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Going Stronger

2009/02/10にアップした文章です。

私のここのところの泣きには、あまり価値が高く設定されていないほどの回数になっており、1日1回が、すでに1日3回くらいに増えているところで、たとえこの先泣かない日があったとしても、生涯1回は泣いた、としっかり確信として言えるまでになっています。うどちゃんのことはもちろん、このところあらゆる人々に感謝したい気持ちで、ただただ自分を卑下する謙虚とは違い、「ふえぇぇ、私は天国の階段を着実に登りつつあるなぁ・・・」というさらなる感謝モノにもなっています。

 

お休みをしている最中、裏メールで校長センセと書簡を交換し、私がどうしてもダウンしていたので、余りに図々しいとは思いつつも、電話で話すことをお願いし、快諾してくださったので30分以上もダラダラと話すという所業をやってのけたあと、「もう大丈夫かな」と思わせておいたフェイントになってしまい、その後、またもや校長センセのほうからお電話をいただく羽目になってしまいました。

 

いやぁ、感謝感激雨あられですね。

 

さらに、西さんにはもう言いようのないくらいの感謝が深く深く根ざしており、これを根こそぎ取れと言われても、死んだって不可能なことがわかるくらいになってしまったので、それについても泣ける材料となってしまったのですねぇ。いつ結婚したのかわかっていないのです。5月だったことしか。が、いっしょに居るようになってからは、1989年2月からのことですから、20年が経ちました。ちょっとびっくりするくらいの年月です。その間、本当にいろいろなネガティブな出来事がありましたが、見事に彼は、私の苦しみや悲しみを半分以下にしてくれました。

 

英語では、The only person you ever talk with is your partner, and if you have an issue involving your partner, you can’t really talk with him or her. ということになります。私はこの点で、本当に恵まれており、心の中の深部にあることを説明を少しするだけで把握してもらえて、安全基地になってくれるパートナーである西さんがいます。世の人々の問題のほとんどは、これがあるかないかで大きく吉凶が左右されるのですが、私はこの土台があるのでたいへんに恵まれているわけです。

 

そしてネコたちもそうです。母もすべての分野でとはいかずともこういう状態であることに、ひどく感謝しています。弟とはあまりうまくいってはいないのですが、生徒さんたちとも概ねうまく行っており、契約や委託を辞めて、家でのレッスン1本に絞ってきてよかったと思っています。概ねとは、お休みが多い場合があると、やっぱり英語の上達が進まなかったり、スケジュールで面倒なことが多くなり、私の収入が安定しないという危うさがあるからで、それもそれほど多く起きていることではなく、格安さ加減には感動してもらっています。もちろん収入によって感じ方は違うのでしょうが、私は自分がChargeしているお金以上のことは教えていると自負しているので、それに納得しなければ生徒さんが続かなくなると思うので、今のところは大丈夫なところです(10月からで、ひとり、文法レッスン12回予定を7回で終わってしまった方がひとりお辞めになりましたが、自習とそのやり方の大切さというのは伝わったので、私としては満足です。うーん、こんなことも書く必要はないのだろうけれども、まぁ、書いておいたほうが正直路線の私としてはスッキリなので)。

 

どんなに苦しもうと悩もうと、根拠のある明るさ(Positivism)と健康に支えられた生命さえあれば、より強くやっていけるのだなぁと、ここ2ヶ月ちょっとでさらに感じることになりました。さらに私がよりよい条件として備えているのは、私を理解してくれようとする支えがあることなのだと。それに対して感謝できる心があるよう、育ててもらえたことだとも思えています。

 

昔むかし、好きなタイプの男の人という質問に対して、「優しい人」だとか「強い人」だとか、漠然と答えていた10代を思い返し、なつかしい気持ちでいっぱいになっています。そのとき私は、「強い人が好き派」だったのですが、今でもその勘というか、根拠があまりしっかりしていない頃に選んだものが、私には正しかったように思えます。

 

今、江戸川乱歩が書いた「探偵小説概論」を読んでいるのですが、昭和初期のあの時期、英語の発音があまり浸透していない頃、原書を簡単に手に入れることができなかった頃、あれだけの系統ができた江戸川乱歩に驚愕しつつ、その論理性をおもしろく読んでいます。その中では、チャンドラーがそれほど高評価になっていないのですが、話が進むにつれてだんだん高評価になります。アメリカ全体で、ハードボイルドの元祖と崇めたてられているハメットを基本としてそれを発展させている、アメリカのハードボイルド探偵小説の進化がわかってきます。私は、根がとことんハードボイルドなやつに育ってきてしまったので、非常に楽しく読んでおり、その強さの裏打ちについてよく考えています。

 

ハードボイルドの簡略な歴史はこちらで>

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%9C%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%83%89 

 

ひとりひとりが強さや優しさについてどう感じて考えていくのかは自由にしても、私はやはり今後も、「より強く」なっていくことを選び取りつつ生きていくのだろうと思います。ただ、より強くなっていくためには、磐石があってこそ、ということがあり、それは英語を教えていくことにも大いに役立っています。これを手を替え品を変え、いろいろな人に英語という媒体を通して披露していくことができていけば、生徒さんの英語力は、他のフィールドと繋がって、裾広がりを見せていくことになります。21世紀の中盤あたりになったら、私が死んだあとでもそれを使って生きていける人々が残ることになります。

 

最近、こんなことを考えるから、年を食ってきたなぁと思わされるのかなぁ(笑)。子どもがいないことを選んだのは私の身勝手ですが、誰かの胸の中でどんな形でもいいから生きていきたいと思うようになったのは、30歳を過ぎて大学に戻り、人類の英知の偉大さについて、ひしと感じることができるようになってからです。それを自分の血肉を分けたヒトに限ることもないではないか、というのが、私が選んだ「大雑把」ゆえの結論でした。が、どうであれ、私はこの先もずっとずっとさらに強くなっていくのは、もう他の選択肢がないくらいの当たり前のことになりました。うどちゃんがいなくなった今、彼を忘れることをよしとする思いやりのある皆様を振り切り、毎日思い出しながらも、他のネコたちとの差異を尊びつつも差別をすることなく、彼から学んだことを誰かに継承していくことになります。そのためには強くなければ・・・。

 

今日から母は、自宅の目の前にあるスポーツジム「メガロス」に通い始めました。最初はマシーンをやってトレーナーにやり方を見てもらい、その後、アクアサイズか水泳をやるのだそうです。私のほうは、生徒さんが増えており、契約の時間帯やらどのくらい通えるのかがわからず(ほら、水泳やるとシャワーのタイミングとかいろいろあるし、寒いから面倒でもあるし・笑)、遅延しています。が、今、すでに考えている新たなプロジェクトもあるので、エッセイでおいおい書いていくことにします。より強くなるということは、おばさん化するということではないことも記しておきます←ひどい蛇足ですが(爆)。

 

 

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