生徒さんとは、英語基礎コースで全員とお知り合いになっていきます。今のところは、日本人講師がひとりで充分廻せていく規模でしか運営できていないので、漏れなく私がレッスンをさせていただいています。近い将来に、他の講師が教えるほどの人数が集まればいいのですが、そういうわけにはいかない広告費に使える経営レベルで(笑)、こういう状態はかなり私という講師にとってはうれしい状況ですが、経営者としてはダメじゃないか!とコンサルや第3者に言われてしまっているところです・・・。(・・;)
ここでは、その経営者としての立場ではなくて、私個人への影響を語りたいと思うのです。身勝手??(笑)
プロフィールに書いてあったり、Blog記事を読んでくださったりしている方は、うすうす気づいていらっしゃるかと思うのですが、私は子どもの頃からどうしようもない子どもだったのですよ。もうね、ご近所の方々から見ても、欲目があるはずの親や祖父母から見ても、本当に「この子は大人になれるのか?年齢だけ大人になっても生きていけるのか?他人さまに迷惑を掛けないで生きていけるのか?」と心配するレベルに、どうしようもない子どもだったのです。
まず、好き嫌いは多いは、気性は激しいは、廻りの言うことはことごとく反対をやろうとするは、と、すでに幼稚園のレベル前から、みんなが心配していましたね。あんな心労を与えまくる子どもは、そうそう滅多にいたものじゃないと思われます。ただし、赤ちゃんの頃は真に育てやすい子だと言われていました。よく眠るし、好き嫌いはないし、一人遊びで倦むこともなく集中して遊ぶし、ということで、弟が1歳半でできて以降、少しずつ不安が増えて、どんどんその不安が的中していったそうです。自分のことなのに(・・;)
そして、小学生になって、運動はする、給食はよく食べる、けれども諍いはうんとあって衝突だらけ、という日々。親が決めた「家の仕事」は致し方なくするのですが、それは一重に「ごはんが出なくなるから」という理由(笑)。中学生になってもわがまま、自分流は続き、貧しい家計の中でも無理を言えるギリギリまで無理を言っていたのでした。
高校生になり、アルバイトができる16歳になるのが待ち遠しく、本当にバイトに明け暮れ、小学生の頃から続いていた「授業は受けない態度」は、結局12年間続きます。なのに、上の学校には行きたがったんですよね・・・。それは、貧しくてバカだと稼げないと信じていたから・・・。けれども、バイクに出遭い、そのあと車に出遭い、Mobility(可動域)が増えて、稼ぎ方も変わり、さまざま考えるようになり、渡米を決意し、それが実現するのが、24歳半という非常に遅い時期だったかもしれません。
これが、人生で最良の選択だったことは、のちのち、今更わかるんですが、そこで航空学校でヘリコプターのパイロットになるために、一生懸命英語を学び、パイロットのライセンスを3種取得し、父がガンに罹ったため、看取りをするために4年ぶりほどで日本に戻ります。合計で1年ちょっといたのですが、日本はもう性に合わなくなっていました。また戻る・・・(笑)。あんなに長い時間かかった貯金が、今度はわずか1年ほどで貯まるという快挙も自信になり、戻ってからまたもやあらゆることをやるのです。
このへんから進化は始まった気がしていたのですが、実際は、子どもの頃に自由に好きなことをしてきたことや、授業を受けなかったことがよかったんだということに、あとあと気づいていきます。まぁ、多くの人々からしてみれば、「遅い!」ってことなのでしょうけれども。
そして今、せめて英語と心理だけでも教えられるようになっているという事実!すんごい進化です。そしてこれからも進化は続いていくわけです。それもこれも、生徒さんが目の前で進化してくれているからなのでした。そのありがたみが、まだまだ私を成長させてくれています。うまく説明できないときは、かなりガクッと落ち込みますもん(笑)。
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