人生とは皮肉なもので、医療や技術が革新的に進んできても、心はさほどに進化しているわけじゃないので、ひとりで生きて行くようにはできていない社会動物であるニンゲンは、晩年誰かの手を借りなければ生き延びてはいけないのです。晩年とは限らず、若くても病気に負けて看護が必要な場合もありますが、やはりニンゲンがひとり生きて行くためには、それなりに手は掛かり、一人で全部のことができるわけじゃないんですよね。
その時期や負担をなるべく少なくしたいと、ほぼみんな思ってはいるはずなんですが(まだ若すぎて考えたことがない方もいらっしゃるのはわかります)、自分が介護をしなければならない立場になることは、やはりつらいです。
私個人も母の介護をだいたい3年ほどやりました。短かったと思います。しかもかなり軽い状態から相当あっさりと、さほど煩わさないうちに早逝してしまいましたから、苦労なんてものを語れる立ち位置にいるとは思っていません。ただ、心は痛い。いろいろなことができなくなっていく、あんなにも愛や笑いをくれていた母が衰えていくのを見なければいけないのは本当に消耗しました。
私には決まった時間のお勤めがあるわけではなくて、毎週ごとくらいにスケジュールを立てればなんとか廻っていく職種であり、経営している側でもあるので、介護はさほどつらい、過酷なものではなく、物理的には睡眠時間がつらかったくらいですね。お風呂も最後の数日まで自力で入れており、手助け程度でしたし。
ここでの問題は、誰が介護の担当をするのか、それについて手伝ってくれるのかどうか、などなんだろうと思うのです。
「介護は実子」という意味では、私の弟は何一つしませんでした。それに対して恨みがあるか?愚痴はあるか?と問われると、ないんですよ。母に触ってほしくないというくらいに嫌いが加速していき、蓄積していたからですね。
まずいなぁと思うのは、介護を配偶者や子どもさんと担当制にしている場合にも、愚痴が出たり、物理的な苦痛が多いと、「介護は実子」の大前提から外れてしまうために、いろいろと問題が起きそうです。
まとめてみると・・・。
役割分担の不公平: 介護の負担が一方に偏り、不満や不公平感が生じやすい。
認識のずれ: 介護をする側は日常的な負担を、離れて暮らす側は状況を十分に理解していないことがあり、考え方のすれ違いが生じやすい。兄弟間に多いそうです。
精神的・肉体的負担: 精神的ストレスや体力的負担が大きくなり、夫婦関係に悪影響を及ぼすことがある。
義理の親の介護義務: 法的には配偶者の親の介護に「嫁」や「婿」に義務はない。
介護離婚や介護別居: 介護を原因として夫婦関係が破綻し、離婚や別居に至るケースがある。
しかも、ケアマネさんとコンタクトを取るところから、かなり手続きそのものも面倒で気が重いですしね・・・。アポ取りや実際の査定なども段階を踏まなければならなかったり、見直しがしっかり入るので、一度その段取りを踏んだからと言ってもう日常がラクになるってことでもないし、介護がどんどん重い状態になることもありますし・・・。
ここで必要なのは、本当に初歩的な「相手の立場に立って感じ考えるクセ」ではないかと思うのですが、当事者になって経験したことがないと想像が至らない人や、なぜそうしないといけないのかわかってないことや、日々に忙しくてできないことなど、どんどん溜まりに溜まってしまうんでしょうね。
そして究極は、パートナーがふたりで残り、老々介護状態になるしかチョイスがないとき。もう専門家に委ね、施設に入るしかないんですが、ここでお金が足りないことになると、本当に切ないです。しかも順番待ちなども多いらしいですしね。
私も本気で考えているのですが、情報のアップデートを忘れがちです。みなさんも将来の介護については、今から考えても遅くないですからねー!







