April Fools’の意義は、このように諸説あるのですが、どうしてこれらの由来が生まれたか?というと、やはり社会的に「嘘をついてはいけない」という圧迫感から生まれたんだろうと思うんですね。封建制度や宗教的道義によって、敬虔に質素に勤勉に、意に反したこともたくさんあったんだろうと思うのです。それを年に1回くらいは開放したい!というお祭り的解決法だったんだろうなぁと・・・。
とはいえ、私はイベントや記念日を多く持つのがとっても面倒くさいと思うので、せいぜい「季節柄」という旬くらいしか守れない(笑)。なので、April Fools’も大切にする機会とはみなせない(笑)。それをしたらキリがなくなるのだー!
「おつきあい開始記念日」を毎年1回の祥月命日ではなく、毎月の月例の記念日、月命日のように毎月祝うヒトが存在することを聴いたり目にしたりすると、すごいマメマメしいなぁと感心しきり。私は両親の月命日に気付く可能性すら、半分くらい:50%。しかも気付くのは朝じゃなくて、夕方や夜になってしまうのだった!なぜならば、いつも曜日で動いていることのほうが圧倒的で、日付で動いていることがいかに少ないか?ということなのだろうと思うのです。
なので、私は他の記念日等をやらないのと同様、嘘はつかない。
というか、日常的に本当に嘘はつかないのです。たぶん、もっと有意義なことに脳のエネルギーを使いたいので、誰にこう言ったとか、いつこう言ったとか、これはこの程度フィクションでこの程度がファクトなどということに気を使ってストレスにしたくはないのですよね・・・。
面倒くさすぎる!
かと言って、刃のように鋭く嫌味な人殺しに等しいむごいことをいつも言っているわけじゃーないです(笑)。相手が傷つかないように、場が混乱しないように、生産性が上がるように、と伝えることには全力を尽くしています。
嘘をつくさまざまな工夫やエネルギー消費よりは、近い将来にどの程度何かがポジティブに変わるように、This momentにエネルギーを消費するほうが、ずっとずっと自分のためにもなると思うし、全体的に社会も上がるんじゃないかと思うんですよね・・・。
無茶苦茶おもしろいエンターティナーには私はなれないので、極上の嘘やシニカルさを考えつくのに時間を費やすことはしていません(笑)。そういう嘘がつけたら、やっぱり April Fools’ は楽しめるのかな???
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