「こうすべき」と言われてやること。自らの裡から出ているわけではなく、「当たり前のことだから」「決められているから」と抵抗なくこなすこと)が、私の中にはいくばくかあり、それに一ひねりするのが、「自分がやりたい!」と思うプロセスを加えることなわけです。その「自分がやりたいプロセス」には、「どうしてこれをやりたいのか?」「やるとどうなるのか?という全体図・大きな図柄の把握」「やらないとどうなるのか?」などの小項目が付け加えられるのですが、そのおかげで、さらに本当に自らが自分の意志でやっている、という実感になり、「やらねばならぬ」が、英語で表現するところの、must/shouldからhave toになり、他人のせいや世間のせいにはしなくなります。

それを長く続けていくと、他人をアテにしたり、世間を恨んだりバロメータにすることがなくなってきて、もちろんこれにはマイナスもあるのでしょうが、私のそもそもの性格を鑑みてみると、+になっていくようです。

ところが、今の私には受けている講座も学校もないので、他人の目標の力添えになることが、かなり明瞭になっている目標です。そこで日ごろから唱えている、ヒトが社会動物として身につけていったほうがいい能力である「共感」が使えて、よりよい仕事ができるのではないかと思うわけです。

ところが、そのマイナスは、親身になりすぎることで、「今頃ちゃんと寝ているかなぁ・・・」などとも考えて、なかなか切り離せなくなってしまうことで、その時間を埋めるために忙しく仕事をするほうがラクだということに気づき、さらに仕事を入れてしまうわけですよ・・・。目の前に仕事があれば、遠くにいる受験生のことを考えている贅沢やゆとりがなくなります。そして、12月から今までの私は、完全休日がなくなっているわけですね・・・。

依存症の家族で書いた通り、私のアルコール依存症はいつ復活してもおかしくないのであります。大好きなHealth Ledgerがなぜ死んだのか?という追跡記事を詳しく読んでみると、彼はハイパーすぎて眠れなかったということ。1日2時間睡眠をずっと続けていて、睡眠薬も処方してもらっていたらしい。うひー、私もじゃないか・・・。私の躁鬱病がなぜ軽い部類に入るのか?というと、最初に精神科医に説明してもらったときには実感がなかったのですが、PTSDで長いセラピーをしてわかったことに、「疲れたら眠ることができることで、躁状態のほうに支配されているということ」でした。その躁状態は、頭ではなく身体が疲れてしまえば、何とか通常通りに眠れる確率がひどく高いというもの。救われた材料です。

というわけで、私は受験生と同じくらいに頭がしびれて疲れてしまっている中、さらにコマ数をたくさん引き受けて、物理的移動も増やし、話し教え、こなし仕事も増やし、身体的にも通常の限界まではしっかり働くことで疲れて、しっかり眠れている、という幸せな状態にあります。

だからなのですねぇ・・・。寝ても寝ても寝足りないくらい眠れるわけです。ここのところ、受験開始日が近づいてきているのですが、受験生たちには「1日8時間は寝てほしい」とリクエストしつつ、私も7時間半は確実に確保し、さらに気づくと1時間ほど増やしたりもしており、今日などは思いがけずに昼間の3時間が空いたので、90分眠ってしまいました(笑)。いやー、頭はすっきりだ♪

グループでのReadingクラスでは、睡眠に関しての読み物も多く、受験生たちの過去問題や準備問題の中にも必須のように出てきており、それを読むたびに、「うひー、睡眠はどう考えても大切だ・・・」と思うように、自己暗示をかけているせいもあるのかもしれません。

睡眠不足が続くと、翌日の労働や学習(学生の場合)に当たる際、IQ(知能指数)が下がっている状態でこなさなければならない、というくだりには、生徒さんたちも衝撃を覚えたようです。指数が下がる度合いは、わずか1日の1時間でIQひとつ。が、長く続くと、落ちっぱなしになり、1日1ずつではなく、倍増することが怖かったようです・・・。さらに、成長ホルモンがどんな役割を持っていて、20歳を過ぎると、エクササイズか睡眠時にしか成長ホルモンが出ないことを知ると、かなり恐怖は増し、エクササイズするよりは毎日行っている睡眠の質を考えてみたほうがいいかも・・・ということにはなるのかもしれず、です(笑)。私も睡眠の質はいいですよぉ。心理学部に入ってよかったと思うことの大きな収穫のうちのひとつです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%90%E9%95%B7%E3%83%9B%E3%83%AB%E3%83%A2%E3%83%B3 >成長ホルモン
http://www.francebed.co.jp/abc/sleep1.html>眠りのメカニズム(簡単理解版)
http://zzz.la.coocan.jp/kiso.html>もうちょい詳しい版

しかも、ヒトは冬のほうが眠りに頼る時間が大きくなります。冬のほうが自然環境が厳しいので、食べ物や気候ではなく、睡眠でその回復や修復や縄張り保護などを確保するわけです。なので、私がくぅくぅ眠り病になっている今が、冬であることも、それほどの不思議はないのではあります。夏のほうが同じ個体でも、睡眠時間が短くてもやっていけるんですよ♪体内時計を詳しく知ると、メカニズムがよくわかります。

というわけで、完全休日が確保できた暁には、まず10時間ほど眠りたいです(笑)。そのあとは、美容院。1年に1回しかパーマをかけなくてもいい後ろ髪(前髪やトップはさすがに4ヶ月に1回は必要だ・・・。切っているので)が、もう前回かけてから、1年2ヶ月経っています。前髪部分もぺっちゃんこです。好きなだけ眠ることができるとわかったら、すぐに美容院の予約をするぞーう!

