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母逝去

あまりいいニュースではないので、これでBlog記事を1本書くのもなぁ、と思いつつも、考えをまとめるため、自分のために書いてみようかと思います。現在2月9日朝です。

今朝未明、母はひとりぼっちでベッドの上で亡くなりました。朝、私が白湯のためT-Falをつけて部屋を見たところ、すでに旅立っていました。今日、夕方に医師の往診とケアの区分変更のための契約のアポがあったところです。あっけなさすぎて、実感が湧くゆとりもなく、ただただ、ひとりで逝かせてしまったことに大きな悲しみを感じているところです。

できることはすべてやったか?

してきたと考えています。83歳の誕生日にも、ステーキ・お鮨・ケーキ・フルーツ・ワインで1月28日にエンジョイしたばかりでした。たったの、12日でこんなに悪くなるなんて予測してもおらず、引っ越し後、あまり改善しない健康状態に焦り、マイナンバーと転居届も、私が代理で行ったばかりでした。ゆえに、ケアマネさんに連絡をして、善後策を立て、それに向かって発進するところだったのに、と気が抜けている状態です。

引っ越しを決断した理由も、母が二階家の2階から降りてくるのが億劫になり、散歩もしなくなったこと、運動範囲が狭くなり、歩けなくなることを危惧したからでした。認知症の症状が強く出始めたことも私の不安に拍車をかけ、とにかく小さい頃から運動が嫌いだった母に、最低限以上の「生活の中での筋力運動」をしてもらいたかったのです。

慣れ親しんだ調布駅に近くに戻れば、歩き廻り、買い物をエンジョイできる楽しみも増えると思ったからで、それをまさしく、昨日の夜、寝る前に話したばかりでした。なのに、数時間後に逝ってしまうなどとは、まったく思ってもいませんでした。

私はひとりで勝手に、彼女はこの努力がどんどん報われなくなり、寝たきりになり、寝たきりを数年続けて、100歳近くなってから逝くものだとばかり思い込んでいたのです。それまでは、毎日しっかり施設に入れることなく、理学療法士さんやヘルパーさんの手助けを依頼して、続けていく覚悟満々でした。

猫たちも母の居室に出入りして、いっしょに寝たり、手足を舐めたり、温かみを分け与えて楽しそうだったのです。話しかけるように鳴く猫たちを相手に、それなりに楽しそうだった母は、そもそも生き物はさほど好きでもなかったのに、それなりのMomentsを楽しんでいたようでした。

なかなか動いてくれない母を怒鳴ってしまった直後には、自己嫌悪に陥り反省したり、イライラすることがあったことも、徐々に慣れ、怒ることなく、マッサージをしたり、ベッド廻りを整えたり、お弁当を作ったりなど、本当に楽しくなってきつつあったところでした。

ネットやケアマネさんと話し仕入れた情報で、歩いて動いて軽い運動からすれば、元の生活に戻れると信じていたがゆえに、彼女が数日前から「息が苦しい」と言い始めたときにも、間質性肺炎か、心不全の前兆だと思って、すぐに診察をお願いし、手配したのですが、動けなかったために住居変更届がなされていないため、少し待ち時間ができてしまったことが、本当につらい。だって、今日だったんですもの。ほんの1日早ければ、彼女は死ぬことはなく、数日の入院で心も身体もリフレッシュしたあと、地道に動けるようになるはずでした。

決まりごととはいえ、本当にここだけがネックだったという消去法をすると、『ごめんね』としか言いようがないのです。ひとりぼっちで眠りの中で死んでしまった母を見つけてまだ2時間経っていないのですが、まだ私は泣いていません。感情的になることで、何か大切なことを見落としたくはなく、父の遺影に謝ったあと、ケアマネさんに電話できる時間を待っているところです。そのための建設的な時間の使い方は、心の整理だと考えて、タイプを始めました。

このあと、電話をして、手続きがわかったあと、母のベッド廻りの整理を開始です。これから14日間は、手続きなどで忙しいかもしれないですが、できるだけ日常を過ごす決意をしました。いつ滝のような涙にまみれることになるか予測がつきませんが、父が亡くなったときと同じことはしないようにしたいと願っています。アル中に1年間も浸ったことは大反省ですので。

車の免許も延期です。要らなくなりました。が、たぶん春には母のためにもまた自分らしいモードに戻る予定です。もう少し、もう少しだけいっしょにいたかったなぁ・・・。

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