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誰かのために役立つとは?

最近このタイトルをまたもや考えさせられる出来事がありました。かなり頻繁に考えてしまう内容です。なぜならば、ヒトは、大人になればなるほど、滅私奉公をしても当然、むしろうれしいと思うようになるはずだからです。

滅私奉公:私心や私欲を捨てて、国や社会など公おおやけのために尽くすこと

私ごときができることは少ないし、範囲もとても狭いので、何が自分のためではないのか?というよりは、すべて自己満足や自己成長のためにしかできていないのではありますが・・・。(・・;)

ただ、誰かのために何かを先んじてやってあげてしまう、というのは、つくづくいけないことだなぁと日頃から考えており、その人個人が成長する機会を奪ってしまう機会損失を生む、まやかしの優しさだと感じることが多いのです。

日本文化のイメージとして、何かをやってあげることや、言われる前に自ら進んでやり遂げることや、自分がやったことすらバレないようにやるなど、本当にまぁ、ハードルの高いことを要求され続けてきちゃいましたから、驚きませんが、私はかなりダメダメなほうなのでしょうねぇ・・・。

誰かのためにやるよりは、小さい頃からみんながそれぞれ自分のことは自分でやればいい、と信じていたのです。それは幼稚園でギンナンを拾うときもそうでしたし、プールで迷子になったときも迷った子が案内所に行けなかったこと、べそを搔いていたことに情けないなぁという顔をしてしまったし、なかなかに厳しい子でした(笑)。

なので、元配偶者が、パーキンソン氏病になったと聴いたあとも、私が何かを積極的にしてあげようとすることは、今の奥さんになったヒトにも悪いし、誰より本人も気持ちの悪いことだろうし、ただただ、ips細胞の方向性やPARK9分子の理解など、ひとりでやっております。声かけを少しでもされたら、というよりは、声かけしたいであろう直前くらいにこちらからさりげなく言えたらなぁ、というくらいの気持ちです。がそれはハードルが高すぎるので、声かけされたら、でしょうね・・・。

英語スクールおよび心理のカウンセリングなども兼ねてやっておりますが、自助のためのカンテラを照らすことだけしかしないことになっています。なぜならば、最終的にひとりひとりの人生は、そのヒトのものであり、どの方法ややり方、目標や理想を選んでも、私にあれこれ言う権利はないからです。たくさんの選択肢を準備しながら、論理的に最も通りやすい方法をあれこれ見つめながら、できるだけ役に立てたら、と願うに留め、さよならになったとしても、笑顔で送り出したいと常々考えています。だって、それが倖せですからね。

みなさんの誰かのために役に立つ、という命題に対しての考えはどんなものでしょうか?聴かせていただきたいものです。

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