しない決断

12/07/2007 にアップした文章です。

何かをする、ということをオススメしておいて、しない決断を話すというのも、掌返しの掟破りではありますが、校長センセにコメントをいただいて、やはりもう少しクリアにしておいたほうがいいだろう、と・・・。しない決断の例で簡単なのは、「寄り道」かもしれない。ところが、私は寄り道大王だったんだよなぁ(爆)。でも、大人になってからは、寄り道はまったくしないで済んでしまっているんだよなぁ・・・。その決断は相当に簡単。お金があるかないか、体力があるかないか、本当の本当に見たいかどうか、会いたいかどうか、などなど、指標になるものがたくさんあるから。子どもの頃は、好奇心の塊だったし、体力はあったし、お金がかからない遊びに徹していたし(笑)。

たとえば、寄り道と同じなのが浮気。同じにするなって!?(爆)いや、それができるんだなぁ・・・。充分恋愛をしてから結婚していれば、「浮気はするもんじゃない」という結論にいつかたどり着く。たどり着かない人々は未だにいるのだけれども、その人たちが間違っているというわけではなく、まだまだ成長過程なんでしょう(私はそうみなしているんだけれども、もちろん愛人関係となり、お金ですべてを解決していると豪語でき、実行しているのであれば、浮気ではなくて契約でビジネスなので、私の知ったこっちゃないです)。浮気も寄り道も、Taking risksという意味では同じですね。そのリスクのおかげで楽しい思いができるか否か。拾い物があるかどうか。が、マグニチュードが違うのは、傷つける人々の範囲でしょう。浮気をすれば、家族持ちであればすでに家族が傷つく。何もないとしても、です。寄り道の場合は、危険な目に遭えば傷つきますが、帰宅が遅くなる程度であれば怒られて二度としないと誓わされる程度でしょう。

浮気も寄り道も大いにネガティブではないのだけれども、他にもこういった「人それぞれでしょ」ということでも、する-しない決断を迫られることはよくありがち。

が、私が「しない」と決めていることはごく少ないです。なので、「する-しない」では、「する」を圧倒的にオススメするのです。してみない限りは、自分の経験則を掴むことができないので、数撃ってみて、そののち、自分のスタイルを確立していくのが得策。

私がしないこと;
・ 嘘
・ 人殺し
・ 生きている動物を調理する・エサにするなど
・ リスクが高いスポーツ:バンジージャンプ、レース関連(若い頃やったんでいいです、もう)、スカイダイビング(セスナは運転できるんで、これもいいです。ヘリの訓練でauto rotationというエンジン停止をして不時着寸前で復活させるまでの練習を繰り返しやったんで)などなど。
・ 物欲を充たすための買い物(消耗品のみOK)
・ 詐欺(嘘をつかないことにしているので、金品を奪ったり損害を与えたりすることはほぼ不可能にはなっている・・・)
・ できない約束(忘れたりできなかったときにはあっさり申請して、宿題延長を願い出る)
・ 暴力
・ 自分がやられてイヤなことを他人には意図的にしない

うーん、これくらいしか思い浮かばないのだけれども、やらないと決めていることはきっと他にもあるはず。ただ、羅列できないだけなのだろうな。今度やらないことと決めていることが見つかったら、メモっておくといいかもしれない(なぜ?笑)。

ここでの判断は、やはり個人の善悪や倫理、行動規範という当たり前のことの他に、追随する損得の効率や可能-不可能の予測や、経済的ゆとりなどがあるのでしょう。結果が読めるかどうか?というのが最も大切なことなのだろうけれども、一昨日と昨日書いたように、いかんせん、先読みに論理性をつけて物事を考えることをあまり教育されていない事実が浮かび上がっており、「これをしたらどうなるか?」を子どもの頃にうんとエクササイズしておく必要あるだろな・・・と、ひとりごちています。

私は、もう失敗・粗相を山ほどやってきましたから、今思うと、「どうして敗北感も抱かず、あれだけトライアルをしたもんだ・・・」と半ば呆れるほどです。霜を踏み鳴らし、うれしくてたまらず、サクサク・ザクザク・シャリシャリ・ジャリジャリなどの音の違いだけに着目し、布製の靴から水気が浸入し、靴下にまで到達することなど、まったく考えてはおらず、家に帰って母親に怒られる。「どうしてそんなことをしなければいけないの?」と問われても、彼女には音の違いの機微を判別することに対する好奇心などは、コレッポッチもわからない。私は、この歳であってもわかるんだよなぁ・・・。もしも霜が乱立している土を見かけたら、今でもやることは保証できますね・・・(汗)。でも学習済みなので、靴と靴下は気にするとは思う・・・。そうあってほしいけれども(笑)。そのあと、同じことを毎冬何回くらい怒られたか?怒られる前に自分で靴と靴下をお風呂場に持って行って洗うことを覚えて、まだまだ続けていたことは確か・・・。でもね、その靴と靴下を「どうしてバケツかタライに入れて運べないの?玄関が汚くなるでしょう!」と、途中にも挫折はたくさんあるわけです(爆)。

そして私は結論に至るのだ。浮気にしろ、寄り道にしろ、霜踏みにしろ、散財や買い物や習い事や恋にしろ、「とりあえずやってみて痛い目にあったり、挫折感がなければ、納得しないから、やらない決断までにはなかなか到達しない」というもの。もうひとつの可能性としては、誰かがやっていてその時間がかかるプロセスを眺め見て、自分のことのように感じることができてやらない決断に至るという方法。不可逆性の高いものはコレですな。人殺しなどは、たいていの人がしていないはずで、犯罪の報道や犯罪解析番組などを見て学ぶという意味では、やはり科学的解析以外の恩恵はあるわけです。

大人になってしまった人々が、自分で体感するほどに子どもたちに学ばせてあげるゆとりがあるかどうか?というのは、けっこう難しいのかもしれないです。母は、私に料理を仕込みませんでした。冷蔵庫の中の材料が無駄になり、光熱費がかかり、貧乏な我が家にはコスト的に耐え難いものだったからなのでしょう。でも、その他のことはたいていやらせてもらえましたから、失敗をしたからこそ、「もうやらないぞ」という決断ができたような気がするわけです。

さらに、共感能力が高まれば、他人がした失敗から、学ぶことは真実可能なわけで・・・。ただし、気がないということが最もでっかい障害になり、学ぶことができない人たちは、誰かの人生は完全に誰かのもので、自分には関連も関係もない、と決め付けている場合、これはなかなか捗らない学習なわけです。「なるほどねぇ」と他人のゴシップをしたあと、けろっと忘れてしまい、自分が同じことをしていることに気づけないということを繰り返していても、自分の愚かさ加減には気づけない。ここで「しない決断」をすることは選択肢としてあったんですけどもねぇ・・・。所詮身体はひとつしかないし、時間はみなに平等に24時間あるので、すべてを体験することは無理です。なので、他人の体験を有用に活用することは、脳が大きくなったヒトの特権でもあるわけです。使わない手はないんだよ、と、繰り返し言いたいところです。

私の年末の「しない決断」の大きなものは、【風邪をひかない】というもの。決めればできるのか?ええ、これはできそげです。私は、10年に一度しか風邪を引かないので、きっと今年も大丈夫でしょう。あと7年くらいは大丈夫なはずなのです(笑)。

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