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考え方の土台:本質を見抜く

ヒトそのものの土台は「生命があること、その生命が存続していくこと」です。その個体が、どのように充実しつつ、ネガティブもポジティブもすべて自分の中に採り入れ、取捨選択しながら情報として脳内整理をし、何に出遭ったとしても自分の中に持っている整理された情報を引き出して、照らし合わせをしながら生きていくのですが、問題は、区分・グルーピング・分類が甘いこと。

成熟度によって、「好きー嫌い」だけの場合もありますし、「損ー得」で終わる場合もありますし、その後、自分の「美徳・美意識」に偏りすぎたりする分類部分も残っていきます。こうして見ていくと、好き―嫌い、損―得だけで、物事を捉えて自分の言動を選択することがいかに危ういことなのかわかってくるとうれしいです。なぜならば、美徳・美意識を加味して物事を眺めても、やはり危険はまだまだ残るからです。

時間軸をどんどん足し前していき(現在だけではなく、昔にも未来にも延ばす)、論理的で客観的な視野を加え、感情をなるべく抑え込んで考えたあとに、場合やタイミングや場所や相手に合わせた感情を加え、選択するのが理想です。

とはいえ、この考えるプロセスを多くの場合、誰も学んでいるわけではなく、自然に行っていることが多いのです。赤ちゃんから保育園・幼稚園までは、廻りにいる大人や住環境が与える刺激により、個体差が生まれます。それを修正するかのように、義務教育になると文部科学省の指導要領の細かな科目別の教育を受けていきます。その科目ごとにさまざまな分類を見て、それを自分の脳内の整理の仕方として採り入れていくのですが、科目ごとの分類で、「暗記もの」「計算もの」「練習もの」など、不思議な分け方になっていきます。

本来やるべきことは、どんな学習対象物であっても、その「本質を見抜くこと」なのですが、暗記はおそらくその本質が含まれていることもあれば、含まれていないこともあります。悲しい・・・。含まれていない場合は、どんどん脳内がスカスカになっていきます。(・・;)

本質:1 物事の根本的な性質・要素。そのものの、本来の姿。2 哲学で、存在するものの基底・本性をなすもの。㋐偶有性に対立し、事物に内属する不変の性質。㋑実存に対立し、そのもののなんであるかを規定し、その本性を構成するもの。3 論理学で、思惟の対象を定義する諸限定。類・種のごとき普遍をさす。→実体 →属性 →本体

それを逃すと本来の姿が見えない、根本がわからない、ということになっていくわけです。英文の慣用句の暗記などはその最たるものですね・・・。(・・;)

箇条書きのトレーニングをしてみると、それらを削って削って、最後に残るものが本質であることに気づけます。もうこれ以上削れない!となったものが、本質です。

自分の本質にしても、ヒトとしては生命が土台ではありますが、Identityが本質になります。自己存在証明と訳されていることが多いでしょうか・・・。自分とはナニモノで、どんなところでどんな人々に囲まれて、何を使命感や義務として遂行し、どんな倖せを追求していくか?がわかっている個人は、かなりラクで楽しくなってきます。この本質を裏切るようなことがあると、苦しくてつらい。

どんなものを見ても、その本質が見抜けるようになることが、まず始めの一歩なのですが、かなりの割合で残念な言動を選択してしまうことが多いのです。

この本質を見抜くためには、「目の前にあるものをあるがままに観察する」という力と、「なぜなのか?という問いと疑問点」を持つことが大切なのですが、イマドキの学習法を観ると、そこを鍛える方法論はすっ飛ばして、とにかくたくさんを頭の中に入れようとする傾向があるようです。

今晩のおかずは何にしよう?という単純な問題でも、本質としては、「お腹を満たす」「好きなものをゆっくり食べたい」に隠されてしまい、惑わされてしまい、「生き延びるために最善・最良のものを選び、栄養価とする」という本質が薄れてしまうことが多いです。

さて、みなさまは本質を見抜く力ありますか?

英語とは、という物事に関しても、どんどん分類していく力があれば、本質が中心になっていることがわかります。ぜひとも自分の中に残る学びを進めていってくださいね。

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