実際のところ、英語ができるようになるかどうか?はメンタル80%です!ヒトとして自分がどのように存在しており、どこを目指しており、どのように行動しており、どのような心で発動しており、何にどの程度影響されており、どういう理由に突き動かされやすく、どのような事柄にヘタレやすいか?など、把握しているモノ勝ちです。なぜ発音が日本人バリバリなのか?というのも、実際は何をどのように観て、どのように再現すればいいのか?というのは、メンタルが形成しています。
さて、どのような心持になるか、シリーズを楽しんでください!
多様性というのは 具体的にどういうことなのか? 私が日本に住んでいた頃にはこの多様性という言葉を知っていても、 本当の実感はなかったのだ、ということを 渡米してから嫌というほど思い知らされます。
例えば、 歌が下手な人がいたとします。 日本では一緒にカラオケに行かない、 いや、行けない。聴けない。聴きたくない!くらいのレベルで終わると思うんですよ。 私も実際そうでした。ところが渡米した後に、韓国や日本でカラオケが流行った後、1990年代にカラオケボックスや カラオケを歌えるバーが流行りましたが、 そこに行ってみてびっくり!下手な人というのは想像を絶するものでした。 日本だったらその人たちは きっと人前で歌いません。私の脳みそがその歌を聞いた時にあまりにひどすぎて、 灰色の脳細胞が緑色に変わりそうな気がしました。 実際に多様性を認めているアメリカ人 であっても、文句を言うことはできないので、トイレに立ったり、店の外に出てタバコを吸ったりなどという人が続出しました(笑)。 それを一度や二度体験したわけではなく、 かなりざらにいるのです(笑)。
「世の中は広い!」と感じた事件はこれだけではないですか 具体例です。
逆もまた然りで、Celine Dionのコンサートに行った時には本当に感動しました。 階段に座ったまま あの声が出るとは・・・。
日本にいる中では想像もつかないような多様性の幅について、驚いたり 落胆したりするだけではなく、 自分もそこに生きている という自覚を持たなければ、 周りの人に対して思いやりを持ったり、 相手の立場に立ったりすることは到底無理です。 相手が理解できるようにきちんと表現できるかどうか? 対等にやっていくことが一番なので、自分を誇示しすぎたり阿(おもね)ったりすることなく、1個の 人間として相手としっかり向き合える 態度が取れるためにも、全体像である多様性を丸ごと認めることができるかどうか?が 器の大きさになりますし、 自分がどの部分を話しているのか見ているのか など、 範囲についてしっかり 自覚することが大切です。
- それはあなたの常識でしかない
- 世の中にはそれを超えたものが 無数にある(かもしれない)
- 想像できないことを見せてもらえるヨロコビは大きい!
- 常識に縛られることは自分を制限することであるし、 他者を制限することになる
などなど、 考え込むことがたくさんあります。これが本当の意味での多様性を見て満喫することになりますし、 自分もその一員として相手を大切にすることにもなります。
それがない限り 英語 はなかなか話せるようにならないと思います。 さぁ、あなたは多様性をエンジョイできますか?
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