みなさまも、冬は長めに寝てください♪さらに、この機会にもっと眠りについて知識を入れてくださいね。

依存症の家族

01/26/2008 にアップした文章です。

私もアルコール依存症ですが、今はたいへんに落ち着いています。自分では、Social Drinkerと呼称しており、外で家に帰れなくなるほど飲むことがないようにしており、メンバーも「恥の書き捨て」ができない人たちをしっかり選んでいます。家で飲み始めると、「あとは寝るだけ」なので、際限なく飲んでしまい、飲める体質の私としては危険です。家での失敗はそれでも実際はあまりなく、ただただ、静かに肝臓を酷使した、というだけなのでしょう。所詮、母や西さんは私を許してくれるのだろうけれども、やはりそれに胡坐(あぐら)を掻くわけにはいきません。

それに、アルコールのまずいところは、もちろん、その反面いいところでもあるのですが、脳が完全にいかれてしまい、その後時間が経たない限り、勉強ができないところ。勉強だけではなく、ブログも書けないし、相手が飲んでいなければロクに話も成立しないこともあり(笑)。

私がアルコール依存症になった理由は、思い当たることがあります。躁鬱病なせいで、とにかく起きているあいだはハイパーです。自分が冷静になったときに、「どうして私はこんなに生き急いでいるんだろう?」ととても切なくなるわけです。が、起きているあいだはどうしても、どんなに気をつけても抗えないほどに、物事をこなしたり、頭がパチパチ動いてしまうわけです。初めてアルコールに出会ったときには、「これだ!」と思いましたよねぇ・・・。頭がスローになる。ろれつもあやしくなり言葉もスローになる。行動もスローになる。他人の欠点も気にならなくなるし、世の中の理不尽にも腹が立たなくなる。

私にとって、アルコールは、自分や世界を意識下に埋めさせることができる、睡眠の以外での、唯一の手段だったわけです。こんなに魅惑的な世界があったとは、それまでは夢にも思わず・・・。それでも意識が完全に失われるまでは、かなり楽しめるわけですよ。スローな自分に。スローな世界に。ドラッグ中毒、依存症では、Upper(気分を高揚させるもの)に頼るという手も、他の人にはあるのかもしれませんが、私はそもそもアップビートな時間を過ごしているので、逆なDowner(気分を落とすもの)が必要なわけです。ええ、アルコールは、最初の数十分から人によっては2時間ほどはUpperに感じることがあるかもしれませんが、実際はDownerです。http://norry.blog29.fc2.com/blog-entry-22.html このサイトがおもしろく解説してくれてあります。絵柄もきれい♪

そんなこともあり、ひとりでお酒を飲むのはよくありません。たとえいっしょに飲んでくれる人がいないとしても、面倒を見てくれたり、話相手になってくれたりする人がいたほうがいいです。私は、ハイパーな躁状態が長く続いたあと、急にストーンッ!と落ちてしまったときが、アルコールをひとりで飲むときに顕れたりしたことがあって、大昔に大失敗をしたことがあるので、ひとりでは決して飲みません。死にたくなるなんて、本当に発作的で刹那的なことなんだな、というのが、そのときに得た教訓です。たとえ、日ごろ、どんなにしっかりした観念や信念を持っていたとしても、ドラッグの影響を脳が大きく受けている最中には、大した役にも立ちません。

しかも、疲れが溜まっていたり、内臓なども弱っていたり、人間関係がうまく行っていなかったり、何か悩みがあったりしたときには、アルコールをはじめとするドラッグは、あまりいいものではないわけです。

でも・・・、ここまで読んできてくださってきたみなさまの中で、「タバコ」というドラッグをいつまでも止められない私に、とやかくあれこれ言われたくはないだろうな、と思うのです。ええ、ええ、私はタバコをもう30年くらい吸っているのですが、止めようと決意したことは本格的にはなく、西さんの度重なる禁煙におつきあい程度しかしてなく、それもほんの2回ほどだった・・・(汗)。以来、健康にひどい不安が芽生えて、やる気や動機がフツフツと湧くまでは待っていよう。機が熟すのを待っていよう。などと、いろいろな言い訳をして、こんにちに至っています。ひどいなぁ・・・・・・・・・・(汗)。

私はこの二大ドラッグとだけ戦ってきたのですが、他にも依存症の家族を持っている方々は多いのでしょう。バクチやブランド買いなどの借金するほどの依存症もありますし、カフェインなど自分では意識していないものも大いにあるでしょうし、恋愛依存なども含めると、相当に広い範囲になるのでしょう。ただし、疾病の範囲に及ぶものは、やはりプロに相談したほうがいいです。素人や素人に毛が生えた程度では、きちんとした判断ができません。

ちなみにWikiにはなんて書いてあるのかな・・・。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BE%9D%E5%AD%98%E7%97%87
あー、やはりいろいろな種類があるし、個人できちんと専門家に行き見極めてくださいというような注意書きがついている。そうそう、ネットなども中毒にひとつです。私も初期には相当に嵌まりましたし、今もメールがなければ、このひどく忙しい日々をどうやって以前に戻すか?と頭を抱えます←もちろん、やっていたんですから、可能であるのに、どうしてか不安なのは、もう依存しているからなんだろうなぁ・・・。

依存症・中毒と言われると、軽蔑・差別されたような気になる人がいると、ここにもありますが、私はどうもそうは思いません。それよりももっとひどいことは多々言われてきたし、実際に依存症ですし。認めることが難しいうちは、本人自身が快方に向う道には立っていないということです。一度依存したものや人やその他がある場合は、生涯、そこから完全に離れた生活をしない限り、また戻る可能性があるということで、依存症は生涯闘う病気だとされます。私も、アルコールに依存する未来がないとは限らず、コントロールしながら飲んでいますが、完全に止めることを考えないのはなぜなのか?

