もう私には家族がいないので 家族愛というものについては、ネコたちだけが家族です。 同居人については、4年ぐらい前までは一生添い遂げてもいいかなと思っていたぐらいだったんですが、 一緒に住んでどんどん 破綻していきました。 今は再渡米までの 執行猶予期間中で、もう私はこの先 恋愛 することもないので、彼にお金が貯まるまでこの状態で我慢しようと思っています。
そういう意味では彼に対してはもう友愛すら残っていません。4年前までは あれほど「ありがとう」 を 連発する人はいないと思っていました。ヒトというのは変わるものなのです。 私は変わらないと 信じるほどナイーブではないので、全く前進できるのですが、先立つものが お金だというのも 悲しい話です。
とはいえ 私は、一人の人と長く友達でいられたことがない 冷たい人間なので、今後も 私の周りの人々はCome and Goなのだろうと思います。 でもそれが悪いと思っておらず、 実際に父や母もしばらくとどまった後 行ってしまいました。猫たちも然りですし、 今生きていても私から離れた友人たちは山ほどいます しね。
飽きられたわけではないんでしょうが、私が冷たすぎたことや ある特定のことに情熱的でむさ苦しかったことや、 論理的すぎて 太刀打ちできなかったことなど、離れたくなる要因は たくさんあったと思います。
残念ながら、私は弟一家と絶縁しても全く悲しいとは思っていないし、 ダメージ もないのです。 なぜならば、 彼の人生のうち 私は彼とはおそらく 5ー6年ぐらいしか まともには付き合ってなかったと思うんです。家族なのに、 人間として好きではなかったから、早く大人になって家族から自由になりたいといつも思っていたから、 実際に大人になってもさほど付き合わなかったんですね。 そして私が子供の頃感じたように、弟は私の大嫌いなタイプの人間でした。
しばらく いろんな人と入れ替わり立ち替わり 付き合って、学ぶことがなくなるといつ 去ってもいいような素振りを見せて、 あちらに去ってもらう チョイスを与えてきたのは、ずるいずるい 私の方だったような気がします。
ただ一つだけ 誇りに思えるのは、 私は誰も裏切ったことがないし、 これからも 誰も裏切らないこと。嘘はつかないし、自分にできることは何でもやろうと思っています。
愛が欲しいかどうか? ひょっとしたら いらないのかもしれません。
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