他人への同情

05/22/2008にアップした文章です。

 

同情と共感はどう違うのか?こんなことをつらつら考えており、その原因は、ここのところ続いている天災のせいではあるのです。社会的連鎖や社会構造から来る不運というのもありますし、先天的だったり、偶然の産物であったりする見舞われ方はあるにしろ、他人を気の毒に思うのは、どうもお尻のあたりがむずむずするわけです。校長センセは、「そういうものだとみなす」というわりと醒めた考えを据えていらっしゃるとのことでした。私も、他人に同情はしたくないわけです。が、気の毒に思うというのは、同情と似ているし、同じものではないのか?と、自分の潔くないところにうじうじと考えを馳せているところなのですね・・・。

 

高校生の制服の制限が緩くなってから、ずいぶんと時間が経ちました。ルーズソックスくらいからなんですってね。茶髪もOKだったり、学校に化粧をして行ったりしてもよくなったそうで・・・。私の中高生時代からはとてもとても考えられないゲンジツです。その理由というのは、やはり学校側も経営体制が肝心だし、少子化の煽りでつべこべ言っていられない、というのがあるのかもしれませんが・・・。

 

学びのプロセスとしては、「身支度に必要以上の時間を掛ける」というのが、いかに不合理なのか?ということに「気づく」というのが大切だとは思うのですが、その中庸や自分に合っている身支度や時間などを見つけるのに、最初から「いかんっ!」という縛りは、もちろん極力ゆるいほうがいいでしょう。でもなぁ・・・。ガングロってもう古いのだろうけれども、あんなお化粧をしてかわいいという感性は、私はやっぱりわからない・・・。10代でしか味わえないきれいな肌に塗りたくるというのは、生物学的見地からしても、皮膚呼吸を妨げて、たくさんの化学物質の浸み込みを許しているわけで・・・。そうした合理点からだけでもなく、美観としても、やっぱり私にはわからんです。ただ、「己を極力隠す」という心持はわからないでもないですが・・・。が、やり方としてはあまり有効じゃーないような・・・(汗)。

 

短いスカートを履く子が多いらしいのですが、制服を15cmもちょん切って、紺色のブルマーパンツを履いている子が多いようです。私は中高生の通学時間にはあまり電車に乗らないのですが、高校生の女の子に聞きました。その極端に短いスカートを履いている女の子は、「痴漢に遭う」と不平不満を漏らしているらしいのですが、お友だちからは、「そんな短いスカートを履いていたら、触ってくださいって言っているようなものでしょ」と、かなり常識的で冷たい意見が多いのだとか・・・。

 

もちろん、性的衝動を引き起こすような状態を提供するのは、あまり賢いことだとは言えませんが、かと言って、目の前に100万円落ちていたからと言って、ネコババ(この言葉は死語なのか?)してしまってはいけません。犯罪です。痴漢もレイプも同じで、たとえ泥酔したあと無防備に眠っている女性が目の前にいたとしても、レイプしていいわけじゃーないのです。

 

その目立ちたい女の子の気持ちもわからないでもないんだよなぁ・・・。でも賢くはないよなぁ・・・。

 

同情:他人の苦しみ・悲しみ・不幸などを同じように感じ、思いやり・いたわりの心をもつこと。かわいそうに思うこと。

思いやり:(1)その人の身になって考えること。察して気遣うこと。同情。(2)遠くから思うこと。想像。推量。(3)思いめぐらすこと。思慮。考え。

いたわり:(1)いたわること。思いやりをもって扱うこと。また、ねぎらうこと。(2)(「功」と書く)功労。手柄。骨折り。(3)(人や物に対して)心を用いること。目をかけて世話をすること。

共感:(1)他人の考え・行動に、全くそのとおりだと感ずること。同感。(2)〔心〕〔sympathy〕他人の体験する感情を自分のもののように感じとること。(3)〔心〕〔empathy〕⇒感情移入

感情移入:(1)他人の言葉や表情をもとに、その感情や態度を追体験すること。共感。(2)〔哲〕〔英 empathy; (ドイツ) Einf hlung〕リップスの美学などで、自然や芸術作品などの対象に自分の感情を投射し一体化すること。

 

この意味合いというのは微妙で、日本語はやはりEmpathyとSympathyをごっちゃにしているのでしょう。私は、Empathyまで行かないと、共感とはしないので、Sympathyのところを同情にしているのだろうと思います。個人的見解なので、正解も何もないのですが・・・。

 

SympathyよりもEmpathyのほうが、もう少し個人的な体験と対象との距離感を必要とするような気がしています。ただ、「思いやり」のところで、遠くから思うこと、というのがあるので、まずくない見解でもあると思うのです。

 

やはりたくさんの天災や飢餓の被害者に対して、私は中途半端な共感しかできていないので、同情の域を超えてはいないのだろうと、今、自分の蚊帳の外的態度にとても苛立ちを覚えるわけです。ただし、いちいち共感していたら、いくつ身体があっても足りないので、おそらく私が私であるためには、私が自分の自立や自律を全うするためには悪くもないことなのでしょう。

 

なので、所詮できないことを、どうしてわかったような気になってするのか?ということが、私にとっては問題で、わからないことをしっかり認めて、出来うることをやるしかないと割り切れよ、と叱咤しているところなのですね。でも、やっぱりニュースで死傷者の数が増えると、中途半端に心が痛んでいることを自覚するわけです。で、エッセイを書く気持ちが薄れてきて、仕事場で「うわぁ、目の前にあるTaskをしっかりがんばらなくちゃ♪」という気持ちにさせてもらっているような・・・。哲学ってむずかしいわね・・・(汗)。考え続けてグルグルしちゃうから、あんまり根を詰めて考えるのは、心的健康上いいことではないのですが、自分としては、潔い人間でありたいので、とても気になるところなのです。

 

西さんの美徳のひとつなんですよねぇ、潔いということ。

 

潔い:(1)卑怯な点や未練がましいところがなく立派である。悪びれない。(2)汚れがない。清浄だ。(3)心やおこないにやましいところがない。潔白だ。(4)清らかで気持ちがよい。

 

私はまだまだどこか、この天災被害者たちに対して、悪びれたところがあり、未練がましいところがあるわけですねぇ。スカートの短い女の子に関しては、距離感が遠いことがわかっており、同情もまったくしていないのですが・・・←もちろん考えたあとで、ですよ。私は朝、時間を掛けてお化粧をしたり、何かに手を加えて工夫をして、誰かより目立つことに合理性を感じないし、周り廻って自分の不利益をもたらすという統計学を持っているので(笑)。

 

今も、まだパンダが2頭行方不明だというニュースに、かわいいパンダの遊ぶ風景が映像に・・・。胸は痛いのだけれども、どうしようもできないことに関してウジウジ考えるのは、もう止しにしようや、と自分に言い聞かせているところなのですが・・・。なかなか難しいこってす(汗)。

 

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