校長センセがおっしゃるように、適量の範囲であれば「とても」いいものが、依存症の場合は多いのです。買い物を一切しなくていい世界に、我々は住んでいません。アルコールや売春やドラッグなどは、利便や効能もある、背中合わせの存在価値があります。全否定はできません。ゼロの生活を選び取るということは、私にはやはりできませんでした。できる方々もいらっしゃいますが・・・。

そんなわけで、肝臓機能が著しく低下している場合や、生命の危機が掛かるほどのドラック依存や、自分だけではなく、家族にも経済的負担が災害級に掛かることがない限り、私は依存症の原因になるアクティビティや物事を否定はしません。むしろ、「よい方向」に使えるための学習をすることのほうを、勧めます。

本人だけではなく、家族もたいへんなことを乗り越えなければならないことが多いのですが、一言だけ言えることは、「一度愛した人をギリギリの限界までの努力をせずに棄てないで」ということ。これだけは、いつもお願いすることにしています。私も頭が上がらないことが増えていくのですが(笑)、やはり乗り越えてよかったことはたくさんあります。

依存してしまいたいという誘惑は、日本に戻ってから、まだ実感していません。最初のうちは、歓んで日本酒や焼酎を飲んでいたのですが(アメリカで買う半額以下くらいだったから)、もう飽きた(笑)。それよりもワインが飲みたい(笑)。やはりアメリカに居たときにはお魚が食べたかったように、日本に戻ってきてからはお肉が食べたいように、アルコールも同じ論理が働いているようです。なんとわかりやすい私なんでしょうね・・・・(汗)。

悪役はどうしても必要なのか?

01/25/2008 にアップした文章です。

人についての思い込み〈1〉悪役の人は悪人?..¥
私は、ヤクザやマフィアの存在が邪魔だとか、壊滅したほうがいい、などと思ったことはありません。が、必要悪という言い方も嫌いです。大相撲の初場所が始まって以来、どうも朝青龍が負けると歓ぶような風潮があり、調子が悪くて優勝できないことを望んでいる日本人はかなり多いらしい。ふーん、そうなのか・・・。でも、チケットは完売だし、グッズも相当売れているんだよねぇ・・・。どうして悪役が必要なのかなぁ。悪役に魅了されて、こだわってしまうんだろうか?と、どうも不思議でならないのであります。

悪役:(1)芝居で悪人を演ずる役。また、その役者。敵役(かたきやく)。(2)転じて、人から憎まれる悪い役回り。
憎む:(1)嫌だと思う。不快に思う。また、よくないこと、あってはならないこととして、許しがたく思う。(2)ねたむ。そねむ。うらやましく思う。(3)非難する。反対する。

今日見た記事で、黒人俳優で2番目にアカデミー賞を獲ったDenzel Washingtonが、”Don’t Be a Hater!”と子どもたちに向けて言っていたという記事がありました。1960年代に黒人自由解放運動をしたMartin Luther King Jr.の記念日(1月15日)に絡めて、テレビ出演したときの逸話です。彼は自身がMalcom X
も演じているし、意識の高い俳優だなぁと、いつも惚れ惚れ見ています。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%8B%E3%82%A2>マーティン・ルーサー・キング・ジュニア日本語版
http://en.wikipedia.org/wiki/Martin_Luther_King,_Jr.>英語版。おそろしく長いです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%B3%E3%83%A0X>マルコムX日本語版
http://en.wikipedia.org/wiki/Malcolm_X>マルコムX英語版>やっぱり長い(爆)。

http://www.people.com/people/article/0,,20172900,00.html >これがDenzel Washingtonの記事。

憎悪によって自分が壊されるな、と言っています。その元というのは、「自分と同じではないから憎む」という簡単な図式で、心理学でも学ぶのですが、ヒトというのは、社会性を持ったのちでも本能がちに生きているところがあり、防衛のために似たものを安心・安全として選ぶ。近所にいてしょっちゅう逢える、自分とは考えが違ったり、共通点が少ない人よりも、多少遠くに住んでいようが、たまにしか逢えなかろうが、やはり共通点が多い同種のほうが安心できるわけです。せっかく脳が発達しても、やはり保身やサバイバルに振り回されていることを知らぬまま、同種とのおつきあいでは、「感情」「本能」に振り回されて、共存ではなく、戦いや回避を選ぶわけです。

なんとももったいない・・・←貧乏症な私は、これがどうも引っ掛るキーになっているようだ(笑)。

朝青龍が強いことは、最初は好きだったらしい。寛大なところを示して、あるいは相撲協会が人材不足で外国人を次々と入れたのだからしょうがないと観念して、横綱までになった彼を尊ぶのですが、どうも腰が落ち着かない。憎まれ口を叩いたら、すぐさま記事にしたりニュースで取り上げることにして、憎むための温床を流布しておくわけです。そのあと、彼が失敗をしたら、みんなで叩く。ちなみに私は朝青龍叩きに参加したつもりはなかったのですが、援護をすることで叩きに参加してしまった結果になり、たいへんに恐縮・反省しました。

人を簡単に気軽に叩ける人というのは、自分にはたいへんに甘い、という傾向は否めないと思われます。無責任な部分でのゴシップ調で、TVによく出るコメンテーターも、本当に大したことを言っていない・・・(汗)。いや、コメンテーターだからこそ、大したことが言えないのかもしれない・・・とすら、最近は思うようになってきています。私個人は、教えるという職業病も入り、失敗に対してたいへんに寛大で、間違いや失敗がいくつも積み上げられなければ、物事をマスターすることなどできないとすら考えており、「大きな挫折」がない人間のほうを、むしろ信用しません。が、私は自分に甘いことはしないように、極力努めており、現在も1月2日から、完全休日がない状態で、このまま2月に入るのではないかと思われます。母に不平や不満を言ってしまっても反省しまくっており、ビールを買いに走ったり(とはいえ、わずか1分半なんですが・・・爆)、ネコたちとの時間が取れるように、しっかり調整を怠っていません。

