心の疲れをチェックするのって積極的にはやりたくはないよねぇ・・・。うん・・・・。(・・;)
心が疲れている12のサイン youtube
どうでしたか?
年末が来て大清算をして、新規に始めるのもいいのだけれども、自分が変わらない限り、またもや続いてしまうかもしれない虞(おそれ)があるのならば、どうしてこんなに疲れるのか、原因を追求してみたほうがいいかもしれないです。
心の疲れの原因は、マイナスの感情が多々発生して、それに埋もれてしまうことにあります。どうすればネガティブにならないのか?あるいは、逆にどうしてネガティブな感情に包まれてしまうのか?
- こうあるべきという考え方
- 自己や他者が及第点や理想形ではないことをしたり、言ったりしていると感じたり考えたりしてしまう
- 誰かのやることが自分とは違い気に食わない
- 自分のやることがみんなと違い焦る、恥ずかしい
これを感じると不愉快・不快なので、努力をしたり、無理をしたり、方向が間違っているとは思わず、ただ単純に気持ちいい・爽快・愉快・心地いいを求めてしまいます。なぜ間違った方向なのか?そもそも、誰が何をすべきか?とか、理想形などは、個々人が決めればいいことで、どの場所にいるのか、どこで何をするのか、どのようにするのかなど、選ぶ権利があるのです。その場所、たとえば職場、から逃げることができないと思いこんでいると、地縛霊みたいになっちゃいますから気を付けて!自分が死んでいることに気づけていないってことのたとえのようなものです。
自分が決めた
- この目標、理想形のためにはこうしたほうがきっといい!⇒がんばろー!
- ↑それがダメならこの方法がある!⇒あ、うまく行く。あ、前のよりダメ(笑)。など
- 他人が自分と違うやり方をしている⇒ああ、それがいいと思っているのね。がんばってねー!私もがんばるー!
- 自分のやり方目立っちゃう?逆に気づいてもらえない?⇒終わりよければすべてよし、だからがんばるぞい!
となるかどうか、です。
とくにポジティブでハイな気持ちではなくとも、いずれそれが体験できるようなAnticipation:期待感を持ちつつ、中立な気持ちでも方向性がポジティブに向かっているから、という理由で満足できる人が、おそらく心が疲れにくい人なのだろうと思います。しかも、他人の動向を強く恐れたりしないで、自分の選択肢を全うしようという気力があるかどうか。たまたまみんなと同じなのか、考え抜いても同じなのか、いろいろと試行錯誤してみるといいと思います。
私は子どもの頃、父に「出過ぎた杭は打ちにくい」と言われ続けてきたので、他人の動向はあまり気にせずに、自分の能力を伸ばすことに専念できました。同時に父は、「おまえなんかに自分の大事な時間や心を使うヤツなんているわけない」と、保証もしてくれたからですね(笑)。その通り!私がどうであれ、地球は廻る。微力ながら、誰かのお荷物にならぬよう、しっかり歩んでいけるようになるように、父は私を見守ってくれてきたと思います。
そうした意味で、疲れない、折れない心はだんだん鋼のように強くなってきました。みなさんの心は疲れていますか?
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