Yoko
息子の体育の授業でバレーボールが始まった、と聞いて懐かしくなりました。
私は中学時代、バレー部でした。
小6の時の担任の先生が休み時間に体育館でネット張って、割と本格的にバレーボール遊びを教えてくれました。あとは、アタック№1http://eternal.s39.xrea.com/attack1.htmの再放送だったか、アタッカーYOU https://80sanime.hatenablog.com/entry/2019/05/19/231731
だったか・・・とにかく当時女子の間でバレーボールが大人気だったのです。
土地柄的に受験もなくみんな隣の中学に進学したので、休み時間にバレーボールで遊んでいた友達がそのまま中学のバレー部に入部したような感じでした。はじめは25人ほど新入部員としていたような記憶があります。ただ、とにかく運動部は根性!の時代。バレーの専門でもなく、器械体操が得意な体育の男の先生に、しごかれたりビンタをされたりしているうちに部員数はどんどん減っていきました。
器械体操の先生だからか?回転レシーブの練習はやたらと多かった・・・外で・・・
体育着を洗ってくれた母親も大変だったと思います。
私は特別背も高くないし能力も高くなかったので、補欠でした。
しかしある時、やたらとサーブの調子がいい時があったのです。顧問の先生がそれを見ていたらしく公式戦当日のんきにお弁当を食べていたら、急に“今日スタメンでいけ!”と言われ、途端に食べ物が喉を通らなくなった記憶があります。ろくに試合も出たことがなかった私は、サーブは決めることが出来たけれど、あとはボロボロ。
ルールさえ間違える始末。先生のお怒りをかい、ビンタをされそうになったのを瞬間的に避けてしまい、ますます叱られ、他の学校で勉強してこい!と他の強豪チームのミーティングに放り込まれたこともありました。
もちろん強豪チームからはドン引きされ、小さくなりつつもミーティングの輪に入って非常に切なかった思い出です。
なんの意味があったのだろう?
そんな苦しい?練習を経たので、残った同学年の10人くらいは本当に仲良かったです。
3年の夏の引退試合、あと1点で負ける!という最大の緊張感のとき友達がサーブ打つ位置を間違えて、バレー部生活は終わりました(笑)
いまだに、あのときさー、と会う機会がある子とは想い出話になります。
そう思うと大きな何かを残してくれた3年間だったのかな。バレーボールは上手になりませんでしたが・・・
息子は今、野球部。いい仲間に恵まれています。
将来振り返って後悔することのないよう、満喫して欲しいです。
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