学力低下がまた話題に・・・ その1

12/05/2007 にアップした文章です。


昨日、6時間もぶっ続けにお友だちと話したあと、授業をして家に戻ったところ、TVではまたもや、星野ジャパンの絶賛やら事件やらをやっており、その中に、高校生の学力低下という話題があった・・・。そこでも、勉強時間やらゆとり教育やらいろいろコメントされていたのですが、私としては「またかよ・・・」という感じですな。学力ってそもそも何なのよ?誰がどうやって何があれば学力があるって決めるのよ?というそもそもの条件をクリアして、ニュースを受け止めているかどうかが、すでに気になる私なのであった・・・←いつも通りあまのじゃく(笑)。

学力:学校などにおける系統的な教育を通じて獲得した能力。教科内容を正しく理解し、それを知識として身につけ、その知識を応用して新しいものを創造する力。がくりき。

テスト:試験。検査。審査。

試験:(1)物事の性質・能力などを知るために、ためし調べてみること。テスト。(2)人の性質・能力や学習の成果などを種々の問題に対する解答を通して調べること。

検査:ある基準に照らして適・不適、異常や不正の有無などをしらべること。

審査:くわしく調べて、価値・優劣・適否などをきめること。

まぁ、私もそれほど融通が利かない人間で居続けるのも疲れるんですが、在り方は一貫性を持たせたほうがいいんで、貫きましょう←ぼやきに近い(笑)。

そもそも、テストとは何なのよ?ということから。私はテスト好きな人間だと自称しているのですが、それもこの年齢になったから言えることで、フツーはテストなど好きではない人間のほうが多いでしょう。その割には、心理テストや占いが好きなのは、その結果により何か大事(おおごと)なことが左右されないから。言い訳を準備してあげていないテストほどイヤなことはないんだってば・・・。私がテストが好きな理由は、自分の実力が査定できるからなのですが、自分の立ち位置をいつもいつも知っている状態というのは、私にとっては「自衛」の大きな要素なのですが、そうでもない安全な場所にフツーは生きていることのほうが多い。もしものことや危険なことは、そうそうめったに起こらない場所を選び、人々は生きているわけです。なので、もしものことが起きたり、危険なことが起きたりすると、人々は集団でさらにバカになる。私はせめて、自分だけでも愚かな振る舞いをするまいぞ、と決意しているところがあり、それを貫きたいがために、どうしてもテストでチェックしたいというところなのか・・・。

けれども、大前提は、テストは100%の精度はないということ。ただの参考資料なんだよっ!健康診断でガンが見つからなかったけれども、数週間後にガンだと告知されて訴訟をした例は、私は少なくとも聞いたことがない。健康診断はそういうものだと、みんながきちんと受け止めていたり、100%の精度がないということをしっかり明言しているからなのです。

ところが、学力を査定するものになると、どうもみんなその疑問をそれほど顕わに露骨に表面には出さないようである。私も日々、英語講師という仕事をしているのだけれども、どんなにいいテストでも精度は95%。でもコレは稀です。テストなどは占いに近いものがあり、統計学の一環なので、それで打撃を受けたり、進路や将来が決められたりするのは、そもそも私は嫌悪感を隠せないほど反対です。精度は低いんだよっ!

日本が教育に試験制度をそこここに使っているのは、なんだかやっぱり間違った理解と方向性のような気がしてならぬ。たとえば、高校でも大学でも受験をするときに参考資料とするのが、当日の1日限りの試験の結果。他には内申書。受験料。これらが主流で、他には、面接・小論文・実技検査などが入る程度なのでしょう。

