幼少のうちはそれなりにうまく行っていたかのように見えて、それがどんどん離れてしまっている感じなのでしょうね。前提として、「上手くいく必要ある?」と投げかけたいです。もちろん、砕身するほどの努力を経て、それでもダメなら絶縁もアリです。
あるいは、幼少期から、親やその他の大人の兄弟姉妹の取り扱いに、子どもが理解できかねる差があり、どんどん離れてしまった可能性も大いにあると想像します。社会全体もそうですよね。
私は弟と絶縁し、その家族とももう二度と会うつもりもないし、ものすごく清々しい気持ちでいるところです。天涯孤独上等!です。(・・;) ここに到達するまでには、彼が生まれてから大人になり、私が渡米し、彼の留学を受け容れて以来なので、絶縁まで30年ほど掛かっています。が、それでも徐々に、緩やかに、私が彼に与しないことや、人としての道義のようなものは、しっかり説いてきたのです。母に諍い度合のひどいものを見せ、悲しませる度合を増やしたくもなかったので、母の諦観に合わせた程度に付き合ってきましたが、もうコレでおしまいです。すっかりキラクになりました。
血が繋がっていたとしても、大人になっていくにつれ、生き方や信じるものが変わってきます。それについて、相容れない、人として譲れないものがあれば、うまく行かないのは当然です。同じ家庭で生まれ育っているのに、違う経験のほうがずっとインパクトが強くなり、世界観や価値観がどんどんズレていくようになります。
ただ、ここで問題なのは、「どちらがより正しい」という争いをしないことですよね。
だって、ひとりの大人として違う人生を歩んでいるのだし、それが自分にとっては正しいかもしれないが、他者にとって正しいとは限らないことは知っているはず・・・。ヒトのエゴは、どうしても「自分は正しい」と思いたいこと。それを証明するためのような言動をよく取ってしまう傾向にあります。だとしたら、もうヒトの数だけ無数で無意味に近い争いがたくさんになってしまうだけなので、少なくとも自分はそれに加担しないことだけは、ぜひとも気に留めていただきたいです。
うまく行くための努力の甲斐があるかないか?
私個人の見解は、ただただ生きていた母を悲しませたくはなかったから、というひとつだけの理由です。高齢になればなるほど、どうしても悲しませて心の負担になるようなことはできなかったです。とはいえ、彼女が時折話しかけてくることに対しては、たくさんの希望を持たせないようにすることが、もしかすると、多少悲しませていたかもしれません。母や私がどこまでか折れた状態でも、私の弟は自分を妥協することがなく、譲る部分がほぼ皆無でしたので、母はそれについてゲンジツを受け止めるしかなかったのだろうと思うと、切なくて、自分の無力さについては反省頻りです。ただ、彼女が不幸の中で死んでいったことについては、もう変えようもない事実なので、私は生涯引き受けていくつもりでいます。本当に無力に近かったな、と。
それがゆえに、自分が生きていく時間を、もうこれ以上使いたくないという気持ちは倍増しました。これについては、両親共に草葉の陰で許してくれているという自信はあります。
生きている場合は、たぶんいろいろと言われることもあるでしょう。それでも負けないでほしいです。血縁だからという理由だけで、うまくやっていかなくてはいけない、という義務などありません。努力をしたけれども、努力の上には努力があるのは知っているけれども、もうここで限界、というのは作っていいです。でなければ、ひとりも助からないで、船は沈んでしまいます。共倒れにならぬために、別々の道を行く選択肢はアリです。
それぞれが正しいと思う道で、それぞれが最大限倖せになることです(^^♪ 割り切りは難しいけれども、きっとできる!大丈夫です。
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