つい最近、「あっぱっぱー」という言葉について調べてみたのであった。
知らなかったのだ。するとその理由が判明した。関西のほうで使われる率が高いということを・・・。たぶん日本に24年+12年=36年住んでいる中で、聴いたことはあったに違いない。でも、気にしていなかったんだろうね、ファッションにさほど意識が行かないから・・・。(-_-;)
なぜ調べたか?というと、松居一代氏の記事に「あっぱっぱーでNYへ」と書いてあったので、「ん?意味がわからない・・・」となったのだった。さらに、発言小町でもあったのだ!
2回も見てしまってわからない単語ならば調べてみないといかんな・・・、と思う好奇心が強いワタクシ(笑)。
でも英語で検索してみると、日本の昭和時代のサマードレスと、Mother Hubbard dresses はちょっと違う。日本人はアレンジがうますぎる!と、またもや唸ってしまうワタクシでもある・・・。1880年くらいの感じで、アジアに渡って暑いところに行っても、今の日本で売られている(あるいは昭和からずっと)形とはやっぱりちょい違う・・・。
うーん、でもあっぱっぱーがわかってよかった(^^♪
そこで発言小町のみなさんのご意見と同じように、「自分が着心地がよければどうでもいいじゃん・・・」と思う私には、外見や容姿が重要だと思う気持ちがないことを再確認する。ましてや持ち物も「自分の尺度である使いやすさや愛着だけでいいじゃん・・・」としか思っていないこともさらに確認する。
ここのところ、というか、渡米してからこっち、お化粧をする回数は減り、24歳半で渡米するまでは、アルバイトに行くにもしっかりお化粧をしていたので、毎日していたのだけれども、渡米してからはどこかにお出かけするとき以外はしなかったので、たぶん1か月に数回に減り、その後、大学に行くようになってからは、数か月に1回に減り、今はもう数年していないことに気付くほどになる(笑)。
しかもアメリカでのキャンパスライフが長いせいで、ポロシャツやダンガリーやマキシ丈のワンピースやジーンズなど、カジュアルなものしか着ていなかったせいもあり、たまにかっちりしたフォーマルウェアを揃えても、サイズが合わなくなるし(笑)。
なんかもう着るものを追求してもキリがないなぁと・・・。化粧も髪型も同じ。疲れるだけ・・・。華やかな気持ちになれるのは、私にとっては容姿や外見をバリっとさせたり、優美にしたりすることじゃーない。
華やか:はでに美しいさま。盛んで人目をひくさま。はなばなしく栄えているさま。
何かをみんなが気付かぬうちにやり遂げて、Tadah-! とファンファーレと共にお披露目するとき。それを誰かに見せる必要すらなく(笑)、自分で悦に入ることが、私の華やかな気持ちなので、キリのない時間のかかることに必要以上に無駄な時間を使いたくはない・・・。
最後に髪飾りをつけたのはいつだったか?というのももう忘れてしまった・・・。ピアスはつけるけどね。このきっかけは、尾崎豊テキな反抗心だったのだけれども・・・。
というわけで、外見や容姿、持ち物を大切だと思いたい気持ちがたまに過る・・・。でも結局続かないのだよね・・・。
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