多くの日本人が抱いている欧米人のイメージは、かなり偏っていて、多様的であるのになぜか;
- 大雑把
- 大味
- 明るい
- 気軽でフランク
- 自己主張がすごい
- 時間にルーズ
- 積極的
などなど、けっこう偏っているんですが、多様的だからね・・・。この真逆のヒトたちもたくさんいますし、真ん中もいるし、本当に振幅は広いです。しかも平均に納得してくれるヒトたちは少ない>なぜならば分母をどのように集めるかで、その数値はひどくズレる>多様的だから。
そして、「平均」「安全」「和」「迷惑ではない範囲」「大丈夫」を目標としているわけではないのが、個人主義の文化の特長で、それがゆえに、上手に感情を表現できるヒトもけっこう多いけど、逆に下手くそだなぁと私などが僭越ながら思う、人も多い。
どちらを目指すか?と言えば、感情を自由に表現できたほうが、日本文化でできにくい場面や相手が制限されている分、ラクだろうと思うし、楽しいし、限界に挑戦!みたいでおもしろい(笑)。
↑
このへんも私が楽天的で超ポジティブなところ(笑)。
では、どうやって学べばいいか?これまでしつこく言い続けてきた「日本語を英語に訳さない」というのは当然の大前提で、もう少し文化的なことに注目して知識を入れて、体感に落とせるかどうか観てみるのが大切!
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ペーソス:
ギリシア語パトスの英語読みで、情念、悲哀、哀感の意味に用いられる。人間の心が受ける感動のことで、一時的情感なので、反復的・瀰漫(びまん)的なエートスや理性的・能動的なロゴスと対比的である。広義では苦しみ、激情、悲運などの意も含むが、一般には芸術、人生における愁哀、哀感、またそれを喚起するモチーフを表す。ユーモア、アイロニーなどとともに、文学手法上、重要な特質である。
エートス:本来ギリシア語で「性格」を意味することばであるが、生まれつきの天性と後に身につけた習性との両面を含む。個人については、一時的な感情(パトス)や純粋な知能と区別されたひととなり、人柄をさし、社会的には、ある民族や集団の特徴をなす道徳、慣習、習俗などをさす。この意味で、倫理ないし倫理学にあたるドイツ語Ethikが生まれてきた。ただしエートスは、価値規範として自覚的に定立された当為(ゾルレン)ではなく、集団や社会層に共有されて無自覚的レベルで人々のひととなりを規制しているしきたり、またそれによってつくられた人柄をさし、集合的心性、精神構造、人間類型などのことばがその訳語として用いられている。
こういう意味を強調して、方法的概念としての学問のなかに取り込んだのは、マックス・ウェーバーであった。彼はエートスを倫理学説のレベルではなく、宗教、政治、経済などへ向かう社会的行為の動機づけのレベルで取り上げ、目的―手段連関や担い手の社会層と関係づけて、多くの社会学的な分析を行った。資本主義の「精神」とか世界宗教の経済「倫理」とかいうことばは、この意味でのエートスをさしている。のちにフライヤーは、没価値的なロゴス科学に対立させて、倫理的価値判断を与えるエートス科学という概念を考えたが、今日ではこの使い方は踏襲されてはいない。
ロゴス:古代ギリシア哲学の基本語の一つ。〔1〕事物の存在を限定する普遍の理法、〔2〕行為の従うべき準則、〔3〕この理法、準則を認識し、これに聞き従う分別、理性を意味する。パトスに対する。本来は古典ギリシア語で「いう」を意味する動詞legeinの名詞形であって、「いわれたこと」を意味する。そこから、「ロゴス」は多種の派生的意義を生み、古代哲学において重要な役割を果たすものとなった。古代哲学は総じて「ロゴス的」と特徴づけられよう。
「いわれたこと」は、まず、〔1〕「ことば」「文」「話」「演説」である。言論を重んずるのは古代人の特徴であり、ここから修辞学rhētorikēが生まれた。〔2〕ついで、それは事物の「説明」「理由」「根拠」であり、したがって、事物の「定義」「論証」でもある。ギリシア人はこの意味でのロゴスの追究によって、論証科学episteme(ギリシア語)、scientia(ラテン語)と哲学philosophia(ギリシア語)を生んだ。〔3〕さらに、それは定義によって把握される事物の「本質存在」(その「何であるか」)であり、したがって、それは事物の「成り立ち(physis〈ギリシア語〉自然、本性)」を規定し、それぞれの事物をそれぞれに固有な一定のものとしている「形(eidos〈ギリシア語〉forma〈ラテン語〉本質構造)」である。だが、事物が一定のものとして限定されるのは、それが他の事物から区別されることによって、他の事物との関係のうちに置かれることによってであるから、ロゴスはこの関係を律するものとして、ある事物と他の事物との「割合」であり、したがって、すべての事物に「共有のものkoinon」である。ヘラクレイトスはここから、世界万物は一つのロゴスによって統(す)べられ、このロゴスを認識することのうちに知恵があるとした。〔4〕さらに、ロゴスは、ことばを語り、事物の存在の「何であるか」を把握する人間の「分別」「理性」を意味する。ロゴスにより把握される事物の存在は感覚には顕(あら)わではないことにより、パルメニデスは、ロゴスと感覚の区別を強調した。
古代哲学のロゴス性はこれらの人々によって端緒を置かれた。人間はことばを語るものとして、「ロゴスをもつ動物(理性的動物)」と定義される。古代末期のプロティノスでは、根源の一者はロゴスを超えるものである(神秘主義)。キリスト教思想においては、ロゴスは世界創造における神の思想内容であり、第二の位格である「子」である。これらすべての思想は後世のヨーロッパ哲学に気息の長い、種々の影響を及ぼした。
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ちょっと説明が長すぎましたが、これらを踏まえて、いろいろ考えてみてほしいです。そうすると、英語を使いながらの感情表現も豊かになるというものです。
それにはまず簡素なのが、形容詞と副詞を充実させることです。日本語に置き換えることなく、ぱっと浮かぶ形容詞・副詞を増やして自在に操れるようになってくださいね!
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