自己正当化:課題・問題に対する原因は外的要因(他者や環境)にあると考え、自分自身は悪くない、自分は正しいという事を証明しようとする事。
自分のほうが正しいということだけに終始して生きていく人は少なからず存在します。廻りにいると疲れる・・・。であれば、注意して深入りしないように処したり、少し時間が経ってわかったとしたら、すんなりきれいに距離を置くことができるようにしていきたいものです。
まずは、自分に自己正当化の傾向があるかないかを調べてみましょう。そのあと、自分の廻りにいる人々に当てはまるかどうかチェックです。
他人を傷つけても迷惑をかけても、「私は悪くない」と主張し、自分の落ち度を一切認めない人。それどころか、責任転嫁して、あたかも自分が被害者であるかのようにふるまうことすらあり、自分の非は最低限にする、あるいはむしろ責任転嫁されている側に廻ろうとする人。
どうしてそんな心持ちになるのか?Cognitive Dissonance:認知不協和がとても気持ちが悪いからなのです。自分が悪いと認めることは、ヒトにとってはとても苦痛で、どうしても自分が間違っていたという謝意や改善に対して、この努力や苦痛を伴う行動化は避けたいという自己防衛。
認知不調和:自身の認知とは別の矛盾する認知を抱えた状態、またそのときに覚える不快感。認知か行動、あるいはその双方を自己防衛のために変形させる。
ぐうの音も出ないほど証拠を突きつけられた子どもの頃の、両親の叱り方にはとても感謝しているワタクシです。明らかに自分が悪かったことばかりで、今も、「こんな娘を持ったら、世界で何番目かに自分は不幸だと思うだろうな・・・」というくらい、気の遠くなるような問題児でしたから。愛という名の下に、どれだけのことを堪えてくれて、どれだけの愛をくれたのか、本当に感謝しかないです。
大人になる前、ティーンエージャーの頃くらいに、この認知不協和を経験しても、正しい道を選ぼうとする心がけが備わっていたものの、いくつかの人間関係の不和は、やはり私が子どもの頃からの我を押し通した結果だとわかっているし、私以外のニンゲンは誰も悪くなく、私の不愉快は限りなく私の責任だったことは、今ならばわかります。
大人になってもそれがわからない、というのはきっとつらいだろうなぁと想像はできますが、気付きたくもないヒトはそのまま生涯を終えるんでしょう。冷たい言い方すぎるか?
美意識や美徳で暮らしていきたい、と願うようになり、この先の短い時間は、いいことだけで染めたいところです。みなさまはまだまだお若いかもしれないですが、早いところ自己正当化を増やしたほうが楽しくなってくると思います。
おまけ:
Self-justification gesture by Grand Rapids Community College 1時間半あるけど楽しそう(^^♪ 残念ながら英語です。
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