過去にも幾度か触れたことがあるのですが、「友人は多いほうがいい」という刷り込みの初期段階が、♬1年生になったら🎶 という歌詞です。作詞家のまどみちお氏に悪気があったとは思いませんが、怖いですよね、この歌をそのまま鵜のみにしてしまったら・・・。 (・・;)
日本の文化のあらゆる面は、
- 大は小を兼ねる
- 多いに越したことはない
- 大きい事はいい事だ
- 寄らば大樹の陰
- 長いものには巻かれろ
のような大きいものや多いことを徳とするときと、逆に場合によってはあり得る
- 石に灸:効き目のないことの例え
- 犬に論語:道理を説き聞かせても益のないことの例え
- 馬の耳に念仏:馬に念仏を聞かせても、その有り難みがわからないように、いくら説き聞かせても、何の効もない例え。
- 爪で拾って箕でこぼす:辛苦して貯えたものを濫費してしまう。
- 捕らぬ狸の皮算用:不確実な事柄に期待をかけて、それを元にした計画をあれこれ考えること。
- 下手の考え休むに似たり:良い知恵も無いのにいくら考えても、時間が経つばかりで何の効果もない。
- 骨折り損のくたびれ儲け:労力を費やしたのに効果がなく、疲れだけが残ること
- 焼け石に水:焼け石に少しの水をかけても冷えないように、援助や努力がわずかで効果が上がらない例え。
- 水の泡:努力などがむだになること。
- 元の木阿弥:いったん良い状態になったものが、再びもとのつまらないさまにかえること。苦心や努力も水泡に帰して、元の状態に戻ってしまうこと。
を裏返しにして、セットで学んでいたかどうか?というのが大切だと思うんですよね。逆は真なりではないけれども、場合や相手や状況によってはどちらのほうがハマるのか?というのがわからない人もかなり多いし、都合よく使ってしまっていることに気づかないことも多い・・・。
友情に関しては、過大評価の傾向が強いと、私個人は強く信じているのです。
物理的な数を多くすると、深さや事実を事実のまま観察することに、かなり難易度を加えることになります。特に、子どもの場合はものすごくたいへんで、単に浅く広いだけのニンゲンを指して「友だち」と言ってしまうことになる・・・。それを大人になっても続けたら怖い・・・。(・・;)
自分の中で原型やシステム、法則性を作るときに、おススメしたいのは、シンプルで少ないコマでの自然の摂理を把握し、その後、心や状況や時が加わったときの誤差がどのくらいあるか?を、きちんと理解して、身体に染み込ませることです。そのあと、この原型を発展版にすることは可能だと思います。
この原型がないまま、途轍もなく多い数を相手にすると、バラバラで都合がよい解釈をしがちになり(なぜならばどうしてもそこには自分が関与しているので)、深さに到達しなかったり、心の機微や琴線に触れる機会すら訪れかったりすることが多く、友だちという他者だけではなく、自分に対しても浅いままで終わる可能性が高いです。
そうなると、ヒトの人生で必ず起こり得るであろう「変化」の折に、人間関係が come and go 来ては去るということを、受け容れるのではなく、そもそもそういうものなのだ、と浅く捉える可能性も高いですよね。
せっかくのご縁を大切にしないまま、好き嫌いー損得で自己中心的に考え続け(ひょっとすると考えてすらいないかもしれず)、そんなことを受け容れることが常となっている人々と共に暮らしていくことになる、というのはホラーストーリー並な怖さです。
何年逢わずとも昨日の続きができるくらいのあっさりさと、いつも遭っていてもちょっとした変化に気づけて琴線に触れる思い出づくりができる、というのが理想ですけど、みなさんいかがですか?友情の過大評価をして、親友という言葉で、お友だちを縛り付けていませんか?
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