愚かな選択の積み重ね

03/04/2008 にアップした文章です。

 

人生というのは、愚かな選択の積み重ねでできていると思うのですが、その中でいくつかのよりよい選択ができれば、まずまずの人生になると思うのです。昨今、クイズ番組が増えてきていたり、脳トレや漢検が流行っていたりしており、知的モードへの希求は「そこそこある」模様。だったら、それを土台にして、よりよい選択を重ねることができれば、きっと人生はうまく行くに違いないのですが・・・。とはいえ、私も日本に戻って来て、19年弱の不在をちゃらにするまでにはきっと行かないとも予測しており、さらに時間がかかっています。これは自分にも言えることなので、謙虚に行かねば(笑)。

 

愚か:〔「おろか(疎)」と同源〕(1)頭の働きがにぶいさま。考えが足りないさま。(2)ばかげているさま。(3)未熟である。劣っている。

選択:二つ以上のものの中から条件に合ったもの、また、よりよいものを選び出すこと。

 

ちょっと困ったと思うのは、愚かが「疎=うとい、まばら」と同じ漢字を使っているということで、知識があっても、まばらではダメなのか?ということである。私は日ごろ、老いることについてはポジティブな考えを持っており、脳細胞は使えば使うほどよくなるものだと信じているわけで(脳細胞には再生はないが、Dendritesが伸びたり、太くなったりはするという学説にかなり支えられている・・・)、記憶がまばらになるとヤバイのか?と思わされてしまう漢字である。まぁ、そのまま鵜呑みにはしませんが・・・。

 

今日はだるま市が二日ある最終日で(3月3・4日なので)すが、去年買っただるまに目を入れて返してこなければなりません。母は、「もう面倒だから買わなくていいじゃない」という提案をしたのですが、私はこの1年悪くなかったと思うので、ご利益を少しくらいは信じてまた買おうと思うのです。愚かな選択なのだろうか?そりゃ、もちろんまた来年返しに行かねばならなくなるんですが、子どもの頃生まれ育ったところに足を向けることになるのを、義務にするのも、悪くないことだと思うのです。

 

昨日の夜は不思議な番組をやっていて、いや、日本の芸能界そのものを私はまだまだどうも全体図として掴めているのかどうか、怪しいものではあるんですが・・・、「どちらがいい女なのか?」というディベートを、芸能人女性たちが出て、2択から選んで、その理由を戦わせていくというものでした。

 

友だちが前々から想いを寄せていた男性に突然好きだと告白されました。あなたも彼のことが気になっていました。A.つきあう B.断る という選択肢なわけです。まぁ、大きく分ければこのふたつしかないのだけれども・・・。会場には31人の女性審査員たちがいて、どちらかを最終的に多数決するわけですが、その選択をする前に、芸能人たちが話しているディベートを聞くという設定。私が書いたこの問題文は主旨はかなり正しく、「気になっている」だけであり、「友だちと同様想いを寄せている」ではないわけです。でも、この答えとしては、A. が断然支持されたんですねぇ・・・。もちろん、細かい設定は組まれておらず、その友だちとどの程度の関係なのかもわからないし、男性の細かいプロフィールなどもなく、それだけなんですが・・・。

 

ここまでの経験則から行くと、ことヒトが関係してくる事柄というのは、「面倒ではないことがイチバン」という結論を持っている私は、やはりその友だちが「彼のことが好きなんだ」とこちらに言ってくれた時点で、「私もいいと思う。好きだなぁ」などと言えなかったり、その後であっても、「私も彼のことが気になってしょうがない」などというくらいのテンションの上がりがない限り、付き合うことはないと思えるわけです。そもそも、「つきあう」という行為は、チャンスでもありますが、賭けでもあり・・・。

 

特に付き合うということをせずとも、彼の人となりを知っていくという方法もあるわけで、どうしてこの短絡的なA.かB.かというのは、これが極端な二択だから、なのでしょうけれども・・・。

 

今年は、清原選手が最後のチャレンジをしているところですが、彼の言う「何もやらないで引退するよりは、手術という大勝負をしても、どうしてももう一度野球をしたい」という態度はわかります。彼は人様への迷惑を最小限にするために、一軍のキャンプにも参加しませんでしたし、愛車を売っ払ってオリックスの練習場にプールも作ったわけです。

http://www.nikkansports.com/baseball/p-bb-tp0-20080229-329092.html

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%85%E5%8E%9F%E5%92%8C%E5%8D%9A 

あ、私は清原はずっと好きですね、何があっても。

注:違法ドラッグのリハビリ後もやっぱり応援しております♬

 

でも、少ない数の人間が集中的に登場する恋愛などというキチガイじみた状況に、わざわざ飛び込む勇気やチャンスの話をするのは、上記のこととは違うと思いますなぁ・・・。むしろ、後悔するのはどっちか?と訊かれたら、恋焦がれているわけでもないのに、友だちの気持ちも知っていたのに、付き合うほうなんじゃないかと思えるんだが・・・。

 

しかも、告白のことを「告る」と短縮形で言うようになる以前からずっと、私は告白するという行為そのものをとても「幼いもの」だと思ってきています。気づいたらいっしょにいるようになっていて、物事はどんどん滑り始めていて、止めることや相手の存在がいないことなどは、生活に不可欠になっているのがいいんじゃないかと。トライアル期間がなくて、いきなり「つきあってください」と言われても、そこでの「束縛」はかなり迷惑だろう・・・。いやー、私の性格がいけないのか、これ・・・。私自身、告白してくれた男の人とは一度もつきあったことがなく、告白しないがゆえに結果的にはつきあってきたという経験値もありますしねぇ・・・。

 

今日の話は恋愛を例にしてみましたが、学校選びでも、通学路での寄り道でも、洋服選びでも、何でも同じではあると思うんですね←みんな同じ次元での大切さがあるとは言い切りませんが・・・。その中には、「絶対的正解」などあるわけもなく、いつもいつも自分の弱点や長所などを充分に生かした選択というのができるはずで、そのためには、自分の立ち位置がわからないといけないし、立っている場所がどんなところなのかわかっていなければならないし、登場人物についてもわかっていなければならない、と、けっこう人生はたいへんなわけよ・・・。

 

そのたいへんさがわかっているがゆえに、私は友だちの数をむやみに増やしたりすることには躊躇しているし(知り合いを増やして格上げしていく行為に関しては、時間が許したり、自分にゆとりがある場合はやぶさかではないですが)、何がチャンスで、何が余分すぎる負担なのかはわかっているつもりなのですが、取捨選択したずっと後に成果が見えることで、「軽い面倒があったけど、やっておいてよかったこと」というのも多々あるので、どこが明確なラインというのはなく・・・。

 

今日もだるまを買う瞬間まで、きっといろいろ考えるんでしょうが、私はおそらく買いますね(笑)。いつも愚かな選択なのか、よりよい選択なのかは、考えてみるようにしています。意識するだけでも充分違うしなぁ・・・。ただ、数字になってしまうようなパチンコなどのときには、きっと運が大きく絡んでいることにしてしまう傾向だけは、何とかして止めておかねばならぬでしょう。2ヶ月ちょいぶりのパチンコは、大儲けでした。20連荘という経験をして、自分でもびっくりしました(笑)。たまにあるんですねぇ・・・。

 

というわけで、黄砂のニュースの中、だるま市に行ってきます。

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