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恋愛ドラマがヒットしにくくなったといわれます。どんな理由があると思いますか。

大きな理由のひとつは、恋愛だけではなくて、社会が醸している「雰囲気」に人々が巻き込まれて、そこから脱け出せない圧迫感があるにも拘わらず、その中でしか生きていくことができないと考えている状態、が考えられますよね。

日本という社会が戦後から75年、10年毎(統計上では年代別などに分けて分類したグループをCohortと呼びます)で、世相が変わってきて、その引力みたいなものが人々に確実に影響を及ぼすわけです。

戦後復興時代(1945-)は、食べていくことが精一杯でそれを心配しなくていい人が、経済や教育を引っ張り、産業を起して食べることをせめて満足に、と奔走し、1970年代くらいになってそれらが世界的に実を結び、国際社会にも進出するようになり、1980年代が進むにつれてその花や実を摘むことでバブルに突入し、1990年代真ん中前には弾けてしまい、それ以来、不況が続き、世界的な大恐慌まで体験し、そして今、またもや復興中なわけです。

バイオリズムのようにまたこれから復活していくのでしょうけれども(いつまでも底に留まることのほうが難しいですしね・・・)、一回りしたトレンドをまたもやなぞるのか、変化を細かく採り入れるのかは、そのメンバー次第です。

戦後の復興中は、楽しみと言えば、映画。それがTVへと移行し、万民がTVの恩恵を受けられるようになり、一家に一台になるまで、10年も掛からなかったのはすごいことです>Almanacという世界の統計本があるんですが、日本の水準は昔と比べるとすんごいことになっています。

1970年代後半からバブルが弾ける1994年くらいまでは、経済的ゆとりの中、恋愛もものすごくおもしろい発想やさまざまなバックグラウンドに焦点を当ててみることができる脚本家もいましたし、監督やプロデューサーもそれなりの数がいたんだろうと思うんですね。しかも、ハイティーンから20・30代の人たちがそれなりに実生活でもおもしろおかしい恋愛、切ない恋愛、さまざまなことを体験できたゆとりがあったのだろうと考えられます。見る側も作る側もそれなりに恋愛というのは、「みっともないし、傷つくし、それでも昇華できたときのすごさと来たら・・・」というのが満喫できた時代背景だったんですが、バブルが弾けてから現在までの世相はどうでしょう?

実際に、私は1988年に渡米しているので、バブルを満喫している最中に日本の世相から離れて浦島太郎になりました。その後、アメリカの世相を学び、混ざり、選び、自分の居心地について分離された小さいたくさんの社会やメンツを眺めることになります。映画も山ほど見ました。

日本に居残ったとしても、私たちの世代(現在の50・60代くらい?)の人々は、恋愛がいかにみじめで傷ついてたいへんで時間もお金もかかって、などという「当たり前」を受け容れやすいと思うんですが、そのゆとりや混濁した感情を引き受けた体験がない世代では、たぶん、「なぜそんな損ばかりすることがしたいわけ?何を得られるわけ?」という不思議さが大きいのかもしれないですよね。

作る側にしても、その体験がない世代に訴えかけられるような発想もないし、想像もしにくいので、おもしろいものが作れないのだろうと思います。

しかも!PCを使える人が大半になり、仕事でもこなし、スマホもこれだけ普及してしまったので、「みじめだったり、傷ついたり、面倒くさかったり、時間やお金がかかるプロセス」は、実体験せずとも先がわかる、パターン化、のような気持ちになってしまっており、先読みして気が済んでしまったり、実体験を伴わないほうがラクで疲れない、と感じてしまっているのを咎めるわけにも行かないです。

プロセスがいかに面倒であっても、みじめでつらくあっても、時間もお金も情熱も捧げなくてはいけなくても、自分がやれなくても、憧れたり、見て楽しんだりできるゆとりも、実生活でなければ、楽しめないのも頷けます。

むしろ、恋愛の前にある「イッタイ生き延びていけるのか?」に心を砕いていかねばならぬ世相であれば、それは納得できるものだったりしませんか?

そして私は、見ることで実体験をしているかのように感情移入ができる経験をしてよかったと思います(^^♪ 毎回、映画もドラマも楽しめますもの(笑)。

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