人為ミスがいかに多いか

03/13/2008にアップした文章です。

医療ミスであれ、航空事故であれ、日々の仕事であれ、物事というのは、人為ミスの割合がとてつもなく多いことは、自明であるけれども、実際、人々はこれを実感して日々を暮しているわけではないようです。今朝のモーニングショーの特集で見たのは、抗がん剤投与のミス。週に1回という処方を、1日1回と読み間違えたというもの。信じがたいミスです。ひとりの高校生の女の子の命が奪われてしまったのですが、それについて追いかけをしている取材は、断固とした論調ではあったのですが、その医師は医師免許を剥奪されたわけでもなく、今後も停止処分ののち、医師として活動していくのです。おおごとです。

 

テクノロジーが進み、モノは凡人にも自在に操れるようになりました。これについては、過去、何度も手を替え品を替え、いろいろ書いてきましたが、「便利なんだからいいだろう」というゲンダイジンの開き直りも、たくさん感じてきています。かく言う私ですら、こうしてPCを使っていますしね。携帯はフルに使えていませんが(爆)。ファックス・スキャナー・コピー機能つきのプリンターにも、今朝は腹を立てたところです。ファックスが送られてくるたびに、インクジェットのカートリッジが目減りするわけですもん。某HP社は、本体ではなく、カートリッジで利益を上げているんでしょうねぇ。それにどうしても加担したくない気分は募り、余分な広告ファックスはきてほしくない!と、今朝は怒っていたのです。NTTもスキャン方式ファックスを早く開発してほしいものです・・・。

 

さて、人命が左右されるようなミスがこれまで何度も繰り返されてきましたが、そのほとんどは、「器具・用具・技術の使い方を間違えて」ということに、人々は気づいているのだろうか?と、やはり疑問は続いていくわけです。

 

とりあえず、素手で人命を奪える人々がいかほどいるのか?といういじわるな質問はやめていただいておいて・・・(汗)。

 

これほどまでに人為ミスが多いのであれば、方法はいくつかあり、

1. 人々をしっかりモニターする機関・システムを設ける

2. なるべく器具・用具・技術に頼らないシステムを作る

3. 器具・用具・技術の操作に関するミスを作ってしまうチャンスを減らす

 

なのですが、3.は訓練学校やその他でこれまでもされてきたことですし、1.も考えうる限りはやってきたんでしょうねぇ。

 

日本に戻って来て、「あ、常識がズレていた・・・」と思ったことに医療があります。医師と看護婦さんだけの密室で、取り交わされる会話というのは、なんだか心もとないと感じるわけです。私がアメリカで通っていたクリニックには、「よくいっしょに仕事をするセラピストやソーシャルワーカーの案内」が配られており、他にも「抜本的な生活習慣病への不安」のために、「栄養士」の紹介リストを配ってくれます。このクリニックだけではカバーしきれない疾病については、提携病院や他の専門クリニックがあることをリスト化してあり、いちいち手渡ししてくれました。

 

私的には、これくらいやっているのが「人々をしっかりモニターする機関・システム」なのですが、日本にはそれがないところのほうが圧倒的なようです。日本に戻って、脂肪腺が詰まってしこりができたために、エコーを掛けたことがあるのですが、そのときには、「整形外科」「外科」「内科」をたらいまわしされました。連動している様子がまったく伺われない。もしもこれがガンだったら、私は怒り心頭に達して訴えていたかもしれないなぁと思うのです。父のときにも、16年ほど前だったのですが、それについて怒ったら、「アメリカかぶれ」と言われてしまいました(苦笑)。それだけではなく、患者の意志や意思を無視する、医師の推測によるベストな方法を押し付けられたというのから始まるのですが・・・(汗)。結局、信頼できなかったために、簡単に済むレーザーによる除去手術などには踏み切れず(ほんの5分なんですけどね)、病院探しをしたほうがいいやということになり、検査の結果、検査を続けていれば悪性に変わる可能性は極めて低いということだったので、ちと放置してあります←いけないんですけどね。Mammographyは掛けているので、大丈夫かと。

 

そして、私個人がひとりでやっているのが、不買運動(ボイコット)と同じくらい小規模ではありますが、器具やテクノロジーに頼らない日々を送るというもの。なので、携帯はフルに活用していませんぜ(汗)。電子辞書も使いませんし、iPodも持ち運びできる液晶画面も導入していません。仕事でどうしても必要なデジカメやPCは必要最低限にしており、その利用の仕方というのを、熟考してから使っています。

 

便利でも私自身を怠惰にしてダメにするものには、最初から手をつけないというのが主義で、私はアメリカで携帯を手に入れるまでに、7年ほど時間を掛けましたね。PTSDから復学して、パニック症状を起こしたときに連絡できるように、という切実な状況にあったことで導入を決意しました。が、持っているだけで使うことはほぼなく、タイヤもパンクせず、待ち合わせに遅れることもなく、使わないで済んできてしまったような・・・。

 

現在も、授業の最中や合間には携帯に出ることもできなければ、チェックのしようもないので、留守電機能に使っているような状態で・・・(汗)。ただし、ちょっと利用価値があるなと思うのは、母がボーイフレンドの家に泊まりに行くときに、鍵が行方不明になったり、集金や宅配などの連絡がうまく行かなかったときに使えること。が、この1年半で3回ほどしかありませんでしたが・・・←いや、裏を返せば、3回も人為ミスの芽があったということで(苦笑)。

 

私はパイロットだったのですが(今でもライセンスがあるので、乗るときにはパイロットなんですが)、自分が乗るヘリやセスナについてのマニュアルをいかに読むのか?という訓練は受けましたし、緊急時の練習は毎回やっていましたね。ヘリでは、Auto-Rotationというのがそれなのですが、上空500フィートでエンジンをわざと切って、不時着する寸前までを繰り返し練習するもの。死ぬか生きるかがかかる練習なので、ほぼ100%の達成率でないといけないわけで・・・。英語に関しても、自分の生命がかかるかもしれなかったので、私の上達は早かったのかもしれません。気象学も雲ひとつで天候がわかるようになるのは、生命がかかっていたからなのかもしれません。航空法もそうですし、航空力学も同じです。

 

医者の医療ミスなどは、自分の生命でなく、他人の生命だからこれほど起こるのでしょうか?あるいは、懸念されているように、機能しないほどに疲労していたり、物理的な人員人数が足りないからなのでしょうか?最初の例に出した、「週に1回」を「1日1回」に間違えるなどというミスは、チーム医療体制を取っていたら起こりえないミスですよね・・・。チームを作るほどの人員がいないんでしょうか・・・。

 

昨日、母は、チーズリゾットに死ぬほどブイヨンを入れてしょっぱくしてしまう、という人為ミスをしでかしてしまいましたが、本日、ほうれん草やうどんを足して、おいしく食べられる復活をしました(笑)。この程度であればいいのか?いやぁ、気づかずに毎日あんなに塩分を摂らされたら私は腎臓病やら肝臓病やら高血圧になってしまうぜよ・・・。なので、いけませんや・・・。

 

人為ミスが起こらないために何をしていますか?取り返しがつくものとそうでないものの区別からして、ちゃんとついていますか?生きていくための賢さというのは、こういうところで光るものなんじゃないかなぁと、つくづく思っているところです。

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