初期のうちはとってもびっくりしていたのですが、英語を教えることで食べるようになってからは「かなり頻繁に起きる」と認識して、本当にかなりな割合で見るようになったのが・・・。
音読やSpeakingで、文章内や言っていることに確実に ”a” が存在しているのに飛ばすとか、”s” “es”をガン無視するとか、けっこうな確率で起きます。毎回やっているヒトが10人にひとりくらい、発展途上中にやってしまうヒトが10人に7人くらい。ということは、最初からそれを丁寧に読んだり、話すときに気にする人は2名くらいしかいないのです。20%ですね。
それはどこから来るのか?
日本語では、単数や複数を表現しないため、意識に上らせることがなければ、おそらく抜け落ちやすい箇所なんですよね。しかもみなさん Listeningをきちんとできるようになっているわけでもない場合は、体感に落ちていないので、「ないわけない」「ないのは不自然」とはなっていかないので、そのままなのでしょうねぇ・・・。
不思議なのは、その後、長い年月やそれなりのListening量をこなしたあと、相当聴けるようになったとしても、上記の”a” “s” “es” を抜かすのは、まだまだ直らないのです。たぶん、英語を話していく中でもそれは続けていくんじゃないか?と予測しているのですが、本人が意識化しないあいだは、聴く・読むときの意味の整合性はどうなっていくのだろう?と、不思議です。
ちなみに弊校の生徒さんのESL1年12か月を継続してもできないヒトにインタビューしてみると、
- 通じればいいと割と開き直ってしまっている
↓
- 気付くときと気付かないときがある
↓
- 言ってから「しまった!」と思うことが多いが、直すまでには至らない
↓
- 今直している最中
という段階的なもののようです。
日本語に名詞をいちいち数えるという規則性はないので、それが身につくまでにはかなり時間が掛かります。だいたい2年くらいかなぁと踏んでいますが、そもそもの性格や他の生活スキルのマスターの速度や質、意識の持ち方の感度などに大きく影響されるし、人生観・世界観というのが基本になりますね。
実は日本人にとって、数えられる名詞・数えられない名詞というのを、確実により分けて区別するのも、考えればかなり簡単なのですが、それを体感に落とすまでの「段階」を踏んでいるかどうか?そもそもその法則性を正しい知識としてインプットしたかどうか?どのようにすればアウトプットに生かされるか?というのを、欠落したままでは、かなり難しいままです。
そうした意味でも、最近の私の口ぐせは、「メンタル8割!」ですね(笑)。







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