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場所が変われば非常識

12/29/2007 にアップした文章です。

毎日なぜかとても切迫感があっていいなぁとにやついている年末です。もうね、授業準備をほぼしなくても、臨場感やら現場での反応やらで、マニュアル通りのことを多くしてこなかった私には、この日々は新鮮です。進学を目指しての塾というのは、対策のために本当にいろいろな教材があり、その教材を学年がわかっていても選ぶだけでかなりたいへん。もちろん、ふだんは英語しかやっていない私ですら、その教材は山ほどあるんですから、そりゃ当然のことではあるんですけれども・・・。そのマニュアル通りに固執しないよさと悪さというのは、やっぱりあるよなぁ、という例を新聞で見つけてしまった!海外でのDVによる逮捕増加という記事・・・。しかも場所は、私が使っていた空港が多いらしい(苦笑)。


昔むかしは、児童虐待の逮捕者が多かったのです。アメリカに来てそれほど長い歳月が経たない居住者が、子どもの扱いを出身国の文化通りに行うと、アメリカのそれぞれの州の法律に払拭してしまう場合があって、自分の子どもだというのに、逢えなくなったり、親としての指導を受けたりするケースが激増した時期というのがありました。ええ、スーパーなどで泣き喚いてお菓子などを欲しがる子どもを「はたいたり」「ぶったり」「手を引っ張ってひと気のないところへ連れて行こうとしたり」「大声で怒鳴ったり」すると、連れて行かれてしまうケースが多々あったようです。

私は当然、18年半もアメリカ、しかもカリフォルニアに住んでいたわけですから、公衆の面前で子どもを叩いたり、脅したりすることは、「よろしくない」と考えています。どうしてもそうなってしまうケースはあると思うんですが、どんなに親ががんばっても子どもが泣き喚いたり、多動だったり、暴力的だったり、などする場合は、「子どもが子どもらしい行動をしているかどうか?」を考える必要があるのですが、「これくらいならば大丈夫」と何の手も打たない態度、あるいは、叩いたり脅したりして言い聞かせる態度に大いに疑問を持ちます。もしかすると、成長過程での何かの支障があるかもしれないだとか、親としての態度がよろしくないかもしれないだとか、いろいろ原因はあるかもしれない。それについて省みないのはやっぱり傲慢というもの・・・。

「この程度の子どもはいくらでもいるし、家だけじゃないんだから、この場だけ何とか納まれば」という短絡さを、まずはよくよく考えてみたほうがいいように思います。

暴力を使って言い聞かせるというのに賛成な方々は、「痛みを知らない大人になってほしくない」とよくおっしゃいますが、痛みそのものが、心的なものから身体的なものまでと多岐に渡りますし、そもそもその個体が生まれ持った感覚の違いがあり、強さや弱さに対する受け手とやり手の感性もそもそも違うことになっており、やり手が受け手にある意味「強制」していることは否めません。

ここなんですよ。私はこの「押し付けられる」ということが大っ嫌いですから、誰かが自分の意志の外で、何かを蒙っているところをなるべくならば見たくもない・・・。自分の意志が追いつく年齢になるまでは仕方ないだろうって?言葉が話せればコミュニケーションはそこそこ成り立つものです。

どうしても、自分の出身国や文化の「マニュアル」を行使したいのであれば、公的な場所は避けることです。それすらわからずに、バンバン法律や条例違反をするのは、そもそも他人のマニュアルに対しての敬意が足りない不遜なことです。

ましてや、口をしっかり利ける、異性に対して働きかける暴力というのは、とがめられても当然の成り行きでしょう、しかも、公的な場所で・・・。周囲の人間の価値観はさまざまですから、「証言者その1からその10」くらいまでが、自分に味方をしてくれないかもしれない可能性が高いときには、そんな言動は公的場所ではなく、プライバシーがしっかり確保できる場所でやってきていたのですが、まずは児童虐待、そのあとDomestic Violence(DV:家庭内暴力)が世間的に浮上してきて、問題視されるようになったわけです。DVを家庭内ではなく、公的場所でやったら、やっぱり「世間に挑戦している」ってことになるんでしょうよ・・・(汗)。

日本ですら、空港やデパートや繁華街などで、誰かが誰かに暴力を振るっていたら、親切な第三者やおまわりさんが仲介に入ることが多いですし、その強度や場所柄やメンツの問題で、より厳しい国や場所、文化があってもおかしいことではないはずです。昔の人はそのことを『郷に入れば郷に従え』と言いました。

とはいえ、親父狩りなどに助けが入らないこともあり、ちと悲しい現実もたまにあるんですが・・・。

よくアメリカは極端だという言われ方をしますが、確かに極端です(笑)。なぜならば、権利や自由を主張する人が多いので、とりあえずネガティブなことは取り締まっておき、そのあと裁判で明らかにしようじゃないか、という態度があり、かなり保守的ではあるのです。アメリカの保守派というのは、かなり人道的で、昔からRepublic(共和党)はキリスト教教義者で、アイルランド系のJ.F. Kennedyが台頭したときには、異質の存在だったわけですし。Democrat(民主党)のほうは、その人道さに「人が少し手心を加えてもいいではないか」という観点があるのが、本来のアメリカの政治二党制で、私のお鮨やさん友だちは、あくまでRepublicanな人がけっこう多いんです。

DVや児童虐待がいい悪いなどというのは、それぞれの価値観ではあるのでしょうが、法律や条例などですでに決められている場所に行く場合は、やはり従わねばならぬ。それを知らないでやってしまう日本人が多いという指摘には、考えたほうがいいことがけっこうあるような気がするのです。

私はアメリカ帰りだということで、いろいろな意味でオトクなところもありますが、やはりマイナス評価を受けることも多い。たとえば、「一流企業に勤めたことがない」というのも、アメリカ在住が長かったがゆえに、さらにたとえあったとしてもビジネスの仕方がアメリカ式だったことになり、マイナス評価になるご時勢です。なにしろ、日本の1960・70年代は経済界の世界的ミラクルですからねぇ。

それに加えて、対人関係でも、理解できない言動をしていることはきっと多いのでしょう。その日本のマニュアルである保守性が、どこから来ているのか?を考えてみるのは、けっこう意義のあることではないかと思うのです。私は日本が好きですし、日本語が好きですし、日本人に生まれて育ってそのあとアメリカに渡ったがゆえに、アメリカ生活が楽しかったのだと感謝しています。それでも、「いいところはどんな国のどんな文化からでも取り入れる方式」を採用しているので、愛国心がない非国民のようにみなされることも多々あります。なのに、やたらと時代劇が好きだったりもして(笑)、自分が勧善懲悪を通しきれないがゆえに、あれらを見るとものすごくすっとした気分になりますね。ああいった時代があったことや、たとえフィクションであっても、今の自分に学ぶことがとても多いような気がするからなのでしょうか・・・。

場所が変われば非常識なことは、誰にとってもあるものです。サファリなどに行けば、ヒトがどんなに叫んでも道理を主張しようとも、領域を侵したヒトは食われてしまうことでしょうし・・・。もちろん自分のカラーを持ちつつ、シフトできるモードをいくつか持っていることは大切かもしれません。が、ここで薦めているわけではないのは、「閉鎖された空間で、児童虐待やDVやれ!」ということではありませんので、あしからず・・・。

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