公的な人間には失敗は許されない、というある程度のハードルの高さは認めますが、その設定は誰がどのようにして築くものなのか、どうも無責任感が大きく混じっているような気がしてならず・・・。

もちろん、放置しておいてはいけないような、重大な失敗や間違いはあるんですが、改善の方向に向ったら、とりあえずは自分の領域ではない範囲であれば、見守るしかないわけで・・・。

たとえば、私は動物を屠って食べ物にする商売は、どうしてもできません。人殺しもできません。物事を強引に運ぶこともできません。が、そういういやな仕事を、社会的に歴史的に、社会での階級が低い人間に押し付けてきた国や文化は山ほどあります。そして、その人たちが冷遇に耐えかねて、評価をしっかり受けないことにグレて、社会の中で悪と呼ばれることに手を染めたときなど、その人たちや仕事そのものを抹殺するように憎む。でもねぇ、彼らがいなければ、社会は廻っていかない部分もあるのです。たとえば屠殺は、今でもずっと行われており、世界のどこかで、動物だけではなく、ヒトも死刑と称して殺されている。

私は伊丹十三監督が、ヤクザを廃止しよう!と作った映画の動機がいまひとつわかりませんでした。戦後の復興の中、ヤクザがいなければ、闇屋もあれほど活気が出ず、乱暴や強盗やその他に喘ぐ市民を守ってくれる侠気たっぷりの行動もなかったかもしれません。

必要悪という言い方は嫌いなので、自分の価値観だけに合わせた善悪が正しいともちゃんちゃら思っていないので、やはり私は多様性がある社会に住みたいと思うのです。そこで、好き嫌いを簡単に言わない大人が増えていけば、子どもも憎しみや偏見を学ぶこともないでしょうし、どんな大人になりたいのかをしっかり見ていけるのではないか?と思うわけです。自分なりの世界観が出来上がってしまえば、誰がどんな善悪をしようが、防衛はできるはずで、防衛のために他人を憎んだり、嫌ったりする必要すらないでしょう。遠く離れる術は身につきますから、彼らが彼らの領域で何をしようと、まったく気にならなくなります。

そりゃ、朝青龍はファンに支えられているわけで、そのせいで、ヤイノヤイノ言われるのは仕方ないことなのかもしれません。が、私は言わないです(笑)。ファンでもないですし、相撲Hater(憎む人)でもないですし、自分の領域にそれらがあるとは思っておらず、私があの世界を左右していいとも思っていません。

悪役が必要だというメンタリティは、いじめを誘います。大人でも、会社の中で、仕事ができないという理由だったり、態度が悪いという理由で、いじめは起きているらしい。だから、産業カウンセラーも仕事があるわけですね・・・。鬱病は増えていき、昨日・一昨日書いた「経済的自立」から職業人の年齢域にいる人々は離れていくわけです。なんだか悪循環です。

私は悪役はわざわざ作る必要ないと思うんだけどなぁ・・・。

雪が降った!

01/24/2008 にアップした文章です。

私にとっては、去年、わずか半日の雪の最中に濡れてしまった経験を抜かして、1年ぶりほどの雪です。日本の雪はこれで20年間のあいだに2回目。私が小さい頃は、もっと雪が降ったんですが、暖冬だったんでしょうねぇ、去年は。今年も雪が降るのは遅かったような気がする・・・。そこで過去の積雪量や降雪量を調べてみたのだけれども、なかなか行き当たらない(笑)。東京のものなど、あまり真剣に取り合っていないのがわかる・・・(笑)。あーん、時間がかかるよぉ・・・。

うん、やっぱり私が渡米して以降は、1回しかランクインしておらず、それ以外は私が子どもの頃か、生まれる前が1回。

うーん、わからないのが積雪と降雪の基準の違いである。どうも騙されているような気がしてくる(笑)。気象庁の統計は、統計学を勉強するのにいい場所なので、時間のゆとりがあるときにもうちょっと見てみようと思います。

そしていろいろ調べていたところ、衝撃的ニュースが・・・。私が大好きなHeath Ledgerが死んでいたのが見つかったというもの。ドラッグ関連が死因ではないかということで、先日のBrad Renfro http://en.wikipedia.org/wiki/Brad_Renfro 英語 
http://callio.10.dtiblog.com/blog-entry-113.html 日本語
に続き、どうもRiver Phoenix
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9 日本語
http://en.wikipedia.org/wiki/River_Phoenix 英語
風の死に方をする俳優は後を絶たない。しかも、Heathは結婚せずに生まれた子どもの母であるMichelle Williamsとも去年の冬に突然別れており、これが予兆だったのか?

わずか28歳・・・。
http://www.people.com/people/heath_ledger/biography  http://en.wikipedia.org/wiki/Heath_ledger 

なんだかめずらしい雪の日にこんなニュースだから、とても暗い気分になってしまいました。朝からまた受験生の英語を見る仕事なのですが、今日は夜の9時半まで仕事です。こんなに寒いとまた生徒さんからキャンセルがあるのではないかと、悪いほうに物事を考えてしまいがちです。うーん、いかんなぁ・・・。

小さい頃の初めての雪の記憶はないのですが、おそらく私がまだロクに言葉を話せなかった頃だというのは、母の証言で確保。小さい頃は、注意されてもされても、手袋を失くしても、雪遊びをしていたそうなので、寒さには強かったのでしょう。父の田舎が、長野県飯田市で、南信のせいで雪がそれほど降らず(東京と大差がないほどの降雪頻度と量)、それでも寒さだけは東京より厳しかったので、氷が張った田んぼ跡でスケートをして遊んでいたのです。

