生まれたときからの格差

05/18/2008 にアップした文章です。

 

繰言になるので、大人が自分について言ってことだとは思いませんが、子どもたちに与える環境について、大人として考えるのはとてもいいことなのではないかと思います。あるいは、恵まれた人々が、恵まれぬ環境や悪循環から抜け出られない人々について考えるのもとてもいいことなのではないかと。「世襲制」がどんな社会でも根ざしていた時代とは違い、現代ではその世襲制は崩れてきています。それでも背負うものが大きい家族を持った人は、まだまだ「恵まれたゆえの苦しみ」に苛まれているのでしょう。それが社会的連鎖になり、汲み汲みと続いていることに気づいている人々がいたとしても、ニッポンの実態はあまりよくないようです。

 

http://r25.jp/magazine/ranking_review/10003000/1112008051505.html?vos=nr25mn0000001 >元記事はこちら

 

妊婦さんや赤ちゃんを大切にしきれていない国が、なぜに少子化現象になっているのか?と頭を捻るのは、非常におかしいでしょうね。生まれるという生命の大切さ、かけがえのなさについて、理解しているのであれば、まずはその発生から誕生までの最初の一歩が、どの地域で妊娠したかによって、機会平等が崩れるのはおかしい。検診の公的補助にこれほどの格差がすでに生まれているというのは、少子化委員会の構成員の方々はすでに気づいておられるのか?それでもこれらを公にして活動していないのは、政治ゆえの難しさなのか?もうずいぶん長くこの特命大臣という地位があるにも拘らず、本当に少子化対策は進んでいるのか?http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E5%B7%9D%E9%99%BD%E5%AD%90 

 

生まれる前からのこの格差に加えて、どこで育つかにより、どんどん格差は上乗せされて広がっていくわけです。

 

こんなに違いがあるのであれば、もっと積極的に地方分権制度にしてしまったほうがいいだろう・・・。そうすれば、もっと地域間での競争が増えて、自治体の活動もさかんになっていくだろうし、企業の誘致や道路問題も今よりも段階が減って解決される確率が増えていくだろうし。その前置きがあれば、国民だって住む地域を積極的に選べるようになるというものだよね・・・。日本国民という大きな建前がどうも幻想を起こさせている部分は大きいように思う。

 

実際、同じお刺身でも現地で食べたほうがおいしいし安いというのから始まり、空気のきれいさや水のきれいさなど、地方が誇って売りにするものはたくさんあるんだけれどもなぁ・・・。騒音だけでも東京はすごい。が、仕事のありなしや時給や年収単位での比較になると、断然落ちてしまうので、人々は大都市に集まっていく傾向にあるわけで・・・。

 

いくらいいDNAを持って生まれてきても、ヒトも生物の中の一部なわけで、環境整備を強化して刺激されていかないと、開花できるかどうかは危うくなるわけです。それはすでにお母さんの子宮から始まっており、お母さんがまともなごはんを食べることや、Pre-Natal(妊娠期)ビタミンをしっかり摂ることや、心理的ゆとりなども含まれ、たいへんなボタンの掛け違えの始まりになっているわけです。

 

子どもの教育費に、すべて公立に通っても500万以上かかるというのは、私が予測していたよりずっと多かった。その上、食わせて寝かせて着させて遊ばせて、と考えると、子どもひとりを育てるのに5千万以上かかるような気がしてきた・・・(汗)。

 

お金にゆとりがあるお家は、幼稚園から塾や有名校に通わせることができて、そうでない家に生まれてしまった子どもは、日の目を見ないまま大人になり、手に職をしっかりつけることもままならない人も多いのかもしれないです。そして、格差を目の当たりにしてきた子どもたちのやる気が充実せず、NEETが増えていくのも、もしかすると自然な流れなのかもしれず・・・。いえいえ、正当化しているわけじゃないんですけどもね・・・。恵まれない人々の中の何パーセントかがそうした気持ちになり、それが持続し、しぶとく生き延びたり、よりよく生き延びたりする気持ちになれないということは、到底、完全否定はできないと思うわけです。

 

私も今でこそ、食べていかれるし、仕事も楽しいし、行きたい学校にも行けたし(いや、まだまだ行きたい学校はありすぎるんですけどね・・・汗)、望めば旅行もできるようになりました。が、やはりNEETにならなかった理由は何なのか?を考えると、薄氷の上を歩いてきたかもしれないなぁと思うことはあります。あそこであの選択をしたから今の私があると、今だから思い当たりますが、当時はただ漠然と社会に反抗心があっただけで、この不平等についての不満だらけでした。それは、小さい頃からのボードゲーム(人生ゲームとかオセロなど)や遊び器具(ボールや縄跳びやその他など)から始まり、大人になれば財産やシュミの収集品にまでなっていくわけです。その蓄積たるや、格差はすごいものがある・・・。

 

私からしてみれば、日本人女性が昨今、中国の桁違いのお金持ちの家に嫁いでいくトレンドがあることも、なんら不思議はありません。経済的にラクであればそれに越したことはないと考える人々がいても、まったく不自然なことではないです。日本という国がしてあげられなかったことを、ある他国の個人がやってくれる。それを倖せだと思う気持ちは否定できないです。むしろ、反中感情だけで、彼女たちを否定する人々の頭のほうがおかしいかと・・・。しかも、恋をして、その恋心をまめまめしく表現してくれるのであれば、誰かが他人の恋路をとやかく言うこと自体がナンセンスだろうし。

 

国際結婚が増えて、日本人女性が他国の男性に取られていくことや、ブレイン(脳)流出で優秀な人材が他国に取られていくことなど、ニッポンの政治の真ん中にいる人々は脅威と捉えていないのかなぁ?大したこともしてくれない、格差を生みやすい国に、未練なく去る人々がいても、なんら不思議はないよねぇ・・・。老後の移住先を外国に決めている人々も多く、たくさんの貯金が海外に流れていることも、金額的にはかなり大きな損失だろうと思うのです。

 

愛国心がある人々にとっては、「なんとかせにゃならん!」なのでしょうが、膨大で険しすぎる難問の山に挑むような気持ちがある人々はいいです。諦めてしまった人々を否定することは、きっと誰もできないことなのでしょうが、否定する人は多い。もちろん、諦めてしまうことは、最終的には本人の損失なのでもったいないと思いますが、他者が何とかしてあげられる問題ではないです。差し伸べられる手がない、と本人が思ってしまったときに、やはり踏み出す勇気がもてなくなるわけで・・・。

 

そのためにも、国をあげての格差なくしの努力は必要ですが、どうも私には成果が上がっているようには思えず・・・。たぶん、私が帰国したのが安倍内閣のときだったのがいけないのかもしれない・・・(汗)。せめて私にできることはして、目に見える成果をあげて行きたいと思っていますが、それが国全体の格差を埋めるほどになるわけがなく、なんだか虚しい気持ちではあります。どうしたものなんでしょうねぇ・・・・。

 

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