ヒトというのがいかに勝手なものか?わがままなものか?というのは、いくつか書いてきたのですが、誰しもが理解したほうがいいのは、「自分がいかに正しいのかを証明し続けていこうとするヒトは胡散臭いし、自分勝手すぎる」という事実や、「みんなそれなりに自分がいかに正しいかに砕身しているが、それをミニマムにしていくことがラクになる道である」という事実は、ちゃんと認識したほうがいいと思うのです。
本日のCognitive Dissonance:認知的不協和は、まさしくそれを法則化した発見です。
認知的不協和:認知的不協和とは、人が自身の認知とは別の矛盾する認知を抱えた状態、またそのときに覚える不快感を表す社会心理学用語。アメリカの心理学者レオン・フェスティンガーによって提唱された。人はこれを解消するために、矛盾する認知の定義を変更したり、過小評価したり、自身の態度や行動を変更すると考えられている。
Cognitive Dissonance 詳しい説明 日本語 1
Cognitive Dissonance 詳しい説明 日本語 2
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わがままで奔放な自分が欲しいもの・やりたいことと、社会が要求する自分の行動や考え方や当然の道徳や科学的道筋による当然の帰結など、矛盾することが起きます。そのときに、どういう現象が起きるのか?どういう葛藤の中何をするのか?そしてなぜそれを選び、それを選んだことがどういう結果を連続的に招くのか?ということを知ると、もうちょっとラクになります。
私が長年やってきたことは、喫煙ですね。14歳で開始して、大動脈解離で2週間ちょい入院したあと完全に止めました。タバコが健康に悪いのは、おそらく20歳くらいからは実にわかっていたと思います。渡米してもっとわかって、年々どんどんわかってきていたし、社会的にも喫煙者は減るのですから、もっと迫られた(笑)。でも、いつも「喫煙しないとストレスが常時解消しない!私のストレスは大きい!」という正当化をずっと続けてきましたね。その蓄積が大病ですから、自業自得なのです。風邪もひかなかった、寝込んだことがないことが、自分の正当化をもっと膨張させてきたわけですね。
このくらい大事(おおごと)になることもあれば、小さいけれども性格として定着していくこともあります。性格がいつか人格にまで不動のものになることもあるわけです。
人は、自分は論理的で、一貫性があり、意思決定が得意であると信じたいのです。 認知的不協和は、自分自身と自分の能力について理想化している認知がたとえ間違っていたり歪んでいたりしても、その信じているものを妨げるので、余分な言い訳や正当化、論理に沿わない認知を採り入れて不快感を解消しようとするメカニズムです。
そういう自分に気付くと、倖せに近づいていきます(^^♪
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