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心理的発達:好きー嫌い

ヒトは、未成熟な状態からどんどん前に進んで進化し、成熟していくしか道はないはずなのですが、いつしか、大人になり、「これでフツーには生きていける」となったら、成長を止めてしまったり、積極的には立ち向かわなくなります。そういうチョイスも全面的には否定しがたいものではありますが、やはりせっかくこんなにすんばらしい高次機能がある脳を持っているのだから、ずっと成長してもらいたいし、行けるところまで行き尽きたい!と願いながらポジティブに暮らしてもらえると、たいへんにうれしいです(個人的にもそうですが、ヒトという種全体に対しても貢献できます)。なぜならば、3-400万年前に地球に出現したヒトの祖先であるサルの種が、ここまでヒトを引っ張ってきてくれたわけで、こののち、たとえ絶滅するようなことがあってもまた、ヒトが残した何かがきっかけで、ヒトよりもすごい生物が出現したらすごいと思うんですよね・・・。

さて、ミクロの世界での進化の入り口です。ヒトの原感情は、快ー不快だという説に、心理学ではほぼ90%以上が納得しており、一部の学派の人々がまだ研究をしているところです。自然の摂理とされるものは、90%以上のものが、二元・二極でできており、だいたいこのペアがどんどん複雑化していくもの、という原理があります。心も同様と扱うことで、説明がつくことがたくさんあります。

この快ー不快を言い換えると、簡単に好きー嫌いに変わるわけですね。なぜならば、ヒトは心地よいものを好きになり、痛みや心地の悪いものを嫌いになるのが入口です。

赤ちゃんから始まったこの原感情を生々しくも、ずっと行動を決める基準にし続けることは、いわゆる「素直」「本能的」とも言えますが、ヒトはせっかく大きくなった脳皮質が大きいので、高次機能を展開していけるわけです。その可能性を摘みまくり、この初期的なところのみで、物事を決めている傾向が多い大人もたくさんいます。

子どもたちは、この好きー嫌いに左右される言動が多いことは確かです。ただ、「考える」というプロセスをエンジョイしたり、幼稚園や小学校あたりで、友人たちと交わりあい、学び、さまざまな領域の対象物について自分と結び付けていくことにより、物事を、好きー嫌いだけで判断したり、選び取ったりしていくことが少なくなります。

残念なことに、大人になってもこの部分を多く使って生きている人はかなりたくさんいます。もう一歩、進めていくクセがついているといいのですが、感情を言葉に直したり、社会の中でのその対象物や自分との距離感を測ったり、原因を考えたりすることを端折ることで、それなりにうまく行ってしまう体験がたくさん積み重なると、「これでいいのだ!」が続いていくことになります。

口ぐせとしては、「ムリ―!」「ダメ―!」「嫌い」「生理的に・・・」など、ネガティブなものも頻発していくと、世間が狭いままで終わります。けれども、世間が狭いままで、つきあう人々にバラエティ:多様性がないままで、住み暮らしていく人々も一定割合実在します。実際にナマミで生きているわけではなく、小説やマンガ、ドラマやその他で知る「違う人々」を理解している気になって終わる人たちもいます。

表面上、好きー嫌いを顕さないように押し殺しつつ、それでも行動基準を曲げた・曲げさせられたと、恨みに思いつつ、自分が変わることなく、相手や環境をよい方向性に変えるような努力はせず、終わってしまう人生もまたいくつもあるわけです。

ごはんで例えるとわかりやすいかもしれないです。ずっとMcDonaldだけで生涯生きることは可能です。あのメニューの中だけでもバラエティがあると信じて。けれども、世界各国料理もあれば、魚や野菜のほうが主体の料理もあるわけです。好きなものだけ選んで生きていくというのは、かなりな賭けです。ギャンブル的生き方になっちゃうよね・・・。

そしてその次の心理的な成熟を目指すかどうか?子どもの頃からの積み重ねをさらに発展させていくかどうか?が問われていきますが、DVを誰かに振りかざす人や、他者を尊重できない人たちは、この好きー嫌いを多く使い過ぎて暮らしていると思ってください。

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