この命題を、私は子どもの頃にまったく持たぬままでした。「何のために??」と先生に訊かれたこともなかったし、両親や親戚にも訊かれたことはなかったまま、バカすぎるほどに外遊びをし、できるだけたくさんおいしいものをお腹いっぱい食べたいと望み、これを考えるようになるのは、受験生になる中学3年くらいまで延長していた感じです。
貧乏だったため、どうしたらお金持ちになれるのか?という単純かつたいへんに難しい質問をする私に、周囲の大人は、「勉強しなければいい学校には行けないし、いい会社にも入れない」と、言い続けたんだよなぁ・・・。それが中学校3年くらいで始まったのだけれども、私はこの時点でも勉強はしなかった・・・。(・・;)
おそらく肌感で、「違うじゃん!」と叫びたかったから、勉強はしなかったんだろうと思うのだ。
実際に、小学校から代ゼミの模試を受けに行くという実験もさせられたし、中学受験を目論まれたこともあるくらい、私の将来に両親は少し希望を抱いていたようです。なぜならば、小学校のどこかでやったIQテストが多少高かった模様・・・。それを小学校の先生が両親に言っていたらしいのですが、私は一向に勉強に立ち向かったり、興味を持ったことはなかったのです。
だって、掛け算をすんなりできるようにならなかったから(笑)。特に成績がいいわけではなく、フツーくらい、あるいはフツーよりもちょっといいくらい、停まりでした。とはいえ、まったく勉強していないのだから、それ以上を望むような図々しいのもねぇ(笑)。
貧乏というのはつらいもので、両親はがんばってくれていたものの、望める範囲というのが決まってしまう・・・。ない袖は振れるわけもないので。それを知っていた私は、大学受験は1年浪人し、自分で学費を貯めることにしたのです。それくらい、とくに学歴にもこだわってはいなかったし、15歳のときに会社勤めをすることもやらないと決めたし、教職の資格を取るのはいいかもと思っていました。
1年浪人して、大学に入っても、学費を稼ぐためにバイトをせねばならず、実際に大学に入ったら、勉強しなくていいゲンジツを見てしまうのです・・・。(・・;)
そして、私は唯一得意だったバイクや車に走っていき、バイトを学業よりもがんばるようになる。直接的なお金を獲得する日々に埋没し、そのお金をバイクや車に使う、というすごい環境にやさしくない作業(笑)。
そして30歳でもう一度しっかりと大学に行くことにしたのですが、その際の勉強は楽しいものでした。なぜにこんなに楽しいことを日本で16年間しっかりやらなかったのかと思うくらいに・・・。でもやはり、機が熟してはいなかったし、お金がなさすぎて追求もできなかっただろうし、バイトは遅かれ早かれしなくては生活できなかっただろうし、私の過去の経験をなかったことにするわけにいかないくらい、楽しいことが山ほどありましたしね。
30歳すぎて大学に戻って勉強が楽しすぎてようやくわかったことは、
人生においてナニが本当に価値のあることなのか、より深くわかるようになるため
勉強し始めたってことですね。小学校から日本の大学を中退(実際は除籍)するまでは、強制的にやらされていたからわからなかったです。でも、アメリカでのディスカッションや参加型ベースの授業は、本当に価値のあることをたくさん教えてくれました。いい大学に出席できてよかったです!
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