そもそも嫌いな人とどうしても付き合わなきゃいけない状況を あなたはどうしていますか?もしもあなたの生活の中で嫌いな人が5割以上になってしまったら あなたはストレスで死んでしまうと思います。 当然嫌いをなくすという手もありますが、 なかなか難しいもの も いくつかあると思いますし、 自分のIdentityに関与しているものに関しては変える必要は絶対にありません。 しかも DNA に関することでは、おそらく 自分が変わる努力をしても無理かもしれないのです。 そんなわけで嫌いな人をどう避けるかシリーズを開始したいと思います。
そもそも嫌いな人とどうしても付き合わなきゃいけない状況を あなたはどうしていますか?もしもあなたの生活の中で嫌いな人が5割以上になってしまったら あなたはストレスで死んでしまうと思います。 当然嫌いをなくすという手もありますが、 なかなか難しいもの も いくつかあると思いますし、 自分のIdentityに関与しているものに関しては変える必要は絶対にありません。 しかも DNA に関することでは、おそらく 自分が変わる努力をしても無理かもしれないのです。 そんなわけで嫌いな人をどう避けるかシリーズを開始したいと思います。
なぜわざわざ自慢をしなくてはいけないのか? しかも ランキングをつけなければいけないのか? かわいそうなことに 彼/ 彼女は 相対評価の犠牲者で、それに抗う力がなかった人たちなのです・・・。Amen!
誰かと自分を比較しない限り自分の良さがわからないというのは とても哀れなことです。 なぜならば、 自分の中での目標や夢は、自分の充足感 や 喜び、 自分の周りの人に幸せになってもらいたいという願いが元になっているわけではなく、 あくまで 誰かよりも自分が上であるということに固着しているということだからです。
それはとってもしんどい 生き方 です・・・。その競争や自慢や誰かへの宣戦布告は、いつになったら終わりますか? 誰かが年取った時に 本当の意味で「 お疲れ様でした」「 ありがとうございました」とは思えないはずで、「やった! 1人 抜かせた」「 勝負する相手が一人減った」 という メンタリティのままじゃないでしょうか? 誰かと一緒に暮らしていくことに対して、何があってもヘトヘトになってしまうだけじゃないでしょうか?そのきりのない勝負はいつまで続くんでしょう?
そして自分はそうでなくてもそれに巻き込まれてしまった時の逃げ方は?
勝ち気な人は負けるのが嫌なのかもしれないですが、 別に負けてもいいんじゃないですか(笑)。 私は割と小さい頃からいろんな人に好戦的だと誤解されていましたが、 実際は自分が決めた スタンダード や目標に届かないことが嫌だっただけであり、 誰かと勝負した覚えはありません。 近所では3歳 4歳年上の人が一緒に遊んでくれたりしていたので、 叶わないものは必ずありました しね・・・。 だって私が小学校2年生の時に九九に苦戦している時に、速さや 角度 や 公約数ができた お姉さんたちがいましたから・・・。そんなもの 競ったってしょうがない(笑)。
自分がその年齢になった時に何ができるようになるか楽しみで、ワクワクドキドキしている方が楽しいじゃないですか!
人々が一番嫌なのは、諦めるしかないのは、「 無視」です。 存在そのものを認めないこと。ですから「 私はあなたと 勝負をしていないし、あなたとの勝負の土壌には立っていない」ということが 宣言できれば一番簡単です。どうしてもできなければ、会わないことですよね。 職場などで会ってしまうのであれば、 接触を少なくすることです。 ランチの時間をずらすとか、 ポジション 換えをしてもらうとか、物理的に席を離してもらうとか。 それもダメだったら、あくまで認めてしまい「 あなたには到底 叶いません」 と手放し万歳をしてしまうことです。 そうなると少し自慢話を聞かされることになるかもしれません。私はそのリスクを取りたくないので、 やはり「 勝負なんかしてるわけないじゃないですか」 と、生意気なことを言い続けて大人になってきましたから、 人付き合いはとっても楽でした。
さあ皆さんはどの手を選びますか?
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