これは多くの人々が、TOEICのスコアや英検保持級で判断しているかと思うんですよね・・・。それ、そろそろ止めないとね・・・。だって、実際の英語力とは乖離していることのほうがずっと多いのが事実なので・・・。
誰かが自分よりもできるーできない
というのを判断することに何を見出すのか、少し理解しかねることもあるかもしれません。とはいえ、いろいろと参考になるのは事実。たとえば、英語ができることで他のA-B-C-Dはできる確率が高い、とか、世界のここに関しては注目しやすい、とか、ニンゲンとして生きていくためのコレについてはアテにしてもいい、とか、インプットはわかっていてもアウトプットはできないとか、いろいろと見られることはあると思います。
そうした意味で、TOEICのスコアや英検保持級などで英語力を判断するのはとても危険です。
できる人とできない人を見極めるのが間違っていると、無駄に相手に対して「脅威感」を持ったり、無駄な敬意を払ったりしてしまうのは、ちと違う・・・。
私個人が常々言っているのは、TOEIC990点や英検1級の先のほうが長いということ。スタートラインとは言わないまでも、基本的なことがようやくわかったという感じになるのが、だいたいそんなところかな、と。しかも、常々言っているのは、英語検定などどうでもいいではないか、ということ(笑)。もしも20:45になって悪代官や越後屋やふがいない跡取りが出てきたら、出せばいい印籠と同じだよね、と説明しています。権威に弱い人に出しておけば黙ってくれるのであれば、出してみればいいと・・・。
私個人は、TOEICは990点を3回、英検は1級、TOEICはペーパーを650を1989年に取っているし、在米ほぼ20年だったし、UC Berkeleyを卒業したので、もう受ける必要はないだろうなとはみなしています。GREのほうが難しいしね・・・。
肝心なことは、
- 話せるかどうか
- 話せないとしても書けるかどうか
の2点じゃないのかなぁと思うのです。読み書きよりは、聴いて話せるほうが大切だし、話せないのであれば、正しく伝えられることを理解しているかどうか、それを書けるかどうか、で判断するほうがきっと正しい・・・。
ただ、ここが問題で、日本語を訳しているだけの英語しかできない人は山ほどいます。仕方ないです。日本の英語教育はその方向なので。それを速くできる人を製造することが、英語教育だと思っていた節があり、だんだんコミュニケーション重視とはしてきていますが、それもかなりズレている表現が否めない部分がまだまだ多いです・・・。(・・;)
文法では、
- 時制
- 前置詞
- 複数単数や冠詞、形容詞や副詞、数を数える限定詞
が、できていれば、英語はかなりできる!という方向に属していきます。
他にも、
名詞(人やモノ)中心、日本語の否定形を英語では肯定文で、表現できるようになると、ますますできる方向に行けます。
暗記を一切やめて、自然なものを判別できる鼻のよさが大切ですよね。英語検定ではないです・・・。(・・;)
それでも勉強を続ける人は多いですよね・・・。勉強をせずに、生活で英語を使っているようにしていくと、どんどん自然な形に変わっていくと思うのです。ぜひともそうなっている人=英語ができる人、と見極められるようになってくださいませ。<(_ _)>




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