私は若い頃から、 結婚式は出なくて OK、 お葬式は何を置いても出席!という信念を持っていたのですが、 ここのところ 私の知り合いは みな熟知してくれているので、 ここのところはどちらのお誘いもないのです。歓んでいいのか、人間関係が突き当りに来てしまっているのか・・・。(・・;)
多分COVID-19があって、お葬式は本当に縮小になったんだと思います。 事実、 私の母の葬式も家族葬にせざるを得ず、 父の知人や昔馴染み、 親戚や母の友人にお声かけをすることも「ご時世だから」 とご遠慮させていただきました。 葬儀屋さんもそれがいいということでしたので、 世間の常識が希薄な私(笑)は、そのアドバイスを受け入れたわけです。
そして自分が還暦になったせいもあるのかもしれませんが、 訃報がやたらと眼について、 傷つく レベル感も少し深まったような気がしています。 自分の 人生の残りが分かってきたのもあるのですが、 自分が苦労してきたことを投影して 亡くなった方の人生を考えると、胸が詰まる 気持ちになるからです。
著名人が目立って亡くなっていると感じるのは私だけなのでしょうか?
おそらく 昭和のベビーブーム 以来、 メディアが発達し、芸能に浮かれることができるようになってから、芸能人やメディアに出る 著名人がたくさん増えたことによって、「 知っている人」という 距離感を持てる人が増えてきたせいかもしれないですね。
80代・ 90代の方が亡くなるのは、惜しい気持ち、 悔しい気持ち、ではなく、「お疲れ様でした」と謝意を込めて 見送るべきなのかもしれませんが、 それでも悲しくなってしまいますよね。母のときもそうでしたので、 おそらくまた追体験をしてしまうのかもしれないです。
特に 中村メイコさんが亡くなった時は、 黒柳徹子さんのコメントがきっかけで、 私も本気で準備をしなくちゃいけないなと思い始めました。まずは 荷物です。 毎年やっている遺書も もっと 洗練させたものに完成度を高くしなければいけないと思っています。
さらに会社ですね・・・。 いつでも誰かに手渡せるようにしとかなければならないですし、 消滅するならするで処理がうまく行くようにしとかなければなりません。
こうして、今後も 訃報があるたびに 自分に反映させていく機会が増えると思うと、ありがたがるべきなのか?胸を鷲掴みされるような悲しい気持ちになることも、 やはり まだまだ 多いのです。 未熟ですね・・・。
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