同意してしまうことのツケ その1

01/13/2008 にアップした文章です。

ここのところ、私は、本来の自分を曲げなくてはいけないことに直面する機会が多くなってきているのではないか?と少し考えています。うーん、そうでもないのかもしれない。うーん、もしかすると、私はこれだからアメリカに逃げ出したのかもしれない。うーん、私などよりずっと意志を曲げていかなければいかぬ人々が圧倒的なのかもしれない。いろいろなことを考えつつ、それでもやっぱり同意したいことに同意したいし、同意したくないことにはあくまで声を出したいと思うのです・・・。

同意:(1)同じ意味。同義。(2)相手と同じ意見・考え。また、同じ考えであることを意思表示すること。(3)他の者の行為について賛成ないし是認の意思表示をすること。

おおよそ同じ考えというのはあるにしろ、まったく寸部違わず同じ考えなどというのは、社会科学問題、社会問題に関してはあるわけもなく、その代表的なものは人間関係です。登場人物が違えば、似たような問題であっても、原因も似たようなものであってもズレが出てきて、そこから進んでいく問題は、やはりもっとズレが大きくなっていくもの。傾向・統計にすることはできても、正規分布(ベルカーブ)の真ん中の63%に必ずしもすべてが当てはまるわけもなく、たくさんの資料やデータを持っているかいないかで、同じものを見ていても、同じように対処しようとは決断しかねることはたくさんあります。

そこで、最良なのが、「個別化」「ケーススタディ」なのですが、いかんせん、それにはマンパワーがかかる。そもそも、問題というのは、当事者だけで解決するのはよろしくない・・・。感情と感情の対立になり、主観に偏りがちな冷静さや論理性を欠く、解決法や軌跡を歩むことになってしまうことが多いです。私がアメリカで感心したことのひとつに、Negotiator(交渉人)という機能を使うというものがあり、日本でも、ドラマが始まるようです。が、あれは、警察関連で、立て篭もりなどを対象にしたものなのか・・・。

映画Negotiatorも逸品でした>http://www.imdb.com/title/tt0120768/ 

日本でどの程度理解されているのかを見てみる・・・。ふむふむ、やはり警察関連のものだけが取上げられており、交渉する役割を持つ、他の職業や業界については、あまり考えられていないのだな・・・。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%A4%E6%B8%89%E4%BA%BA 

このWikiには、一般企業や保険の交渉について書いてありますが、お金が大きく動く業界では、たいていNegotiatorの役割を担っている部署があり、彼らは公的にNegotiatorと呼ばれていないものの、フツーにTVやニュースや日常会話で、Negotiatorと呼ばれます。

代表的なものが、労働組合の代表と会社代表のあいだに立ち、ストライキを解決する人。私は、あの仕事は本当に高く評価しています。もともと、労働組合を組織することにしたのは、未だに遺体が見つからない、ミステリアスな最期を遂げたHoffa。映画にもなっています>http://www.imdb.com/title/tt0104427/
Jimmy Hoffaとはこういう人>http://en.wikipedia.org/wiki/Jimmy_Hoffa (英語)http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%9F%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%9B%E3%83%83%E3%83%95%E3%82%A1(日本語
映画の監督は、あのDanny DeVito(バットマンのペンギンなどをやった、味のある役者です。ちなみに彼はMichael Douglasの親友です)。

18歳で労働組合という概念を組織化したというだけで、かなり評価できるのですが、人生そのものはやくざと変わりがない、と言われてきており、最期もマフィアとの決裂のために消された説が大きく支持されているわけです。もちろん、彼の利益というのもあったにしろ、大勢の人間の不平等感を、組織化することにより、多少でも改善方向に持っていったのは、大きな功績であったと思うのです。

この労働組合と会社側のNegotiationを担う役割の人間は、第3者であったほうがいい。長いながいストライキを見ていて、たくさんの市民にも迷惑がかかることがありますが、日給月給や、時給月給を働いている人々が、干されてまでも改善したいことがある、というのは、やはり行き過ぎではないと思えることも多かったわけです。昨今では、日本に渡るアメリカのニュースでは「行き過ぎ」ばかりが取り沙汰されるようになりましたが、そんなものはごく一部で、やはり労働組合のNegotiationは、納得が行くものが多いですよ。

そして、日本の不思議は、どんな企業でも、建前的に「企業の内部の人間、あるいは企業が、労働組合を作る」というもの。そりゃぁ、同意しちゃうだろうよ、と思うのです。労働組合の委員長や組合長は、その任期が解かれれば、企業の中で幹部として活躍していく企業がほとんどです。そんな将来の天秤ばかりを与えられて、本当に労働者のために働けるのか?と、首をかしげてしまうことは多い。政治的動向の矛盾は、保身をしすぎると日和見な態度になり、あまりに労働者を大切にするとクビになるという憂き目に遭いますから、そんな役職に就いた人たちが悪いわけではなく、システムが悪いのでしょう。少しずつではありますが、労働組合は、外部や業種や業界などでだんだん発足するようになりました。いい傾向です。

私の父は、1993年の1月に死んだのですが、亡くなる2ヶ月前まで、ハイヤーの運転手をしており、労働組合の組合員でした。まぁ、貧乏の象徴のようなもので、中卒だった彼が、最初に考えた技能、手に職というのは、車の免許だったのが、昭和30年代後半です。そこで、タクシーの運転手になったはずが、さらにお金がいいというので、ハイヤーにしたわけです。2勤2休という過酷な労働条件ではありましたが、よく働いたと思います。私は5歳くらいから、春闘の日比谷メーデーのデモ行進などに連れて行かれていましたが、どんなカッコウで行っていたんでしょうか。よく記憶していません。叫び、悲痛であったことや、その裏でやたらと明るい交歓があったことを憶えています。あんなにがんばったのに、結果はわずか1000円だとか、数千円だとかいう単位だったことを、強烈に憶えているのですが、関係者の数が多ければ多いほど、勝ち取る金額などは少なくなければ、経営破綻してしまいますものねぇ・・・。

どこが同意の微妙なラインなのか?は、食べていく賃金に関してはシビアなものが多いのでしょうが、日々、私たちがいろいろな人の中で暮らしていく中、妥協したり、曲げてしまったりする意志が多いことは否めません。その場が丸く収まるからと、同意してしまったあと、支払うツケが多いことに、あまり気づいていない人はかなりの数いるような気がしています。同意された側としては、「一旦同意してもらったのだから・・・」と、何かの大きな意思表示がない限りは、その言葉は言質あるものとして、ずっと受け止められて、確認作業が入ることがなくなってしまいます。定期的な意志チェックをするのは大切なのですが、みんながそういったシステムを採用しているわけではないですし、特に、プライベートなおつきあいでは、そのようなシステムはあってないようなものになることは多いです。

簡単に同意してしまうことがないように、よくよく考えたほうがいいことは多いです。明日は、それらのツケについて、もう少し考えてみたいと思います。

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