運命があるかないか?天命があるかないか?これを科学している人々はいますが、このニュアンス感や人生観・世界観の強いものをどう解釈していけばいいのかという課題は大きなもので、命題化していますよね。その中でも、素人が自問自答することが、恋や人間関係に悩むときに、「この出遭いは必然か?偶然か?」と二択のハザマで考え込むことも多い気がします。
個々人のテイクでいいと思うのです。が、ただ、言えることはひとつあります。ヒトというのはあくまで情けない部分もすばらしい部分と併せて持ち合わせているので、避けがたいバイアス(先入観)があるんですよね。
確証バイアス:仮説や信念を検証する際にそれを支持する情報ばかりを集め、反証する情報を無視または集めようとしない傾向のこと。認知バイアスの一種。また、その結果として稀な事象の起こる確率を過大評価しがちであることも知られている。
メタ認知:自己の認知活動(知覚、情動、記憶、思考など)を客観的に捉え評価した上で制御すること
これらもひとつひとつを見ると、偉人として名を歴史に遺している人たちは、偶然を必然だとは言っていないようです。
とはいえ、ネット上では「すべての偶然は必然である」と言い切っている人がかなり多いです。検索:すべての偶然は必然である びっくりすることに140万件もヒットするのでした(笑)。すごい、Google. 検索:運命はあるのか おっと、悩んで検索している人は400万件ものヒットだった・・・。
みなさんはどう解釈するでしょうか?
科学を論理的に段階的に理解しようとする人々は、おそらく、偶然はめったにない、という方向に1票だと思います。けれどもこれは、不可知論のひとつなので、ゼッタイに!とは言いません。ZERO件であるとは言い切れない事項だからです。これは、Locus of Control:自己決定権が強く、高くあると信じたい人にとっては、邪魔な考え方だからですね。
既存の考えや体制などに従わねばならぬという状態は、自力で努力していこうとするヒトには邪魔になる、目の上のタンコブです。むしろ、歴史が検証してきたように、人々はもっともっと自由になってきて、科学の発達や発展の恩恵を受けているわけですから、これまでの古い体制や考え方を少しずつであれば捨てて、洗練させていけるわけです。
ということは、出遭いも必然ではなく、自分の動きや決断や方向性や選択の結果でしかないと思っておいたほうが安全なのかもしれないですよね・・・。特に、逃げられないと思うとニンゲン関係はしんどくなるし、運命だと思うと捨てられなくなりやすい・・・。
自分で自分に呪縛を掛けるのはやめたほうがよさそうです。思い当たることがある方は、↑上記の検索結果や名言読んでみてくださいましね。(^^♪
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