コラム

学校の英語授業に望むことは?

これは言い出せばキリがないほどですが、根っこのところの問題を少し書いてみたいと思います。まずは英語教育の歴史をしっかり把握し、英語が修得できた人とできていない人の差についてしっかり学習した人たちを「有識者」と認定してほしいのです、文部科学省に。でなければ、やはり政治・慣習をのんべんだらりんと続けていくことになってしまい、多くの外部の影響力が強大になるまで、一般の生徒さんたち・国民たちは「待つ」しかなくなってしまいます。

それに焦りを感じたり、英語を必要とした方々は、私費を投じて英語スクールに通ったり、出版された本に信頼を寄せて経済活動をしますが、それもほぼ成果が出ない状態が続きます。

なぜこんなに言い切れるか?というと、弊校にいらっしゃる生徒さんで、英語スクールが1校めだったり、それまでまったく独学をしたことがない方は、1%にも満たないからです。やはりなるべく安価で便利で継続できて達成できる方法を、みなさん模索しているわけです。それでも、中高、そのあとの大学で学んできた方法がなぜか正しいのかも、と思う気持ちも半分以上残っていたり、悪い習慣だとは思わないまま、Shop aroundは続いていきます。今の子たちは、小学校からのImprinting:刷り込みになってしまうわけですよね。

ですので、大元は、やはり体制のまずさ、ということです。

せめて、大望のある英語の先生たち、英語講師たちは、何を見据えていけばいいのか?ということについて、ネット上で少し見たりもしておりますが、ピントが大いにズレている論もあれば、まだまだ大改造の段階でもないような、微妙さがあります。

コロナ禍があったため、新規でスクーリングをしてくれるようになってくれた中学1年生のYくんは、3月からの4か月間で、英文法でいくと、もう中学2年生の1学期までを終了しています。プライベートレッスンで毎週1時間のレッスンと、1時間の演習をしてもらっているところです。親御さんに大枚をはたいていただき、それに見合う以上の成果は出せているのではないか?と自負しているのですが、彼は10月には英検4級受かってしまうと思います。国語力や思考力がどのくらい追いついてくるかが問われますが、あと3段階上の英検2級まではラクに中学在学中に取得できるはずです。このまま、私のことが嫌いにならず、他の科目での脱落がなく、楽しく過ごせれば、きっと英語は第2言語としてしっかりした基礎が成立する予定です。

実は、教える際に、「学校用」と「使える英語用」と分けてレッスンをしているのです。当然、中学生なのですから、学校での英語を躓いてほしくもなく、「学校用は学校用」として、こういう風に教えているということを理解してもらい、「本当に使えるためには実際はこういうこと」というのも並行して学んでもらっています。2倍量をこなすのではなく、1.25倍くらいで何とか済むように、と心を砕いています。

実際にも、日本の英語教育では「未来進行形」は重きを置いていないのですが、ついこの前のレッスンで刻んでいただきました。おそらく、多くの大人でも「未来進行形」は使いこなせないでしょうし、未来進行形の3つのうちの「現在進行形と同じ形」のニュアンスはわからないままの方が多いです。それでも、12歳の今、これを学んだことを思い出すように、出遭ったときに「あ!」と憶えておいてもらえるように、感覚的なことまでを入れ込んでいる楽しいレッスンが続いています。大人も同じことで、頻度が低くなれば、きっと「あ!」と思うまでの醸造時間が長くはなってしまいます。が、「頻度は低いけど、いつか必ず出会うから」と自信を以って言えるだけで、生徒さんとしてはその心構え、全体像が掴めていくと信じているのです。

そうした意味も含め、英語を教える人が、日本ではTOEIC750点、英検準1級などとしていますが、本当にそれが足切りの指針としていいことなのか?と私などは感じてしまうのです。実際に使っている実感がある人がいて、帰国子女であったとしても、教えることと使えることは別だという論をしっかりわかっているかどうか、など、詰めていかねばならぬことはたくさんありますし・・・。

英語の授業では、訳すことに重きを置かないでもらいたい!Yくんには、「学校用」は別として、本当に英語を使えるようになるために、「映像化」を推進してもらっています。日本語英語どっちで処理する?というだけの問題にしておきたいためですね。翻訳・通訳になるわけじゃなければ、文字に置き換える必要など微塵もありません。英語は英語で、をできるようになるための方法論を、もっと考えていただければうれしいです。

なんだか長くなってしまった(笑)。力入りすぎ (・・;)

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