ところが、16歳過ぎて、アルバイトができるようになってからは、雪がそれほど好きではなくなり、バイクや車の通勤を妨げるにっくきヤツに変わったようです。16歳にしてすでに大人のメンタリティは情けないなぁ(笑)。でも、私にとっては日銭のほうが大切だったんでしょうね。情緒よりも。

こんなことでは、雪国に住めないではないか!とは思いつつ、アメリカに渡って、西さんと出遭って、運動好きの彼が提案したのがスキーでした。私のスキー体験は中学校1年のときにわずか1回だけで、小学校のときには友だちの家族に連れて行ってもらい、そり遊びをしただけ、というもの。その中学校1年のときのスキーは散々で、わずか1回、1泊で何ができる!というくらいなもので、転んでばかりいましたね。なので、引け腰だったのですが、行ってみたら楽しい!雪の質が違うことが幸いしたのかもしれません。本当にパウダースノーなので、滑りやすかったのかもしれない。水分で残っているものが少なく、氷状ではなく、本当に雪なので、ガリガリと止まる必要もなかったし、適度な人数が滑っていて混んでいる感もなく、誰かにぶち当たるようなことは、ほぼなかったこともあります。

が、何より私を力づけたのが子どもたちである・・・。アメリカのネバダ州タホ湖(Lake Tahoe, Nevada)には、ギネスに載るくらいにスキー場が密集しています。が、まったく混み込み感がなく、最も大きなところは、冬季オリンピックが開催されたことのあるSquaw Valleyというところで、リフトが7・80個あります。もしかすると増えたか?父ちゃん母ちゃんビジネスでも充分成り立つほどの小さなスキー場でも、3個や5個くらいのリフトはあり、初心者であれば充分楽しめます。おそらく、15個だか20個だかのスキー場があるのだろうと思う・・・。http://www.skilaketahoe.com/ ここには有名どころしか網羅されていないのか?でも、このへんなら全部行ったことがあります。

あ、そして子どもたちの話。アメリカ人でも、やはりスノースポーツをしているのは、白人が多いので、黒人やアジア人は少ないのです。伝統的なのか、経済事情なのか、DNA関連なのか・・・。が、スキースクールというのが、ふもとで募集されており、開催もされており、なんと、子どもたちはまだ歩けるようになったばかりのような年齢。それでもものすごく上手なんですよ。スキーストック(英語ではただPolesと呼ぶ)を使わず、ただただ、カルガモや渡り鳥のように、先生のあとを繋がって付き従って滑るのですが、みんなとても上手なんですよぉぉぉぉ。たまさかに転んでも、体重が軽いために、ズルズルと滑り落ちることもなければ、衝撃も少なく、恐怖などは生まれないらしく、コロコロ・ケラケラ・キャッキャッと笑っているわけです。そして何度も何度も飽きずにトライをするので、ますます上手になっていく・・・。もちろん、小学生クラスのスキースクールもあり、そうなると、私などは初心者だったので軽く抜かされてしまうわけです(笑)。一度、西さんが真剣に「やっぱりスキースクールに入ろうか?」と顔を覗きこんだことがあり、「げ、そんなに基礎がなくてひどいのか・・・」と思ったことがあります。

アメリカのスキー場は、初心者・中級者・上級者・特級者クラスに分かれているところが多く、やっと上級者レベルに行けるようになったのですが、そこは冒険心で、上級者の難易度の高いところや特級者滑りもしたいなと思ったところ、上から見てみると、やっぱり「三浦雄一郎一家くらいしか滑れないだろうよ・・・」というくらいの断崖に見えるわけです。実際は45度以上はあるんでしょうが、90度にしか見えない(爆)。それでも、隣には必ずと言っていいほど、4歳から10歳くらいの子どもを連れたファミリーがいて、チビちゃんが楽しそうに滑り始めるので、私も行かざるを得なくなった、というのが「子どもたちに救われた」というくだりです。彼らの真似をすると、不思議と上手になるんですよねぇ・・・(汗)。

というわけで、本当はいい想い出がたくさんある雪なのですが、今日は近所のほかに新宿にも仕事があり、「あんまり降らないでほしいな・・・」と、冷静で大人で事情ばかりの私が囁いています。うーん、うちの姪っ子たちは雪が降ってうれしいんだろうなぁ・・・。

紀久美先生へのQ&A~心理学講座編~その83

Q83.

これから新たに挑戦しようと思っていることはありますか?

A83.

まだ実現していない、「そば打ち」「ボルダリング」この二つは真剣にやらなきゃいけないと思っています。ただ母の認知症が少し進んでしまい、そのために引っ越しもし、日々の家事の時間が少し増えてしまったので、自分のことはついつい後回しになっております。むしろ、スクールの仕組みをますます進化させて、本当に英語が使える生徒さんの数を、パーセンテージを、増やして行かねばならぬと思っているので、自分のことはつい後回しになってしまいます。

2019年3月から、コースごとに履修するのではなく、時間数を決めてその範囲内であれば『取り放題』を考え着きました。メインはESL レッスンになるのですが、主宰の大平も心理&more English のクラスを週に4時間ほど開放しようと思っています。

さらに新たな挑戦としては、3月15日スタート4月末までのキャンペーンにはなるのですが、独学教材をオンライン上で販売しようと考えています。説明が非常に難しいのですが、初心者の方がから最終的に話せるようにしてもらうためにいろいろ工夫を凝らしました。段階的になっています。

親しみが湧きやすいように、動きがゆっくりな動物から、地上最速のチーターまで、レベル分けしています。

そこに7つのジャンルを設けました。
心理
Listening
Reading
Speaking
Writing
Grammar
Vocabulary
の7つです。

それぞれ無理なく毎日ひとつやっていただければ、一週間で7つ。52週分1年分用意してあるので、一年間に1レベルは終わることになります。

ただし!

