自己愛が強いのは良いこと?

 

自己愛という意味を本当に理解しているかまずはチェックしてみましょう。


自己愛:近代社会原理の基本的出発点と考えられる概念で,日常的次元における自己中心主義,エゴイズムとは区別される。たとえばホッブズは戦争状態をもたらすに比される個人の自己愛を抑制しつつ人民の自己保存を確実にする手段として,社会契約による国家の設立を主張した。ほかにも,ロックが示唆した権力分立論も統治者と人民の自己愛を妥協させる試みであったし,さらには,スミスの自由論,ミルの功利論は個人の利己的な欲求が社会の進歩調和の原動力と考えるものであった。しかし,スコットランド啓蒙思想家たちは,慈悲心同情,道徳的感情は自己愛には還元できない行為の源泉だと考えた。


これが哲学的解釈です。心理的な解釈を加えてみます。


自己愛:自分自身を対象とした愛。ナルシシズム

ナルシシズム:自己を愛したり、自己を性的な対象とみなす状態を言う。 オートセクシャル、メトロセクシャルなどの総称。 転じて軽蔑の意味で使われることもある。


自己愛という意味はかなり範囲が広いことですし、広義のまま使ってコミュニケーションの齟齬・理解の乖離がもたらされる便宜的な言葉であることがわかりました。この質問に答えるには、「健常な範囲 vs. 異常な範囲」をはっきりさせることが大切かと思います。ただの強弱という理解だけでは追いつかない感じですね。


Freudは、愛の発達は、自体愛→自己愛→対象愛という段階を踏むとしました。このページの表が理解しやすいかもしれないです。自体愛・自己愛・対象愛 ただ、Freudのフレームワークは、現代ではかなり改訂されており、このページにある発達段階も彼という人間性が繁栄されているため、引算足し算をして理解しなくてはならない、という傾向が強くなっていて、古典を理解している状態ではあります。


全体的に自分の存在を認識し、それを受け容れ愛し、その後、自分の内面に着目し、それをどの程度理解し、分析し、改め捏ね練り、発達させ、社会の一員として他者を愛していくか?という順番としては、さほどは間違っていない、ということはフレームワークとしては残っています。


問題は、この内的な自己をどの程度捏ね練り、改めるべきところは改め、社会の一員として他者と共存共栄していくかを試行錯誤していき、どの程度成熟するか?が問われます。その意味での自己愛は悪いものではないですし、強くても問題ないです。


愛が他者に向かず、あくまで自分だけで留められてしまう傾向は、多かれ少なかれ誰にでもあるのですが、それが健常な状態ではないとされるのが、人格障害の中のナルシシズムです。


自己愛人格障害


健常者の中でも、ある部分は特筆したいくらいに自己中心になっている分野のようなものは観られます。たとえば、容姿に関してだとか、職場での地位や名誉などや、所有物など。ヒトは自分が特別な存在でありたい、という欲からは到底逃げられないように作られています。社会動物であるがゆえに、生き延びるチャンスを高くするために、自分がより優れた存在であることを確認し続けたいわけです。


日本でも不思議な和製英語 マウンティング というのが流行して通常に使う用語になっており、他者に自分を過剰にアピールする、という傾向がある人たちがしっかり存在することが観られます。


マウンティング:本来、動物が自分の優位性を表すために相手に対して馬乗りになる様子をいいますが、人間関係においては、「自分の方が優位」と思いたいがゆえに、「私の方が他人よりも幸せである」と一方的に格付けし、自分の方が立場は上であると主張し、更にそれをアピールするのがマウンティング。


相対評価・物質主義などが優先されるような心持ちが強い場合、そうした環境が「正常」と受け容れた場合、この自己アピールは必須なような気持ちになってしまいます。そうした意味での自己愛は、ナルシシズムに近い「異常値」になってしまうかもしれないのでご注意!です。


あくまで、自己愛は内的なものであってもらいたく、自己探求に費やしてもらえたら、と願うばかりです。

 

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