内申書の内容はこんな感じ>これは高校受験の内容。

1; あなたの名前、生年月日、現住所、等

2; あなたが受験する学校名

3; 3年間の出欠状況

4; 3年間の出欠状況

5; 健康状態

6; 9教科の観点別学習状況

「観点別」例えば国語の評価でも、

表現力や、言葉についての知識など、細分化して評価されている。

最近では小学校の通知表にも採用されたりしいているので、

既におなじみかも・・・

1; 9教科の評定

いわゆる内申点算出方法は、各県ごとで違う。

2; 学校生活関係のこと

3; 部活動、校外活動(ボランティア等)の活動状況

4; 学校での生活態度(思いやりがある・・・等)

5; 学校長の署名

内申書というのは誰が書いているのか?というのも問題視されていない・・・。ひとりの先生が主観で書いていることは考慮されないのか?どうして、複数の人々で考慮しないんだ?と、私などは怒りがこみあげますが・・・。

小論文を義務化すると何かたいへんなことがあるんだろうか?そりゃ、学校側の労力は増えるんだろうが、ナマの声という意味では、生徒本人のナマの声が聞けるだろうに・・・。テストを受けたあと、自分が感触的にできなかったものをひとつ落とせるだとか、そういうのがあってもいいだろうしさ・・・。面接のための策略や対策でまた塾などが儲かるという恐れがあるにしろ、マニュアル化されたものを受け容れる学校側にも問題があることを指摘したいし、誰がそもそも主役なのか考えていただきたいもんだ・・・。

都立の高校受験などは、この当日試験と内申書だけなので、ほとんどロボットのように選別されているように思えるんだよな。それを子どもたちが感じていないわけもなく、日々の生活が楽しくなるなんてことは、なんだか希望は持てない。暗記ばかりに力が入り、自分で物事を考える力がつくなどとは到底思えない。だってぇ、受験用の勉強をしていたらそうだろ・・・(汗)。

そもそも、学力の系統分けや重要点を文部科学省の学習要綱が網羅していないのに、ボタンの掛け違えもいいところだ、と、子どもたちを責めるようなことはやめてほしいもんだ。

こう力が入るのは、私が勉強嫌いな子どもで、本当に勉強をしないで大人になったせいであり、大人になって自分で勉強のヨロコビをわかったからです。明日に続きます。


12/05/2007 にアップした文章です。


昨日、6時間もぶっ続けにお友だちと話したあと、授業をして家に戻ったところ、TVではまたもや、星野ジャパンの絶賛やら事件やらをやっており、その中に、高校生の学力低下という話題があった・・・。そこでも、勉強時間やらゆとり教育やらいろいろコメントされていたのですが、私としては「またかよ・・・」という感じですな。学力ってそもそも何なのよ?誰がどうやって何があれば学力があるって決めるのよ?というそもそもの条件をクリアして、ニュースを受け止めているかどうかが、すでに気になる私なのであった・・・←いつも通りあまのじゃく(笑)。

学力:学校などにおける系統的な教育を通じて獲得した能力。教科内容を正しく理解し、それを知識として身につけ、その知識を応用して新しいものを創造する力。がくりき。

テスト:試験。検査。審査。

試験:(1)物事の性質・能力などを知るために、ためし調べてみること。テスト。(2)人の性質・能力や学習の成果などを種々の問題に対する解答を通して調べること。

検査:ある基準に照らして適・不適、異常や不正の有無などをしらべること。

審査:くわしく調べて、価値・優劣・適否などをきめること。

まぁ、私もそれほど融通が利かない人間で居続けるのも疲れるんですが、在り方は一貫性を持たせたほうがいいんで、貫きましょう←ぼやきに近い(笑)。

そもそも、テストとは何なのよ?ということから。私はテスト好きな人間だと自称しているのですが、それもこの年齢になったから言えることで、フツーはテストなど好きではない人間のほうが多いでしょう。その割には、心理テストや占いが好きなのは、その結果により何か大事(おおごと)なことが左右されないから。言い訳を準備してあげていないテストほどイヤなことはないんだってば・・・。私がテストが好きな理由は、自分の実力が査定できるからなのですが、自分の立ち位置をいつもいつも知っている状態というのは、私にとっては「自衛」の大きな要素なのですが、そうでもない安全な場所にフツーは生きていることのほうが多い。もしものことや危険なことは、そうそうめったに起こらない場所を選び、人々は生きているわけです。なので、もしものことが起きたり、危険なことが起きたりすると、人々は集団でさらにバカになる。私はせめて、自分だけでも愚かな振る舞いをするまいぞ、と決意しているところがあり、それを貫きたいがために、どうしてもテストでチェックしたいというところなのか・・・。