頑張る方にはそれなりに特典を設けたいので、1日7動画見ることも可能です。1日7個見てしまえば一つのレベルは断ったの2ヶ月以内で終わります。10レベルあるので最後まで行くには、1日7個見て学べば、20ヶ月、1年8ヶ月で終わるわけです。

引きこもりの方や、土日うまく活用する方など、頑張れば頑張るほど先に進むことが可能になります。

そうなんです。 単純に計算しても3600本の動画を作ろうとしています。一つの動画が3分から4分をプランしていますので、1日20分から30分あれば、英語は楽しく学べるということを、 どうしても証明してみたいのです。 (・・;)

このお値段がびっくりすることに、1ヶ月1000円。見放題です。3600本の動画は半年以内に全てをアップロードする予定でいます。2019年9月末には3600本綺麗に揃うことになります。速さに自信がある方、時間にゆとりがある方は、お金をなるべく少なく払うことを考えて、夏休みなどを利用することもありです。

この統計をしっかり取ることによって、何が英語学習に効くのか、何が蛇足なのか、何が考える力を伸ばすのかなどなど、色々見て行けるので楽しみです。

これに、チャットワークでの「相談・質問・添削」をくっつけて、Precious One English Schoolに通学できない方にも、英語を完成させていただけるのではないかと思っています。英語基礎コースの動画も、同時に販売していきますので、そちらを学んでいただいてから独学教材を使っていただくのが理想です。

経済的自立について揺れる若者たち その2

01/23/2008 にアップした文章です。

経済的に自立する気がある若者たちはまだマシだという、いささか消極的な〆だったのですが、どうしてそう思ってしまったのか見てみると、成人式か大学を終わるまでは、親に養ってもらうのは当然、という考え方が、戦後少しずつ復興してきたあと、定着したような気がするわけです。もちろん、子どもが子どもで居られる時間が長くなったのは、いいことなのでしょう。ただし、準備期間が長い分、巣立ちをするのが難しくなってきていたり、多様化したために思い悩んだりすることも多いのだろうな、と。

銀の匙(スプーン)をくわえて生まれてくる子どもは、確率的にとても少ないので、いずれは経済的に自立しなければなりません。与えられすぎて育ってしまうと、自力で経済生活を支えていく段になって、そのギャップに喘ぐことになります。私が日ごろ、「苦労は買ってでもしろ」というのを念じているのは、自分の不遇(それほどの不遇では、結果的には、なかったのですが・・・)を慰める意味ばかりではなく、ここのところへの懸念があるからです。

生活水準というのは、上げるのは容易いのですが、下げるのはひどくたいへんです。たとえば私のワインですよ。日本とアメリカの価格差という原因ではあるものの、アメリカで1000円出せばソコソコのワインが買えて、こちらで同じ質のものを買おうとすると、3000円くらいは出さなければなりません。お祝いなどのときに飲んでいた30ドルから60ドルのワインは、日本では1万以上します。アメリカの400円ワインは飲めないのか?ええ、なかなか難しいです・・・(汗)。

生涯必要なお金をどうやって計算すればいいのか?まだ見ぬ配偶者や作るかどうかわからない子どもや、インフラやインフレや年金や利子計算など、昇給するかしないかもわからず、どうやってみんな経済的自立を目指せばいいのか?と考えると、限りなくネガティブではある・・・。

子ども二人を持つ予定にして、頭金だけを支払いマイホームを持つことにしてみて、奥さんが働かないあるいは控除内で働き、年金や退職金をそれほどアテにしないこと、とすると、男性たちは生涯で3億くらいは稼がないとならないようです。単純に計算すると、35年労働にしてみると、年収860万も稼がねばならず・・・。奥さんに働いてもらい、投資をしっかり管理したとして、マイホームを早めに完済して、子どもにそれほどお金を掛けないと考えて2億だとしても、年収575万も稼がねばならず、これが税込みで行けるのかどうかも怪しいところ。しかも、年収は徐々に上がるもので、最初からこんなにもらえるわけもなく・・・。やはり、質素に暮らしていたものが、子どもができたりいろいろする中、せめて子どもができるまでは、パートだけでも、などなど、共稼ぎは絶対不可欠になって行くのだろうなぁ・・・。

ええ、私は子どもがいないので、ネコにかかるお金と自分自身にかかる学費などを自由に出している気ままな暮らしで、この先に関しては、母がとても心配していますが、私は大丈夫だと思っています。心配なのは、母が100歳過ぎるまで生きるだろうということ。そのとき私は74歳だか75歳なので、年金生活になってから、一体どうなるか?というくらいのことか・・・。せめて彼女のために、彼女よりは早死にするであろう私は、生命保険を完備しておかねばなりません。

私は貧乏に育ったので、今も贅沢なことは何一つしておらず、ささやかな出費の蓄積もそれほど莫大なものではなく、支払いで大きいのは駅前家賃と、交通費と、会社の費用なので、「これ以上切り詰めようがないだろう」と経済アナリストに言われてしまうくらいの質素さで暮らしています。必要だと思わないので、レジャーも「混んでいるから行きたくないな・・・」などと思うくらい(笑)。口が貧乏なので、エンゲル係数もそれほど高いわけではなく、晩酌もしませんし、たまに母が自分が飲みたいときに私にビールを買ってきてくれるくらい。彼女は大根の葉っぱもカリフラワーやブロッコリーの茎も料理しますから、貧乏な実感もないわけです。おかずが一種類増えますからね♪

