日常は無事に過ぎてゆく

2008/10/28にアップした文章です。



うれしい悲鳴なのですが、ここのところスケジュールが詰まっており、忙しい。ブログを書くのが後手に回り、当日の朝に書くことになっていて、朝5時半起きの水曜日などはとても厳しいです。少ないはずだ、と思っていた日中のレッスンも入っており(英語講師の仕事のメイン時間帯はやはり午後6時過ぎから10時くらいまで)、コマとコマのあいだに食事をしたり、シャワーを浴びたり、書類を作成したり、添削をしたり、とけっこうやることはたくさんあります。さらに、時間を捻出しては、友だちと会ったり、打ち合わせをしたり、と、まぁ、びっくりするほど忙しい・・・。うーむ、これが独立のヨロコビなのか?(笑)ブログを更新するときの画面には、否が応でも日付があり、気づくともう10月もおしまいになりそうです。時間が経つのはとても早く、小さい頃、夏休みや冬休みが待ち遠しかった頃が嘘のようです。坂道を転がるように時間は過ぎていく・・・。が、事件があるのは、気にしてはいるんですよ・・・。

 

生徒さんに逢っていると、確実に進歩しているのを見ることができるので、その時間もまた、ある人々にとっては「熟成期間」になっているのだ、と気づけると、時間が経つのがとても短く感じます。その一方、世の中の流れに対して、ほぼ無関心に近い状態になっている自分に、少し驚きの無責任さを感じています。ざらっとニュースを読む時間は取るようにしているのですが、TVがついていたりすると、まるで犯罪はどんどん増えているかのように報道されており、実際は、2007年は戦後最低だったのにな、と思わされます。みんなに余暇ができて、他者と話すよりは、TVやネットに惑わされていくのでしょう。どんなに冷静であっても、増えている感があるのは、自分が個人として接している媒体との関係とその時間(量)の問題なのでしょう。逆に、こんなに平和ボケしている国はない、という危機感が減ることになり、これって悪循環じゃないのかなぁとも思えます。

 

それぞれが細かい懸念を持っていけるような、全般的に安全な国になっているということに関しての感謝は必要でしょう。それでも、ヒトは何かに不満を持ち、よりよい環境を求めていくという、生物的宿命を背負っていることにも気づけたほうがいいわけですし。

 

とまぁ、こんなふうに反省をしているわけですよ。でないと、すべてが他人事になっていくわけで・・・。

 

私の日々がこうして無事に過ぎてゆくのは、どうしてなのか?と考えると、やはりまず感謝したほうがいいのは、廻りからなので、生れ落ちたときに両親にぶっちぎられなかったこと。赤ちゃんポストの話に、賛成反対をいろいろな人が好きに意見を出していることはいいことですが、本当に捨てられた子どもの未来について考えるのであれば、もし捨てられずに放置で生命がなくなってしまうことを考えることがあれば、私はやはり賛成なのです。無責任に捨てる親が増える!と騒いでいた方々は、赤ちゃんポストの状況を、今も追っかけて見ているのかなぁ・・・と。

ある記事では、件数を多いとしている人がいるのですが、私はそうは思わない。実際に、誰にも言えず子どもを産んで遺体をずっと隠し持っていた女性が逮捕される事件というのは、未だに聞かれることです。本当に簡単に捨てたかどうかなど、当事者の聴取をしてみなければわかるはずなどはなく、他人に自分のスタンダードを押し付けるのはいかがなものかと・・・。

 

とにかく生きてさえいれば、続いていく。これはとても大切なことだと思うのです。私も何とかなりましたし・・・。

 

日曜日には、過去問題をもらうために、産業カウンセラー講座のクラスメイトふたりと会ったのですが、しかも「異文化学習」と称して、その場にその日の生徒さんを連れていく、という荒業も披露したのですが、当人はかなり歓んでおり、「また誘ってください」とエンジョイした模様。育ってきた過程が違うと、これだけいろいろなことが違うのだな、というメンツだったのですが、それでも産業カウンセラーという資格に魅かれて集うことになったので、なんだか感慨深いものがあり、1月25日の試験のために、本当に支えあっていこうね♪という確認が取れたことも、日々の力になります。

 

私はそのときに、小さい頃の誕生日パーティーの記憶というのを話したのですが、他の人たちは年代も違うし、地域も違うので、またもや違う思い出を持っていたのです。それを擦り合わせるだけでも、なんだかとても意義があった・・・。私は小金持ち地域の中の貧乏人だったので、お友だちの誕生日パーティーに招かれるのがとてもイヤだったのです。プレゼントを持っていくお小遣いを捻出したり(まぁ、あの時点では母にねだるしかないし・・・)、自分が持参したプレゼント以上のお返しを持たされたり、すごいご馳走を振舞われたりすることが、とてもとてもイヤだった、などという気持ちを話して、なんだかしんみりしてしまい、あんなことを体験したことが、今の私を作っているのだなぁと確認してしまったのでした。お友だちのお母様たちに悪気はなかったものの、あのコントラストを生み出すイベントは苦痛だったなぁ。

 

私には習い事や送り迎えなどという贅沢は赦されなかったので(合気道は格安だったので習えたし、習字も何年か通えたのは毎月500円だったから、というボランティアな先生が見つかったせいなのですが)、その習い事に行くお友だちを見送るのもかなり切なかったのだ、などと、ついでに思い出してしまい、今の英語レッスンの、私の料金の高さ(いや、大手英語学校の半額ほどなので、それほど高いわけじゃないのだけれども、しかも意図的に延長させない上に、結果は出すのでそれほど高いわけじゃないのだけれども・・・)も考えてしまい、この日常の忙しさに対しては、ものすごい感謝をどさっと全身に乗せられたような気持ちでいっぱいになりました。

 

無事に過ぎてゆく日々を持てるって、なんてステキなのだろう・・・、と思わずにいられないところです。まぁ、忙しくて自分を責めるというのはやってしまうのですが、その塩梅を体得すれば、あとは不可のない状態だなぁと。さらにやりたいことはたくさんありますが、今のままでは無理だろう(笑)。これに慣れてこなせるようになり、筆記試験が終わったり、事務処理のシステムが完全に作れたりしたあと、ちゃんとがんばります。

 

ブログが後回しになってしまうのは、やはりInputよりもOutputの作業のほうが手間がかかるせいなのでしょう。自分の頭の中にあるものを、整理したあとでないと、なかなかOutputが短い時間でできないので、今はちゃんと整理でききっているのか、自信がないので、後回しにしてしまうんでしょうねぇ。大相撲の八百長裁判だとか、いろいろ感じたり考えたりはしているのですが、文書化するほどにまとまっていないのです。うーん、これが他人事のはじまりなんだろうなぁ・・・。

 

とはいえ、明日は企業講師の仕事が終わったら、ちゃんと戻って来て書きますので。しばらく続けて書かないと信用してもらえないか(笑)。

 

 

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