けれども、大前提は、テストは100%の精度はないということ。ただの参考資料なんだよっ!健康診断でガンが見つからなかったけれども、数週間後にガンだと告知されて訴訟をした例は、私は少なくとも聞いたことがない。健康診断はそういうものだと、みんながきちんと受け止めていたり、100%の精度がないということをしっかり明言しているからなのです。

ところが、学力を査定するものになると、どうもみんなその疑問をそれほど顕わに露骨に表面には出さないようである。私も日々、英語講師という仕事をしているのだけれども、どんなにいいテストでも精度は95%。でもコレは稀です。テストなどは占いに近いものがあり、統計学の一環なので、それで打撃を受けたり、進路や将来が決められたりするのは、そもそも私は嫌悪感を隠せないほど反対です。精度は低いんだよっ!

日本が教育に試験制度をそこここに使っているのは、なんだかやっぱり間違った理解と方向性のような気がしてならぬ。たとえば、高校でも大学でも受験をするときに参考資料とするのが、当日の1日限りの試験の結果。他には内申書。受験料。これらが主流で、他には、面接・小論文・実技検査などが入る程度なのでしょう。

内申書の内容はこんな感じ>これは高校受験の内容。

1; あなたの名前、生年月日、現住所、等

2; あなたが受験する学校名

3; 3年間の出欠状況

4; 3年間の出欠状況

5; 健康状態

6; 9教科の観点別学習状況

「観点別」例えば国語の評価でも、

表現力や、言葉についての知識など、細分化して評価されている。

最近では小学校の通知表にも採用されたりしいているので、

既におなじみかも・・・

1; 9教科の評定

いわゆる内申点算出方法は、各県ごとで違う。

2; 学校生活関係のこと

3; 部活動、校外活動(ボランティア等)の活動状況

4; 学校での生活態度(思いやりがある・・・等)

5; 学校長の署名

内申書というのは誰が書いているのか?というのも問題視されていない・・・。ひとりの先生が主観で書いていることは考慮されないのか?どうして、複数の人々で考慮しないんだ?と、私などは怒りがこみあげますが・・・。

小論文を義務化すると何かたいへんなことがあるんだろうか?そりゃ、学校側の労力は増えるんだろうが、ナマの声という意味では、生徒本人のナマの声が聞けるだろうに・・・。テストを受けたあと、自分が感触的にできなかったものをひとつ落とせるだとか、そういうのがあってもいいだろうしさ・・・。面接のための策略や対策でまた塾などが儲かるという恐れがあるにしろ、マニュアル化されたものを受け容れる学校側にも問題があることを指摘したいし、誰がそもそも主役なのか考えていただきたいもんだ・・・。

都立の高校受験などは、この当日試験と内申書だけなので、ほとんどロボットのように選別されているように思えるんだよな。それを子どもたちが感じていないわけもなく、日々の生活が楽しくなるなんてことは、なんだか希望は持てない。暗記ばかりに力が入り、自分で物事を考える力がつくなどとは到底思えない。だってぇ、受験用の勉強をしていたらそうだろ・・・(汗)。

そもそも、学力の系統分けや重要点を文部科学省の学習要綱が網羅していないのに、ボタンの掛け違えもいいところだ、と、子どもたちを責めるようなことはやめてほしいもんだ。

こう力が入るのは、私が勉強嫌いな子どもで、本当に勉強をしないで大人になったせいであり、大人になって自分で勉強のヨロコビをわかったからです。明日に続きます。


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