考えるに、定年といわゆる言われている年齢までに、西さんと私が毎年1000万くらい稼げば、特に問題もないのかな、と。だとしたら、今のところ猶予があるので、あとの貯蓄はリタイヤのためのものなのですが、私は生涯学生でいたい身分なので、他人様よりお金がうんと必要なのよ・・・(汗)。アイビーリーグに行くには、半分は奨学金がもらえて返済義務がないにしろ、やはり年間250万くらいはかかります。さらに教科書や通うために費用などを考えると、+350万くらいは考えておかないと・・・。それを20年続けていくとなると、7千万くらいは余分に必要です(汗)。そのために一念発起して商売を始めたわけですが、どれも思うように花開いているわけではないです。今度の4月で西さんが会社を辞めて丸3年なので、なんとかせねばならぬのですが・・・。

こうしてつらつら考えてみるに、やはり世の若者たちは、生涯働かねば、経済的自立などは無理だ・・・。道理で、宝くじ売り場に人々が群がるわけね・・・。でも支出のほうを抑えようという気持ちは、年々少なくなっているのではないのかなぁ、とも思うのです。もちろん、「ない袖は振れない」のですから、レジャーなどは無理だとしても、事実、海外旅行の数だけは、とても増えている。どこから来ているのかなぁとは思う・・・。

ずっと質素に暮らして、貯蓄して、子どもを育ててきた世代の人々が、まだ誰かにお金を上げているのか?という疑惑がもたげるわけです。それを「団塊の世代」に押し付けるわけではないのですが、子どもたちに贅沢をさせて、経済的自立や生産性を低くしたという責任をよく問われているので、気の毒に思います。彼らは本当によく働いたよなぁ・・・と思うのです。

もちろん、お金の循環を考えてしまうと、果てしなさ過ぎて目がクルクルと廻ってしまうので、あまり無意味なことはしたくはないのですが、誰かが誰かにお金を上げるのは自由だし、それがどんな目的であれ、私が個人の行動に口を挟むことはできないのですが・・・。

精神的自立は、経済的自立から来ると言っても過言ではなく、動物界ではごはんを見つけて食べるというのは、サバイバルの最大の焦点です。では、いつからヒトだけがこんなに暢気になってしまったのか?と考えると、脳が発達したからだ、という答えは出るのですが、その脳の発達がゆえに、社会を作り上げ協力して物事を効率化したり、便宜化したり、感情という技術でも生き延びることができるようにしてきて、さらに文明の利器を発明できる脳の使い方をする個人も出てきて、本当に種全体にとってよかったのか?という疑問が湧いてきます。

ちなみに、アフリカンバッファローやアカシカなどは、ヒトが興味を持たないだけで、民主的に投票制度を用いて、群れを移動します。「あのくらいの発達でもよかったのかもしれない」と思いつつも、私は自分の脳の限界にチャレンジしており、この矛盾にはいつまで経っても喘ぐのでしょう。

が、自分のメシを自分で調達できるヒトだけが生き残るような物騒な社会が、そこまで足音を立てて来ているようではないですか。戦争は目に見える形でなくなったものの、戦争に近いような経済ゲームが、私たちを試しているとは思いませんか?技術や経験をまだ持たぬ子どもたちや、若者は、本当に気の毒です。ゆとりがある大人たちが、どんどんそれを教えていけるよう、せめて大人は「簡単に与えるのではなく、自分でやらせてあげる」とトライアル&エラーを我慢して見守ってあげてほしいものです。

経済的自立について揺れる若者たち その1

01/22/2008 にアップした文章です。

カウンセリングの仕事が増えています。実際に英語を教えることよりも、動機付けという目的を設定し、揺らぎなきものにすることで、日々少しずつの時間でもいいから、継続して力をつけて学習する癖をつけることを目的にしているのですが、どうも「学校に入って通い始めれば安心」というノリの人はかなりまだ多い。1つの英語学校で、5ヵ月半続いているのですが、そこで、私はかつて1人だけに拒否されたことがあります。が、その人がその典型でした。「どうやったら英検準1級に受かるのか?」ということだけが、彼の焦点で、長期的展望ではなく、本当に英語を使えるようになりたいという熱意が薄かったのです。今、彼を担当している先生も、彼を放棄したいようなのですが、これは商売なので、拒否するわけにも行かず、お気の毒です。私は断られてよかったのですな・・・(笑)。が、それじゃー、英語を使った仕事にはならんだろう・・・。あるいは、仕事で英語を使いこなせないだろう・・・。

9月に留学が決まっている20歳くらいの男の子と話していたのですが、地道に稼いでも留学費用には到底追いつかないというもの。彼のお友だちのホストも、昔はお店でナンバーワンになったことがあるそうですが、ここ2年くらいで、ホストのお給料というのも目減りしているらしい。イマドキは、お酒をガンガン飲んでも、毎月ようやく35万から40万くらいしか稼げず、生活習慣病まっしぐらで、生活のリズムが崩れまくり、それだけの価値はないほどだそうです。風俗についての情報をいろいろ話してもらいましたが、ある一部のキャバクラ嬢を抜かして、ピンクサロンにしろ、ヘルスにしろ、リスクや失うものなどと引き合わせると、どうも価格破壊は起きている模様。1時間も話して、私のほうがすっかりオトク感があったんですが、彼にもUSの様子が伝わっていたらいいんだけどなぁ・・・。

