何を踏襲し、何を改めて改善バージョンにして、何を忘れるか?というのを、ここ数か月いろいろ考えています。私の中にいる、母の部分の小さなクローンは、何をどう選り分けたほうがいいのか?という点では、あまり公平な立場に立てないようで(笑)。
私がとても便利に母を使ってきたことに対してのお詫びは、同居し始めてから死ぬ直前まで、繰り返し、感謝と共に伝えてきたので、後悔はないです。
やらないことはきっぱりわかってきています。
・セロテープでいろいろなラベルをいろいろなものに貼り付けること
・消耗品に見えても実はあまり消耗しないものを買い貯めること
・まったく消耗品ではない買い物はしないこと:洋服やバッグ、タッパーなどなど
・消耗品であっても複数必要ないものは買わないこと
・毎日掃除をしないこと:どこかしこを分けて行動にくっつけてすることはしても、掃除時間として時間を取らないこと
とにかく、母の遺品を整理していてつくづく笑ってしまうことは、モノが多すぎることです。「これでもすごく減らしたんだから!」というきつい口調が常に聴こえてくるんですが(笑)、それでも私にとっては多い・・・。
袋類がものすごく多くて笑いが止まらなくなるときがあります。小分けするための小さいビニール袋の種類と数!エコバッグの数!小物入れのようなポーチの数!これらをきっちり消耗したいのですが、たぶん生涯掛かってしまうと思うのです。どれを諦めて、どれを使っていくか、考えて分けるだけでかなりすごいエネルギーが必要です。
踏襲していくことは、レシピの昔バージョンなものですね。私が大好きだったものはかなりたくさんあって、リスト化できていないのですが、特にイマドキはあまり作られないであろう「水団」は、秋から冬にはしっかり作ろうと思います。小麦粉の緩さー固さが微妙にマスターできていないのですが、昔むかしに比べると、最近のものは、中身も充実していて、お肉も野菜もたくさん入っていたので、ここは改良しなくてよさそげです。
できるか?と疑っているのは、さまざまな生活の中でのもうひと手間を加えるというやつ。たとえば、スチームクリーナーの付属品のモップに、当て布を加えてさらに紐を通して、しっかり動かないように固定した形にして、洗濯してもヘタラないようにするというのがすごいなぁと。新しく付属品のモップ部分がまだ彼女が改良していなかったものが2つあるんですが、私にもそれができるのか?というのがダウト(笑)。
これらの「ちょっとした手間を加えたもの」は、寝具や掃除道具やその他、いろいろに見られるので、できるようにしないとなー、とは思っています。とはいえ、技術革新がさまざまな分野にも影響されていて、実際にはもう箒にカバーをつける日は、もう来なくなるのかもしれないですね・・・。
これらの手間ひまが掛かることの他、私がもっと改良したいのは、「整理整頓の中身の理路整然さ」なのです(笑)。母の整理整頓に対する熱度はものすごく高いものがありましたが、まったく理路整然としていないのだった(笑)。
宝石も4つくらいに分かれていたし、その分け方の論理はまったくわからず(笑)。ポーチのような袋にも、空のものと入っているものがたくさんあって、なぜにこんなに小袋が必要なのかもわからなかったけれども、これをどうしてここに入れ、この袋をこの棚やこの抽斗に?という論理がまったくわからなかったのです(笑)。
でも、整理整頓そのものの技術はすごいので、そこは踏襲しておき、整理場所の論理を進めていければなぁと思っています。
あとは、盆暮れ年末年始とお正月はしっかりやろうと思います!このBlogが記事になる頃には、もう新盆も終えていて、母のことを思い出してひとしきり泣いたあとだと思います。
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