私もコレ、年に2-3回あります。基本的に年中無休なので、突然レッスンがキャンセルになったりすると、無為に過ごす贅沢がポーンとできるんですよね・・・。読書三昧したり、映画三昧したり、気付くと夕方になっているとか、ちょっとステキだと思うんだけど、ものすごい回数やってしまうと、確かにそれはイヤかもしれない(笑)。
でも、私のように仕事をなかなか休めないやつにとっては、何も成し得ていない休日は、お宝なのである・・・。罪悪感がZEROではないにせよ、ちゃんと骨休めしたなーという実感にも包まれるし、何よりも心がゆったりした感があっていいのだった・・・。
では、どのくらいの頻度でこんなことがあってもいいのか?
月1回くらいはあってもいいんじゃないのだろうか?というのが、私のテイクなのですが、多い??
どこかに出かけるとか、家の中の用事や家事を済ませるとか、本当に大切だとは思いますよ。でも、誰にも見られてない自分だけがボケーっとできる時間もまた大切なのではないか?と、私などは思ってしまうのです。何か成し遂げたようで成し遂げていないって、なかなか難しいような・・・。
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この読み物おもしろかった・・・。
たぶんこの罪悪感に苛まれるのは、たくさんやるべきことが山積しているからなのかもしれません。なのに、何もやらないで1日が過ぎてしまった、もう夕方だ!夜だ!というような・・・。
毎日まいにち、そんなに生産的に過ごせるものなのかどうか?というのも、ヒトによるとは思うのですが、どうでしょうか?私の場合は、確実にレッスンがあるので、その時間は何かを作り出している気はしています。理解に到達していただいたり、疑問や質問をクリアにしてもらえていたり、何等かの進歩に寄与している風ではあります。
ただ、自分のこととなると、けっこうむかついていることもたくさんあり(笑)。なぜならば、こんなに仕事をしているのに、どうして私がごはんを作らねばならないのだ?と、怒っていることもあって、昨今では放置して勝手にやってもらうことも学びました・・・。お金を払えば掃除をしてくれることもわかったので、お金を払って掃除もしてもらうことにしました(笑)。もう疲れるので無理はしない・・・。いずれ同居も解消だ!
とにかく自分の健康にうんと優しくできることが大切だということがわかってきつつあります。そのうえで考えると、何も成し得ていない休日は、けっこうな「上出来(^^♪」なのではないかとも言える・・・。少しばかり自分の身体の声をしっかり聴いて、ゆっくりして結果論として、何も生まない日があってもいいじゃないか、と思うようにしていきたいと思います!




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