一体毎月いくらあれば生きていけるものなのか?それはもちろんライフスタイルにもよるのでしょうね。私のように、必要最低限が低い、Low maintenanceが生活の指標だったり、消耗品購入9割で暮らしている人間にとっては、大したお金が必要なわけもなく、家賃が高かろうが、1ヶ月に必要な生活費は、驚くほど高くはないのです。化粧品やムースやこだわりティッシュなど、何一つありませんから・・・。ええ、化粧品は、オンラインで見つけた研究者の情熱が詰まった化粧水・乳液・クリームが一体化しているものを、フツーの人が1ヶ月1瓶使うところを、3ヶ月使えるやつですからねぇ・・・(苦笑)。顔の面積とは関係なく、ケチでもないし、どうしてなのか?と思っているのですが、気がないから毎朝晩ちゃんと使っていないかもしれず(笑)。自分では、「やった!」という充実感があるのですが、そんなの気づいたときだけにしかないからねぇ・・・。たぶん、シャワー後にしか使っていないことが多いのかもしれず(笑)。←これくらいいい加減で面倒くさがりで、それでも年齢相応には見られないので、まぁ、危機感がないんだろうな・・・。

記憶が正しければ、私はもう2ヶ月近くパチンコには行っておらず、自分のお財布を取り出すときは、タバコを購入するときと、社交的機会に精算をするとき、Pasmoにお金を足すとき、くらいで、モノを買うということがめったにない。母がオンラインでネコ用の品物とコーヒーを買ってくれと申請しており、洋服なども見るようになっていますが、とりあえず暴挙には出ていないし、私はその化粧品を11月末くらいに買ったきりですな。あまりにお休みがないので、スーパーに立ち寄る気力もなく、夜10時過ぎにボロボロになって駅前を家までトボトボ歩いているのですが、途中あるコンビニにも寄っていないかもしれない。少なくとも1月に入ってからは、ない模様。

もう枯れてしまっているんでしょうね・・・。私には音楽のシュミもなければ、洋服にも凝らなければ、収集モノのシュミもなく、至って現実的で隠遁者風なので、お金を使うところがない・・・(笑)←倖せなのか何なのかわからない(笑)。動けばPCも買い換える予定もなく、家電に至っては「壊れるまで買わない」というのが家訓なので、それもなぜか素直に守っています。映画には行きたいのだけれども、行く時間がない。みんなが受験をしているあいだは、どうしても仕事は引き受けていこうと思っており、なんとか緩やかになるのは2月の中ごろかなぁ・・・。受験日には当然仕事はないので、2月には完全休日が作れるのではないかと思っており、そうしたら、眼がつぶれるまで寝たいと思っています←ささやかな倖せしか求めていないことがわかる(笑)。

経済的自立をしてしたいことは、「アメリカの大学院に戻ること」なので、小銭をそこここに使ってしまうわけにも行かず・・・。しかも、日本に帰国してきて1年3ヶ月経ったので、食べ物で珍しいものも、お酒で珍しいものも特になくなってきており、無くなってしまうものに費やすこともなくなったし・・・。他人にご馳走したいのは山々なのだけれども、いかんせん、2月までは時間がなく・・・。12月の3週目くらいからじわじわと、ダイエットもしていないのに痩せてきており、洋服を今買うのはバカらしいとも思えるし、特に不自由しているわけでもないので、オンラインで見ることができるならまだしも、ウィンドウショッピングなどしたくもなく←こういう女は珍しいんだろうなぁ・・・。

みんな、お金を何に使っているのか?と、どうもうまく想像できないでいます。

CDを買ったり、映画を見たり、デートをしたり、洋服を買ったり、ブランドバッグを買ったり、旅行に行ったり、ってことなのかしら?

私が若い頃は、バイトに行くための装備(バイクのときにはそれなりの防寒やケガ防止のワードローブやバイクのためのオイルやワックスとか・・・←夢ないよね・・・)と通勤のガソリンと、図書館にまめまめしく行く時間がなかったので、空き時間に読む本だったりしたか・・・。今ほど量が読めなかったのは、電車で通っていなかったからで、バイクや車の運転をしていると、やはり読めない(笑)。なので、買っていたのだけれども・・・。それでだいたい1万くらいは使っていたかもしれない。でも飲み食いしたりするのに比べたら大した金額じゃーないよなぁ・・・。今のペースで読むのに購入していると、おそらく書籍代が1ヶ月4万くらいにはなるような気がするので、やっぱり図書館で借ります。やはり若い頃にも私は留学費用を貯めていたので、無駄なお金は使っておらず、家にお金を入れたあとは、全部貯金していたかもしれない(笑)。けれども、たまには旅行には行っていたな・・・。バイトが絡まないかどうか、念入りにチェックしてから、なのだけれども←旅費も出してもらえたら、やっぱりその前後に1日か2日くっつけて旅行していたのだ。ちゃっかりだよね。

物価はバブルの頃に比べると、うんと安くなっているものもあり、ピンとキリの両方があるので、選択肢は増えたと思うのだ。何にみんなお金を使っているのだろうか?←まだ想像できないらしい(爆)。

経済的に自立すると、家賃や保険や車のローンやその他、いろいろとお金がかかるので、貯蓄しておいたほうがいいと思うのだけれども、遊ぶ時間は確実に減るので、遊べるうちに遊んでおいたほうがいいとは勧めています。が、私はバイトばかりしていてそれほど遊ばなかったしなぁ・・・。資格や学費に使うのであれば、やはり細かいお金を使っていると、まったく貯まらないので、いくらあっても足りない気分になるんだろうなぁ・・・。

私の社会人の生徒さんで、ブルガリのカフスやエルメスのネクタイをしている人を見ると、「やっぱり私は教えて稼ぐ人で、彼らはお金を払って習うゆとりがある人たちなんだな」と思います。が、そうではない若者もたくさんいて、私は時間外で添削などをして、なるべく支払い時間を有効に使えるようにといろいろ工夫しています。

どうやったら経済的に自立できるのか?と悩むだけ、やはりすでに救われているとは言えるかもしれません。明日はもう少し深く考えていこうと思います。