01/20/2007 にアップした文章です。
動機の大切さについて、昨日は書きました。今日は目標の確かさについて。日常でよく使われる、「ほんと?」「嘘でしょー」などのノリだけで口にしている言葉がありますが、相手が言ったことに対して、なんだかこういった返答は、もちろんその場その場にもよりますが、ちょっとよく考えると失礼です。漫才などのお笑いや会話のキャッチボールの中で、本当に「相手の(話の)確かさ」について、疑う余地があるのかどうか、あまり考えないで発している場合のほうが、考えて発している頻度より、ずっと多いのです。私はあまりに「えー、ほんと?」「嘘でしょー」と連発されると、その先を話す気力が失せることがあります。気難しいって?(爆)そうかもしれません・・・。が、私が正直モノだということは、知っておいて、前提にしておいてほしいと願ってしまうのですね。
確か: (形動)(1)(事柄が)明らかで、間違いのないさま。明白で疑う余地のないさま。(2)事情やいきさつがはっきりしていて、信用のおけるさま。(3)能力・判断力が優れていて安心できるさま。しっかりしていて信用できるさま。
(副)断言はできないが、たぶん。まず間違いなく。
確実:たしかなこと。間違いのないこと。また、そのさま。
夢と目標の差は、この確かさから出発します。
夢:(1)睡眠時に生じる、ある程度の一貫性をもった幻覚体験。多くの場合、視覚像で現れ、聴覚・触覚を伴うこともある。非現実的な内容である場合が多いが、夢を見ている当人には切迫した現実性を帯びている。(2)将来実現させたいと心の中に思い描いている願い。(3)現実とかけはなれた考え。実現の可能性のない空想。(4)心の迷い。迷夢。(5)現実を離れた甘美な状態。(6)はかない物事。不確かな事。
目標:(1)そこまで行こう、なしとげようとして設けた目当て。(2)射撃などの、的。(3)目じるし。
辞書を見てもわかるように、確実さが違うわけです。道のりが見えていることを「目標」、ぼやーっと思い描いていることを「夢」と考えるのが簡単です。松坂投手が、Red Soxに入団するいきさつでのインタビューで、「子どもの頃からずっと大リーグで投げたいと思っていた」というやりとりがありましたが、彼はそこで、「夢ではなくて目標だった」としっかり語っています。実現し得ないことだとは、毛頭考えていなかったということを、かなり強めに話していました。この念じる力が、昨日書いた動機で、その動機の強さにより、計画・段取り・具体化は進められていきます。
自分の目標が確かなものであるかどうか、を考えるには2点あります。
ひとつには、動機や適正についてしっかり考えたかどうか。
たとえば、利き腕の右手がない人が大リーグでピッチャーになりたい、というのは適正が欠けています。ハーレムを持ちたいというのは、叶いますが、サルタンのように合法的にたくさんの妻を持ちたい、というのは、相当に不確実な目標で、夢で終わってしまう可能性が高いです。まずは、日本を脱出せねばならず、合法的に一夫多妻制の国に住めたとしても、その国民になるまでには長い道のりがあります。その規制の中で、どのように潤沢な経済資源を持つのか、外国人で宗教が違う人間に対して、国民はどのような扱いをするのかなど、このへんは「自分側の働きかけ」がメインではなく、他人を変化させるという大技を伴います。基本的に、人間は自分の意志がなければ変化しないもので、たとえ変化したとしても長続きする保証とその確実性が伴いません。それに比べれば、オーストラリアに移住してのんびり暮らしたい、というほうが確実性は高いです。
動機の「なぜ」を考えたあとに、適正をこうして考えるのは、目標の確かさを査定するのに、たいへん重要です。
そういった意味も含め、私は英語など誰でもできるようになると考えています。難易度は個々人によって違いが生じますが、「どれだけ目標までの道のりとチェックポイントを考えているか」「努力と熱意を傾ける準備があり、続けていけるか」の問題だと思います。
ふたつめに、その目標の具体性をしっかり持っているか、です。
大リーグのピッチャーになりたい、は、どこの球団でもいいのか?いくつでなってもいいのか?何試合くらい投げられたらいいのか?成績はどのくらい残したいのか?(時代の変遷はあれども)契約金はいくらくらい欲しいのか?などと、具体性を持っていることは大切です。
ただ単に、「ハーレムを持ちたい!」ならば、日本にいてもいくつか方法はあります。一夫一婦制の日本では、婚外関係に対しても一夫一婦でないとかなり厳しいですが、その障害を洗い出せばいいわけです。財力はあったほうがいいし、人目にはあまりつかないほうがいいし、宗教など持たなくてもやる方法は見出せます。ハーレムに置く女性の質を問わなければ、一時的であれば、もしかすると容易に叶うかもしれません。←というか、あまりこんなこと奨めたくはないのだが、例としてかなり使いやすかったので(爆)。
英語にしても、Nativeのように話せるようになりたい、では手落ちです。読み書きができずとも、6歳以下の子どもたちは日常的に話しています。具体的に、「旅行で不自由なくコミュニケーションが取れるくらい」だの、「大学入学できる程度」だの、「ボランティアで子どもたちに日本文化を教えられるくらい」「映画を不自由なく見られるくらい」という目標があったほうがいいわけです。
たとえば、子どもの場合だと、目標に「いい子になる!」と掲げる微笑ましい風景がありますが、これはあまりに漠然としていて、大人が何かを実現するための目標にするにはお粗末です。子どもでもしっかりした年齢に達していたり、動機や熱意があったりすれば、「今年は図書館の本だけで50冊読む」だったり、「クロールで50m泳げるようになる」など、具体的な目標を立てることができます。お粗末で大雑把な目標はいけません。たとえば、「芸能界に入りたい」というのも、かなりお粗末で大雑把な目標です。芸能界に入るの範疇には、製作側も含まれるのだし、俳優なのかお笑いなのか司会業なのかアナウンサーなのかモデルなのか歌手なのか、芸能界で何をしたいのだかさっぱりわからない・・・。このあとの目標のための道しるべになるチェックポイントを計画できません。
計画が叶うためには、2つの大きな武器があり、1.ポジティブに目標が達成できると自分で信じること(Placebo Effect:プラシボ効果がもたらす信じる力は、以前書きました)。2.具体的な映像が頭の中に描ければ、脳もそれに則して機能するようになる。コレを使わない手はありません。動機が薄弱で、適正のない計画は計画ではなく夢だし、具体性がないものは目標にしても夢と同等になってしまいます。
さ、どんな目標が定まりそうですか?「ダイエットをする!」はダメですよ(笑)。いついつまでに何キロ痩せるだったり、体脂肪を何%落とすだったり、履けないジーンズを履けるようになる、などの、はっきりした具体的な目標をぜひぜひ立ててください♪
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